会社を退職した後に、自転車を担いで香港に渡り、その後4年半に渡ってアジアを中心に20数カ国を歴訪。現地の人たちとの生の交流を通して、異文化の魅力にどっぷりと浸かり、それが契機となって日本語教師になったという山本弘さん(東京国際語学院・専任講師)をご紹介します。海外旅行もままならない現在、スケールの大きい旅行記を読んで、海外で日本語を学ぶ学習者に思いを馳せてみましょう。
世界一周を目指して旅立つ
――山本先生はもともと旅行が好きだったんですか。
はい。高校・大学時代から日本国内を電車や自転車で旅していました。旅好きが高じて大学卒業後は旅行会社に就職した程です。
――根っからの旅行好きなんですね。旅行会社では国内・海外といろいろなところに行かれたのではないかと思います。旅行会社には何年ぐらい在籍したんですか。
旅行会社には約5年いました。旅行会社では確かに日本・世界各地へ行けるのですが、若いうちはともかく、年齢を重ねていくと添乗の機会も減りますし、仕事ですので当たり前ですが、必ずしも自分の好きなところに行けるわけではありませんでした。それで、思い切って退職して、以前からやってみたいと思っていた世界一周に旅立ったというわけです。28才の時でした。
――随分と思い切りがいいですね。どんな国や地域を回ったんですか。
香港に入ってからはマカオ、深圳、そこから東南アジアのベトナム、ラオス、タイ、ミャンマーなどを回りました。それから南アジアのバングラデシュ、インド、パキスタンから北上してチベット、ネパール、中国。その後、中央アジアに出てキルギス、ウズベキスタン、カザフスタン、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジア、トルコ、東欧の一部など。その後、中東のシリア、ヨルダン、イエメンなどを回り、さらに気に入った国へ何度か行ったり来たりということをしているうちに、気がついたら旅立ってから4年半が過ぎて、資金面や今後のこと、そして大事な自転車の盗難などもあり、考えた末に帰国を決めました。
遠い国からやってきたサイクリスト
――すごい国の数ですね。移動はどうされたんですか。
基本的には自転車でしたが、列車やバス、船を使うこともありました。どうしても陸路で国境が越えられないようなところは飛行機で国境を越えました。
都市部は電車で移動し、地方は自転車で移動することが多かったです。田舎町を自転車に乗っていると、いろいろな人から声を掛けられるんです。日本人なんて見たこともない人が多くて、遠い東の国から若者が自転車で村にやってきたとなれば、「ちょっと家に寄って、お茶でも飲んでいけ」となるわけです。そうこうするうちに、そこの家で1、2カ月ご厄介になるようなこともありました。もともとは世界一周という移動型のスタイルを目指して始めた旅だったのですが、いつの間にか滞在型の魅力にハマっていました。
――いろいろな国を回っている中で、どんなことを感じましたか。
それぞれの国にはそれぞれの文化があり、価値観は多様だということを身を持って感じました。その一方で家族や友情といった根源的なものは、世界中のどこにいっても共通しているのだなということも強く感じました。文化の多様性といってしまえば簡単ですが、それを深く体感できたということは、自分にとって大きかったと思います。
――今は旅行情報もネットにあふれ、便利な地図アプリなども出ていますが、山本さんが旅された頃はどうだったんですか。
私が旅したのは2005~2009年ですが、今思えばアナログな旅ができた最後の時代ではなかったかという気がします。紙の地図を広げ、現地の人に道を聞きながら続けた旅でした。今ならスマホで何でも調べられますよね。iPhoneが世界で初めて発売されたのは2007年です。
海外で日本語学習者と触れ合う
――旅先では日本語学習者と交流するようなこともありましたか。
行く先々で日本語教師や日本語学習者の存在を知りました。ミャンマーでは日本語教育が行われているお寺を訪問したこともありましたし、ベトナムの大学やウズベキスタンの日本語教室など、各地に日本語を学ぶ人たちがたくさんいることを知りました。
――旅を終えて帰国したら、どうしようと思っていたんですか。
旅行業界に戻るという選択肢もありました。でも、4年半旅を続ける中で、数え切れないさまざまな出会いがありました。ちょうどその頃は、留学生30万人計画によってベトナムやネパールなどからの留学生が増加している時期でした。自分が旅したそういう国から来た若者と触れ合える仕事として、徐々に日本語教師になりたいと思う気持ちが強くなっていきました。
――帰国したのは2009年ですね。
はい。帰国後少しして日本語教師養成講座に通いました。1年3カ月ほどかけて養成講座を修了し、2011年から地元の千葉県にある日本語学校に非常勤で教え始めました。2年後に専任講師となり、その日本語学校には合計9年ほど在籍しました。その後、今働いている東京国際語学院に移りました。
学生にはかけがえのない2年間を提供したい
――日本語教師になってから、その前の海外を旅した経験はどのように生きていますか。
世界各地を旅したことで、異文化に対して柔軟に対応できる姿勢が身についたと思っています。学習者の出身国に行った経験がある、現地の食べ物を食べた経験があるということだけでも、学習者との話題は尽きませんし、親近感を持ってもらいやすいようです。その一方で、異文化に対する日本社会の不寛容さが気になることもあります。
――例えばどんなことですか。
日本人でも外国人でも、いい人もいれば悪い人もいます。一部の人が良くないことをしたからといって、「〇〇人は×」といったステレオタイプな見方をする日本人が多いように思います。部屋を借りるのに苦労したり、アルバイト先で嫌な目に遭ったりという学生の声を聞いたりすると、日本人としてとても恥ずかしいです。
――そういった学生の声が多く届くんですね。
日本語を教えるのが上手な日本語教師を目指すのはもちろんですが、私が目指してきたのは学生が日本語学校に滞在する2年間をトータルサポートできる日本語教師ですね。困ったことがあれば何でも相談してもらえるような存在でありたいです。そして、その学生が卒業して、日本企業に就職したり帰国したりした後など、いつか振り返った時に「日本語学校にいた時の2年間は人生の中でかけがえのない時間だったな」と思ってもらえるようにしたいんです。これまでで一番うれしかったのは「先生のおかげで私の人生が変わりました!!」という言葉です。私自身、これからも日々精進していきたいと思います。
――4年半の旅のご経験が、山本さんの日本語教師としての在り方の土台になっているようですね。本日はありがとうございました。
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