今回の「日本語教師プロファイル」では京都精華大学で教鞭を取られている住田哲郎さんにインタビューをお願いしました。京都精華大学といえば、日本で唯一マンガ学部があり、留学生にも人気の芸術系大学です。日本語教育にマンガを取り入れる実践について興味深いお話を伺うことができました。またこれから日本語教育を目指す人へのメッセージもいただきました(写真向かって左から2人目が住田さん)。
大学院に進学し、日本語教育の世界へ
――日本語教師になったきっかけを教えてください。
大学では言語学を専攻していたんですが、はじめは地元の中学校で英語の先生になろうと思って教職の勉強をしていました。そんな時に当時の指導教授が大学院を勧めてくださったんです。英語教師になるにも大学院は出ておいたほうがいいんじゃないかと。それが当時の僕は嬉しくて、結局教員採用試験は受けず、大学院に進学しました。(しかし、その後その指導教授は他大学に異動してしまう…)
―英語教師を目指されてたのが、日本語教育に変わったのはどうしてでしょうか。
たいした話ではありません。修士の時に留学生と関わる機会があって、こういう世界があるんだということを知りました。留学生との交流が楽しく、彼らが日本語や日本文化に興味を持ってくれるのも嬉しく思いました。それで自分の勉強している言語学の知識を日本語教育に活かしたいなと、ぼやっとですが、思うようになりました。修士課程修了後、たまたま神戸大学留学生センターの水野マリ子先生とお話をする機会があって、ちょうど神戸の公立中学校でJSL教室を始めるんだけど参加してみないかと誘っていただいたのが、日本語教育業界に入ったきっかけになります。そこでしばらく日本語ボランティアとして海外ルーツの生徒たちへの日本語支援をしていました。
その後、日本語学校に応募したんですが、運よくと言いますか、コミュニカ学院という神戸の日本語学校にたまたま拾ってもらい、そこで1年ほど教えていました。コミュニカでの学びは僕にとって本当に大きくて、コミュニカティブ・アプローチはもちろんですが、特に学院長(奥田純子先生)から学んだ「分かち合い」の精神は、僕の教育理念を根底で支えてくれています。コミュニカではいろいろな外部の先生を招いて、研修も数多く行われていたんですが、自分の日本語教師としての原点はこのコミュニカ学院とJSL教室ということになります。
韓国、台湾での経験
博士課程に進学してからは、この業界でちゃんと生きていこうと思うようになりました。当時から大学で働きたいとは思っていましたが、上が詰まっていて(競争相手が多く)そうそう簡単ではないこともわかっていたので、まずは何か言語を身につけること、それから教歴を増やすことが必要だと思って留学することにしました。研修で韓国に行ったことがあり、そこで仲良くなった友人もいたので、安直な考えだったかもしれませんが、留学先には韓国を選びました。1年間の留学が終わるまでになんとか就職先を見つけたいと思って頑張っていたんですがなかなか決まらず、もうダメだと諦めかけてたんですが、帰国直前になって縁あって韓国の大学に就職できました。
その後、2年の任期が終わって帰国し、母校の博士課程に戻ったんですが、しばらくしてありがたいことに神戸大学で助教の話をいただきまして、無事採用されました。あとで聞いた話では、どうやら海外(韓国)での経験が評価されたようでした。その後、博士号を取り、いよいよ本格的に就職活動となったのですが、たまたま大学院の後輩から台湾で出ていた公募のことを教えてもらい、台湾の大学に赴任することになりました。そこで4年半ほど過ごして、2017年に帰国し、今に至ります。
――韓国や台湾の経験はいかがでしたか。
それぞれ国によって制度もシステムも学生の様子も違うので、まあいい経験にはなったのですが、それよりも、自分が外国で生活していくというマイノリティとしての経験ができたことがよかったと今では思います。正直大変な経験の方が多かったかもしれません。韓国では最初学生寮に入ったんですが、新学期前の長期休暇中に行ったということもあって学生は誰もおらず、移動の疲れと寒さでいきなり初日に風邪をひいてしまいました。高熱を出して寝ていたら、部屋にネズミが出て大騒ぎ……。台湾でも最初はいろいろありました。
