学校の中の離れ小島
2010年代に入ると、在日ベトナム人の数が急増し、それに伴ってベトナムから直接転入してくる子どもたちと接する機会が増えました。直接転入の子どもたちは、ある一定の年齢までをベトナムで過ごし、日本語も日本文化も何もわからないまま、日本の学校に放り込まれてきます。また、親の就労や就学の都合で居住地が決まるため、その学校に在籍する外国人がひとりだけ、というケースも少なくありません。こういった子どもたちのサポートをするため、わたしは、母語支援員、日本語指導員、教育サポーター等々、いろいろな名称で呼ばれながら、学校現場に派遣されるようになりました。
学校では、「授業内容を通訳してください」「ベトナム語でおしゃべりをして、不安を和らげてあげてください」等という指示を受けることもあれば、「とにかく子どもと一緒に行動してください」と一任されることもありました。授業以外にも、朝の会から給食、昼休みに掃除、帰りの会まで付き合うのはもちろんのこと、一緒に校外学習に行ったこともあります。子どもたちは、学校のこと、おうちのこと、そしてベトナムのこと、たくさんおしゃべりをしてくれ、楽しい時間でした。しかし、わたしはこうした仕事をこなしながら、学校の中にぽつんとある離れ小島に、子どもと一緒に取り残されているような気分を常に感じていました。子どもたちがベトナム語を使って語る豊かな世界を、わたししかわかってあげられないのが悔しいと思いました。子どもたちがベトナムで培ってきたさまざまな知識や経験が、日本の学校では拾い上げられる機会になかなか出合えず、まるでなかったものになってしまうことを心から悲しく思いました。そして、気が付けば子どもたちがその知識や経験を語らなくなり、いつの間にか忘れていく……そんな場面に出合ったことは、一度や二度ではありません。
「先生しか聞ける人がいないんだよ」
ある年の4月、3月末に来日したばかりという姉妹が小学校に転入してきました。大変賢く、勉強も頑張る、素直ないい子たちでした。ふたりが在籍する学校でのわたしの勤務時間は2時間。1時間は子どもたちとの学習、1時間は保護者への電話連絡やお便りの翻訳などのための時間でした。学習の時間には、先週一週間で難しかった学習内容のフォローと、今週勉強する範囲の予習をベトナム語ですることにしていました。しかし、ある頃から、自力でこなせなくて積み残した宿題を持ってくるようになり、それらを解いているうちにあっという間に1時間が過ぎてしまうようになりました。これでは効果的に学習を進めることができません。宿題の内容は、ふたりの学力に対して決して難しいものではありませんでした。ベトナム語で学習できるわたしとの時間に甘えてしまっているのかもしれないとも思い、ふたりと話をしてみると、ふたりはこう言いました。
「学校の先生たちはベトナム語がわからない。お母さんは日本語がわからない。お父さんは日本語は上手だけど、質問する時間もないし、“子ども語”が話せない。だから、先生しか聞ける人がいないんだよ。」
はっとしました。常に子どものそばにいて、教えたい気持ちには溢れていても、言語の壁のせいで思うように応えてあげられない人もいます。また、言語が話せれば、学習内容が理解できていれば、誰でも子どもがわかるように勉強を教えられるわけではありません。この子たちはそんな周りの大人の事情や気持ちを充分に汲み取ったうえで、わたしとの学習時間に宿題を持ってきていたのでした。そんなことにも気が付かず、さらには子どもたちを疑った自分を本当に情けなく思いました。
こうした大人の事情のせいで、子どもたちの学習効率が下がっている状態を放置するわけにはいきません。わたしはすぐにこの話を支援担当の先生と保護者に共有し、支援体制の改善について相談しました。そして、宿題となるドリルの問題は事前にベトナム語に翻訳しておき、お母さんがベトナム語で宿題のフォローができるようにしました。そうすることで当初の予定通り、わたしとの学習の時間は、クラスの学習進度に合わせた教科学習の復習・予習に充てられるようになりました。子どもたちは、母語を活用した予習・復習、そして家庭学習を以って教科学習の内容を充分に理解することができ、そのうえで、日本語担当の先生とそれらの内容を日本語ではどのように表現するのか、学習を重ねました。そして、その成果を発表する機会をクラスで設けるようにしました。
