アオザイに魅せられて
わたしとベトナムとの出合いは、小学生の頃に遡ります。テレビ番組で紹介されたベトナムの民族衣装アオザイに一目惚れをし、「いつかあの衣装を着てみたい」と思ったことがきっかけでベトナムに興味を持つようになりました。大阪外国語大学でベトナム語を学び、それ以来、ベトナム語という言語に、ベトナムという社会に、どうしようもなく惹きつけられ続けて今に至ります。
現在は、大阪大学外国語学部ベトナム語専攻でベトナム語を教えながら、日本で学び育つベトナムにルーツを持つ子どもたちへの教育について研究しています。子どもたちとの関わりを通じて、複数の言語・文化を仲介する訓練を積んできました。また、子どもたちと視線を合わせることによって、これまでとは異なる視点から日本社会を見つめ直したり、日本に暮らすマジョリティとしての自分の傲慢さや暴力性に気が付いたりもしました。この文章では、わたしが子どもたちに気づかせてもらったことの一端を、皆さまと共有できればと思います。
「なんでベトナム語なんかやらなあかんねん」
わたしが「ベトナムにルーツを持つ子どもたち」と出会ったのは2008年のことでした。ベトナム・ハノイでの1年間の語学留学を終えて帰国したばかりのわたしは、強烈な“ベトナムロス”に陥りました。この頃はまだ日本に暮らすベトナム人の数も現在のように多くなく、ベトナム料理店やベトナム食材店も数えるほどしかありませんでした。そんな中、大阪府内のベトナム人集住地区に位置するとある公立小学校にベトナムにルーツを持つ児童を対象とした母語教室が設置されており、そこで学生ボランティアを募集しているという情報が舞い込んできました。大阪府や兵庫県では、それぞれ経緯は異なるものの、公立学校の中で子どもたちの母語・母文化を教える活動がその当時既に行われていたのです。願ってもない機会に、わたしは迷わず飛びついたのでした。
当時のわたしに、「ベトナムにルーツを持つ子どもたち」という響きは大変魅力的に響きました。日本とベトナムを行き来する子どもたち。日本の小学校に通いながらも、家に帰ればベトナム語やベトナム料理が待っている子どもたち。心から羨ましいと思いました。子どもたちと、すきなベトナム料理の話で盛り上がれるかな、ベトナム語へたくそ~なんてからかわれちゃったりするかな……新しい出会いにわくわくが止まりませんでした。
ところが、期待を胸に教室に飛び込んだわたしを迎えたのは、子どもたちの憎しみに満ちたまなざしや、数々の罵詈雑言でした。「なんでベトナム語なんかやらなあかんねん」「こんな教室来ても意味ないわ」……そのとき聞いた子どもたちの台詞は、今でも鮮明に頭の中に蘇り、胸を締め付けます。子どもたちが抱えているものの大きさや深さを知り、子どもたちの境遇を安易に「羨ましい」などと思った自分を恥じました。
しかし、子どもたちひとりひとりと対話を重ね、関係を築いていくうちに、子どもたちが自分の立つ複数言語・複数文化環境に対して感じている複雑な気持ちや、子どもたちにそのような気持ちを抱かせる社会的な要因のようなものがだんだん見えるようになってきたのです。
「いや」「知らん」の裏側に
現在日本にあるベトナム人集住地域の多くは、ベトナム難民たちが集住し、コミュニティを形成してきた地域です。こうした地域の学校に通う子どもたちの中には、生まれたときから日本の文化や生活習慣に慣れ親しんでおり、どちらかといえば家庭や地域に在るベトナムらしさの方に違和感を覚えるような子どももいるのです。
母語教室に来ることが自分が「他と異なること」の表明になる、母語教室では自分が苦手な言語にわざわざ向き合わなければならない、母語・母文化に親しみを感じられない等、いろいろな思いから、母語教室に来ること自体に抵抗を感じる子どももいます。そもそも普段は、日本語を話し、日本人らしく過ごすことが求められ、それに必死に応じているのに、国際理解教育の時間や多文化フェスティバル等のイベントのときに限り、その国の代表として振る舞うことを求められる・・・そんな周りからの扱いに違和感を覚えたり反発をしたりする子どもは決して少なくありません。
子どもたちにはこのような複雑な思いを言語化することは難しいですから、口から出てくるのは「いや」「知らん」「やりたくない」といった言葉になります。それらの言葉を聞いた周りの大人は「この子はできない」「この子はやる気がない」「この子はわがままだ」、そう考えてしまいがちです。そして、そのようなまなざしを受けた子どもたちは心を閉ざす……そんな悪循環が起こっている現場もあります。
わたしが現在受け持っている母語教室でも、まさにこの状態に陥っていた時期がありました。一年の中でいちばんの見せ場である発表会に向けて、毎年恒例のベトナム獅子舞の練習を始めようとしたそのとき、「(獅子舞なんて)練習すれば誰だってできるよ!」と反発が起きたのです。そこで、なぜこの教室があるのか、この教室でみんなは何を学ぶのか、このメンバーだからできることは何か、このメンバーでやりたいことは何かといったことを話し合うことからやり直しました。同時に、母語教室を学校全体に向けて「開く」活動を始め、母語教室が学校の中で「閉じた」空間にならないような体制づくりを試みました。こうした取り組みを重ねていくうちに、大人にやらされてみんなに「見られる」発表ではなく、子どもたち自身がみんなに「見せたい」と思える発表の形ができあがってきました。今では、12月の発表会に向けて4月から子どもたちがアイディアを出し始めるほど、自主性と創造性の輝く舞台となっています。
(自分たちが書いた脚本に沿って獅子舞を演じる子どもたち)
「いや」「知らん」「やりたくない」の裏側にある葛藤を子どもとともに意識化すること、その葛藤をどう受け止め、どう付き合っていくかを子どもとともに考えること、そして何より、子どもたちに葛藤を感じさせている周りの環境を変化させ、子どもたちが安心して勉強や活動に打ち込める環境を整えることが、勉強や活動の前に必要であると、わたしは考えています。
(次回は、家庭の事情などから日本のことを何も知らないまま日本の学校に直接転入してきたベトナムの子どもたちについてです。ご期待ください!:編集部)
近藤美佳
大阪大学大学院 人文学研究科 外国学専攻講師。専門はベトナム語教育、在日ベトナム人子弟への母語・継承語教育。
大阪外国語大学でベトナム語を学び、学部在籍中に公立小学校内に設置された母語教室で学ぶベトナムルーツの子どもたちと出会う。それ以来、ベトナムルーツの子どもたちへの学習支援活動に継続的に携わってきた。
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