韓国語は少しはできたのですが、台湾に行ったとき、台湾華語はまったくゼロの状態でした。1年間何もしなかったら本当に何もコミュニケーションが取れなかったので、これはまずいと思い、自費で大学の語学センターに習いに行きました。それでやっと少しずつ周囲の言葉が分かるようになりました。でも最終的に試験の中級レベルに合格するのがやっとでしたね。ペラペラ話せるわけではありません。足裏マッサージの人と雑談できるとかその程度で。
大学の日本語クラスでの実践
――京都精華大学では留学生に日本語を教えているということでしょうか。
はい。日本人の学生が英語などを学ぶのと同じいわゆる外国語科目で全学共通教育科目です。1年生の一般の日本語科目と、2年生以上の上級科目を担当しています。基本的には4技能をバランスよく、大学で必要とされるであろう実力をつけることが目標です。特にテキストは使わずオリジナルの教材でやっています。留学生は全学生の大体3割ぐらいで、中国出身の学生が多いですが、最近は東南アジア、欧米、ロシアなど、徐々にいろいろな国から集まってきています。大学としてもダイバーシティを高めていくことを掲げています。
――日本語教育にマンガを取り入れていると伺ったのですが。
そうですね。うちの大学にはマンガ学部があって、将来マンガ家やアニメーターになりたい留学生も多いのですが、そういう学生たちに日本のマンガ文化や、役割語、キャラクター言語のような言葉についても知ってもらいたいと思ってやっています。
――キャラクター言語というのは?
マンガで難しいのは、キャラクターの言葉なんです。これは日本語学校ではあまり学ばないんじゃないでしょうか。たとえば「役割語」でいえば「わしが博士じゃ」とか、「○○ですわ」のような社会的ステレオタイプからある種のキャラクターをイメージさせるような言葉が典型ですが、普通の会話ではあまり使わないような日本語です。「キャラクター言語」というのは、もっと細かな話になるので簡単に一言では説明できないんですが、上級のクラスで扱っています。最初に簡単な講義をした後、動画を見てもらって役割語を探したり、自分の国でのキャラクターについて発表してもらったこともあります。
僕は自分の授業で日本語学習を完結させようとはまったく思っていなくて、とにかくきっかけになればいい。授業でできることは限界がありますし、実際に学生たちが、興味のあるマンガを見つけたり、自分で発見して互いにそれを共有し合うような、そんな流れを作りたいと思っていつも授業をやっています。正直学生たちから学ぶことも多いです。
うち(京都精華大学)の学生たちは子どもの頃からアニメやマンガを見ている人が多いのですが、聞いてみると、音声が日本語で字幕を見ているケースが多いです。要は子どもの頃から日本語を大量に浴びているわけです。そういう学生たちは日本語の勉強を始めて1年程度でN1に合格することも珍しくありません。共通点はやはり大量のインプットですね。何かをきっかけに開花して、疑問に思っていた謎が解ける。あれはこういう意味だったんだと、カチっとはまることがあるんだと思います。ですからクラッシェンのいう大量のインプットが大事というのは正しいんだと思います。そういうのを見ていても、マンガやアニメを見るという機会を自分で持ってもらうことが重要だと思っています。
授業で使ったマンガやアニメがきっかけで、続きを見たいとか、刺激になれば幸いですし、いろんな感覚の学生がいるので、自分の感覚でいいのでいろんな面白いものを見つけてほしいです。その一環として、最終課題で発表してもらうことが多いんですけど、その時によくビブリオバトルをやります。マンガという指定は特にしませんが、結果的にマンガを選ぶ学生は結構いますね。他には小説やラノベ、ゲーム関係の本、あとは専門書を選ぶ学生もいます。いずれにせよ友達が興味を持っているものを聞いて、自分も読んでみようと思ってくれたら、大成功!
