外国人に対する日本語教育ではなく、海外在住で、両親、またはどちらかの親の母語が日本語である子どもへの日本語教育を「継承日本語教育」と言います。「継承語」には親から受け継ぐ言葉という意味があり、親子のコミュニケーションや子供のアイデンティティ―の確立に重要だとされていますが、一般的にはあまり知られておらず、誤解もあるようです。今回は2021年4月に香港で「香港継承日本語教育ネットワーク」*1を立ち上げ、7月25日に「香港にほんごフェスティバル」を実施したメンバーである今寿美子さん、柏木伸子さんに設立への思いや、これからの活動の展望などについて伺いました。
日本語イベントが親子のコミュニケーションや、子どものやる気にもつながる
――まずは「香港にほんごフェスティバル」の成功、おめでとうございます。具体的にはどのようなイベントだったのでしょうか。
柏木:オンラインイベントです。香港在住の、日本につながる子供たちから日本語に挑戦する動画を募集して、イベント一週間前に参加者限定で公開、それぞれが視聴して「いいね」をつけ合いました。イベント当日は、みんなで動画を見て、作品作成の感想などのコメントをもらい、「いいね」がたくさんついた動画を発表しました。来賓として出席してくださった日本国総領事館の領事と国際交流基金の専門家のお二人にも、それぞれいいと思った作品を選んでいただきました。参加したのは、下は3歳から上は13歳まで33組45名でした。
――動画というのはどんな内容でしょうか。
柏木:小さい子たちは早口言葉、小学生は暗唱、それより上のお子さんは朗読劇等でした。イベント後のアンケートでは、他のお子さんの動画を見て刺激になって、その場で覚えてやってみたというコメントや、領事や専門家の方から評価をもらえて、すごく誇らしくやる気が出たというコメントもいただきました。また動画を作る過程で、親子で一緒に練習して、いい時間が持てたというコメントもありました。
香港で育つ日本ルーツの子どもと親、指導者、研究者をつなぐネットワーク
――この「香港継承日本語教育ネットワーク」を設立したきっかけについて教えてください。
今:直接のきっかけとなったのは、2020年8月にバイリンガルマルチリンガル子どもネット(BMCN)主催のオンライン国際フォーラム「アジア(香港、タイ、韓国)における継承日本語教育の現況と課題」で、私が働く香港日本人補習授業校*2に発表のお声がけがあり、その際に実態調査をしたことからです。香港内には補習授業校以外にも、日本につながる子どもたちに日本語を教える場所として、自主プレイグループ、非営利・営利の日本語教育機関や私立学校内の日本語クラスなど大小の団体がありましたが、分散していて、お互いにつながることがありませんでした。またそれらのどこにも属していないという方もいました。調べてみると情報不足や支援不足と言う課題が分かり、それぞれがつながって交流したり、情報を集めたりすれば子どもたちにとってプラスになるのではと考えました。それで、それまで継承日本語教育に関わってきた有志6名でこのネットワークを立ち上げることになりました。台湾や韓国、タイにはすでに継承日本語教育のネットワークがあったのに、香港にはなかったという点も大きかったです。
それぞれの背景から継承語に関わって
――今さんご自身は、補習授業校で教えてこられたわけですよね。
今:はい、元々は香港日本人学校*3で教えていて、その後、留学で再び来港、新聞社勤務などを経て結婚し、2003年に長女を出産しました。それから長女と同じ年のお子さんを持つお母さんたちと自主プレイグループを作りました。香港在住の日本につながる家庭では、現地校やインターナショナルスクールに通わせている方もいて、補習授業校の需要はあったのですが、場所や母体等の面で、なかなか環境が整いませんでした。それで手作りでもいい、自分たちの子どもが通えるだけでもいいからということで、2011年に有志と補習授業校を設立し、運営に関わることになりました。
補習授業校を作った最初の年は、日本の学校と同じ教科書を使い、日本式の授業をやっていたのですが、どうも日本式の学習スタイルがフィットしない子どもたちがいました。教科書を基本とする「レベルクラス」の他に香港で育つ日本の背景を持った子どもたちに特化したカリキュラムと教材が必要なんじゃないかと思うようになりました。それで2013年に補習授業校の中に「継承日本語クラス」という別コースを作って、「レベルクラス」か「継承日本語クラス」のどちらかお子さんのスタイルに合う方を選んでもらうようにしました。当時は「継承日本語」というのはあまりなじみがなく、保護者の中にも国語や普通の日本語と何が違うの?という疑問を持つ方もいたようです。しかし補習授業校では年齢が高くなるにしたがって、学校の活動や習い事などが忙しくなり学習者が減る傾向にあったのですが、中1で修了してもそのままこの「継承日本語クラス」は続けたいという要望が増えてきています。
――柏木さんは?