今では、ふたりはベトナム語も日本語も使いこなす高校生に成長しています
全ての言語・文化資源を活かして「考える力」を
「日本語ができない」子どもは、ただ「日本語ができない」ができないという理由だけで、「何もできない」「学力が低い」と見做されてしまいがちですが、本当に「日本語ができなければ勉強ができない」のでしょうか。例えば、ある小学1年生は、日本語では単文でしかコミュニケーションが取れません。ですが、ベトナム語であれば3匹の小ブタの物語を、しっかりした構成と緻密な描写で語り、そこから教訓まで汲み取ることができます。ある中学生は、まだ挨拶程度の日本語しか話せません。しかし、ベトナム語の文章を読んでそこから作者の皮肉を読み取り、その内容を踏まえたうえで自分の意見を主張することができます。こうした子どもたちの可能性が見過ごされ、「日本語で話せる範囲」のみで評価されてしまうのはあまりに惜しいように思います。それに、こうした扱いを受けるうちに、子どもたち自身も「ここではわたしの能力は評価されない」と諦めてしまうかもしれません。「わたしはできない子なんだ」と思い込んでしまうかもしれません。
また、母語に通訳さえすれば、子どもは問題なく授業に参加できるのでしょうか。ある単元を学習する際には、その単元の前提となる知識が身についているか、その単元に関連する事象を経験として持っているかが非常に重要です。授業では当然、先生が日本語・日本文化をベースとしてその既存知識の活性化を図りますが、それをそのまま子どもの母語に通訳しても、子どもにはおそらく伝わりません。その子どもの学習や経験は「日本語」の中にはないからです。逆に、母語・母文化のみに焦点を当てた説明をされても、子どもはピンとこないかもしれません。子どもの現在の生活は今ここ、日本にあるからです。
例えば、算数の文章題ではよく子どもがおつかいをしているシーンが描かれますが、その子どもにおつかいの経験はあるでしょうか。母国にはそもそも子どもがおつかいをする習慣がなく、情景を思い浮かべることができないかもしれません。通訳者は、両国の言語・文化・社会的背景をよく理解したうえで、両国の言語・文化間を、子どもの状況に合わせて臨機応変に行き来しながら対応することが求められます。
(子どもたちが書いてくれた絵とメッセージ)
子どもたちは大人とは異なり、思考力・認知力の発展途上にあります。「日本語ができない」子どもたちが日本語の語彙や文法を覚えている間に、クラスメイトたちは各教科の学習を通して思考力・認知力を伸ばしています。周りの大人たちが、「日本語ができなければ勉強ができない」「母語に訳しさえすればなんとかなる」という規範意識から脱し、「子どもが既に持っている知識、経験、言語資源の全てを活用して考える力を伸ばしていく」という意識を持つこと、そして、それを実現するために学習環境を変容させることが重要です。そのための連携体制を、学校・家庭・地域が、クラス担任・日本語担当・母語指導員が取っていく必要があるのではないでしょうか。
感謝と敬意を込めて
日本は、日本語・日本文化が圧倒的な権威性を持つ、モノリンガル・モノカルチュラルな社会です。それ自体が悪いわけではありませんが、そのことが、それを持たない誰かを排除する要因となってしまうのは悲しいことではないでしょうか。日本社会において日本語・日本文化を持つ人間だということの意義を問い直し、そうでない人々の声に耳を傾け、日本語・日本文化を持つ人と持たない人がより良くともに暮らすためにはどうしたらよいかを、ひとりひとりが考えていく必要があると考えます。
「いや」「やりたくない」と大暴れしてくれた子どもたち、「先生しか聞ける人がいないんだよ」と訴えてくれた子どもたち、こうした子どもたちのおかげで、わたしはこうしたことに気が付くことができました。子どもたちへの感謝と敬意を胸に、これからも子どもたちとともに学びを重ねて行きたいと思います。(完)
近藤美佳
大阪大学大学院 人文学研究科 外国学専攻講師。専門はベトナム語教育、在日ベトナム人子弟への母語・継承語教育。
大阪外国語大学でベトナム語を学び、学部在籍中に公立小学校内に設置された母語教室で学ぶベトナムルーツの子どもたちと出会う。それ以来、ベトナムルーツの子どもたちへの学習支援活動に継続的に携わってきた。
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