柏木:私はプレイグループをやっていた関係で、実態調査のアンケート依頼があり、そこからご縁がつながって、今回お声がけをいただいてネットワークに参加しました。香港にもこのような団体があればいいなと思っていたので、とてもうれしく思っています。普段は日本語学校で外国語としての日本語を教えています。継承語との関わりは、息子が3歳の時、日本から香港に引っ越してきて、子どもの日本語が課題になったことからです。その後、3歳下の子どもが幼稚園に入ってから、自主プレイグループの活動をスタートさせました。こちらの活動は平日の午前なので、参加している方は小さいお子さんが中心です。読み聞かせをしたり、歌を歌ったり、工作をしたり、様々な活動を通して日本語に触れてもらうことを意識しています。
――その他のメンバーも皆さん、補習授業校に関わったり、教育機関で日本語を教えている方ばかりですよね。そして皆さん、日本につながるお子さんを育てているんですね。
今:はい。そうです。
継承日本語教育とは
――海外で育つ子どもへの日本語教育で気をつけなければならない点というのはありますか。
今:親だけの目標になってはいけないということでしょうか。私も子どもが生まれたばかりの頃は、海外で育っても、日本で育つのと同じように日本語を使わせたいという理想を持っていましたが、それはすぐに無理だと気づきました。親の基準を押し付けて子どもにあまりにも頑張らせると逆に日本語が嫌いになって日本語から離れていってしまいます。それぞれの子どもにあったペースで日本語の機会を与えることが大切だと思います。その意味ではもっと早く「継承語」と言う考え方を知っていたら、もっと有効な手段が取れたのではないかとも思いますが。
柏木:結局、子ども自身が将来どんな日本語の使い手になりたいかが大きいですよね。本人がある程度具体的なイメージを持たないと難しいと思いますが、親はこういう可能性があるということを示すことが大切かと。親が忙しくても、絵本や楽しいおしゃべりなどから、日本語の世界を広げていけるので、そういう日々の努力も大切になります。
柏木:継承語教育の難しいところは、それぞれの家庭によって状況が様々だということです。例えば家庭内で日本語を使っている子どもに対し、現地校などに通い、家庭で日本語をほとんど使っていない子どもの場合では、より外国語に近い形で日本語を教えたほうがいい場合もあるかもしれません。同じ家庭の兄弟でも、生まれた時の環境や生活する場所によって習得状況が違うという場合もあります。
今:継承語って目指すところも様々で、どこまでできたらいいというのもないですからね。
柏木:継承語についての誤解もありますね。夫婦の会話が英語や中国語の家庭内で日本人の親も子どもに英語や中国語を話す場合、それでも、日本語に関しては親が日本人なのだからそのうち自然に身につくだろうと考える方もいるのですが、それはなかなか難しいです。家庭の外に出たら、すべて現地語や外国語という環境では、親がある程度努力しないと継承語は身についていかないのです。私のプレイグループに来て、初めてそのことに気づくお母さんもいらっしゃいました。
また逆に、親が現地語に堪能でない場合、子どもが継承語を学んでいないと親子でのコミュニケーションが難しくなるという側面もあります。
今:継承語で受け継ぐのは言葉だけではなくて、言葉の中にある文化とか、日本人としてのアイデンティティも含まれるんですよね。
つながり、集まり、ほっとできる場を
――「香港継承日本語教育ネットワーク」として、これからやっていきたいことについて教えてください。
今:まず、「ネットワーク」という名前を付けたのは、私たちが上から何かを教えたり、与えたりするということではなく、みんなの経験や情報を集める場を作りたいという思いからでした。日本語を頑張っているお母さんたちは、途中で子どもがやりたくなくなると気持ちが折れてしまうんです。なので、これからもみんなでつながって楽しく日本語を続けていける、ほっとできるよりどころを作りたいと思っています。
親や教師だけでなく成人した子どもたちが先輩として話しに来るなど、継承日本語に関わる人たちみんながつながれる場所にしたいですね。
それから、どこにも属していなくて孤独に頑張っている人にも情報を届けていきたいと思います。
具体的な活動としては、スピーチコンテストを考えています。実は香港の日本語スピーチコンテストは日本の背景を持っている人は参加できないので、継承日本語を学ぶ子どもたちが活躍できるようなイベントをやりたいです。さらに香港だけでなくアジアに住む日本の背景を持つ子どもたちのためのイベントもできたらいいなあと思っています。継承日本語を学ぶ子どもたちの自信に繋がるような大中小いろんなイベントをやって、広く情報発信をしていきたいです。
柏木:私は、自分でプレイグループをやってきて、それが、子どもだけでなく保護者同士のつながりを作る役割もあることに気づきました。私のプレイグループは香港でも郊外にあるんですが、参加者から「ここにあってよかった」とか、「ここを知ってから人間関係が築けるようになって、香港での生活が変わりました」と言ってくださる方もいて励みになっています。ですから、このネットワークでも同じように、子どものためだけではなく保護者もつながり、仲間を見つけて、思いを共有できる場を作れたらと思っています。
私自身もネットワークの活動を通して、これまでつながることのなかった方々とつながれるのが楽しみです。
取材を終えて
香港での継承日本語教育のお話を伺って、日本にいる外国人児童・生徒の継承語教育についても思いを巡らせてみました。それは継承中国語や、継承ベトナム語や、継承スペイン語のはずです。そのことについて、外国人の子どもと関わることもある私たち日本語教師は、正しい知識を持っておくことが大切だと思いました。柏木さんも「最近、SNSで日本に住む外国人のお母さんに対して、『日本語で読み聞かせをしましょう』と教えていらっしゃるのを見たのですが、これは少し心配です。お母さんはあくまでも自分の母語で子どもに読み聞かせをすることに意味があり、外国人の保護者が日本語で自分の子どもと話せるようになることを目標とするのだとしたら、それはちょっと違うのではないでしょうか。」とおっしゃっていました。
取材・執筆:仲山淳子
流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。5年前よりフリーランス教師として活動。
*1:香港継承日本語教育ネットワーク:https://sites.google.com/view/nejhlhk/
*2:補習授業校:現地の学校やインターナショナルスクール等に通学している日本人の子どもに対し土曜日や放課後などを利用して国内の小学校又は中学校の一部の教科について日本語で授業を行う教育施設。
*3:日本人学校:在外教育施設のうち国内の小学校、中学校または高等学校における教育と同等の教育を行うことを目的とする全日制の教育施設。
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