マンガを授業に取り入れる際には
――住田さんご自身も元々マンガがお好きだったのですよね。
そうですね。小さい頃から『週刊少年ジャンプ』で育ってきていますから。ただ、本格的に授業に取り入れるようになったのは、京都精華大学に来てからです。以前からやりたいと思っていましたが、この大学に来て大義名分ができたというか、すごく歓迎されてやってくださいと言われたので、自分自身も楽しんでやらせてもらってます。研究の方でも、金水敏先生が2003年に『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波書店)という本を出されるまでは、マンガとかキャラクターの言葉は研究対象として扱えないというか、全く評価してもらえない空気があったのですが、金水先生の作ってくださった流れから今では一領域として確立してきたように思います。研究対象にしてもいいんだという……。
日本語教育の話で言えば、いくつかマンガを載せた教材もありますが、教材用に作られたものだと正直あまり面白くないんですよね。留学生にマンガやアニメ好きが多いと言われていて、それ自体は間違いではないんですが、じゃあ単純に授業でマンガを扱えば学生が満足するのかと言ったら、そんなに短絡的なものではありません。彼らが本当に好きなのは、あくまで『NARUTO -ナルト-』(集英社)だったり『ONE PIECE』(集英社)だったり『名探偵コナン』(小学館)だったり、リアル社会で売れてるマンガなわけです。ですから、大事なのは、日本語の理解が深まることで、実際に日本社会で売れている人気マンガや人気アニメをこれまで以上に楽しめるようになること。そして、結果的に彼らの興味が広がったり、日本語に触れる機会が増えればいいなと。
ただ、マンガは著作権が厳しいので難しい問題もあります。個人的にちょっとまずいなと思うのは、マンガを安易に使ってしまうケースですね。特に著作権を侵害してしまうような。僕も法律の専門家ではありませんが、いろいろ調べているとグレーなところも多くて、本当は問題だけど表面化していないだけのことも多いような印象があります。いわゆる学校法人での授業であれば、たぶんマンガを扱うこと自体には問題はないと思いますが、引用など細かいルールもあります。たとえばセリフの中を空欄にしたりして勝手に加工したり、コピーを配布してしまう等々、気をつけないと訴えられかねないこともあるんじゃないかと。著作権についてはもっと勉強して、啓蒙活動も含めてやっていきたいと思っています。
――マンガを取り入れた日本語の授業について学生さんの反応はどうですか。
温度差はありますが、「すごく感動した」とか「こういうのを求めてた」というコメントを書いてくれる学生もいます。
クリエイティブに物事を考える人を増やしたい
――これからやっていきたいことについて教えてください。
すごく抽象的で大きな話なので言葉にするのも少し恥ずかしいんですが、僕自身の最終目標は「世界中の差別をなくすこと」なんです。ただそのためには、言うだけじゃなくて、とにかく「考える人」を増やさないといけない。後は「利他の精神」をできるだけ多くの人が持つことで、それが最低条件。まずはクリエイティブに物事を考える人を育成できる教育が確立される必要があります。ただ、今はテクノロジーが進歩しすぎて、逆に考えなくてもいい環境ができつつあるので、それに抗っていかなければならないという極めて難しいミッションになっているという……。
少し話は変わりますが、例えばアニメをぼーっと見てるだけだと、基本受け身なので脳への刺激はそれほど多くありません。視覚、聴覚からくる情報をただ受け取るだけになってしまう。一方、マンガだとコマを追ったり「文字を読む」行為が必要になるので多少なりとも能動的になりますし、文字情報を脳内で処理して自分でイメージをするのでそれなりに負荷がかかります。で、この負荷がとっても大事なんです。今「タイパ」って言葉がありますが、僕はあの言葉は最悪だと思っていて、ああいう感覚の人が増えてくると「考える人」がどんどん減っていくと思います。なので、テクノロジーとの付き合い方は本当によくよく考えなければなりません。
よく日本語運用力って言われますけど、結局、経験や思考あっての運用力。ただ言語形式を覚えて、こういう場面でこう言ったら「できる」「can-do」になるだけでは不十分です。そもそも世界というのは歪なものなので、そのような単純な知識では行き詰まってしまいます。歪んだ世界の中で必要とされる他者とコミュニケーション(対話)、そのような対話のために運用力を鍛えていくという発想が必要なんだと思います。
まとめると、マンガとかアニメの面白さに触れて、それをきっかけに、みんなでいろんなものを探して考えて対話してっていう流れを作っていきたいなと、教育の面ではそんなことを考えています。また、自分自身も表現者として何か活動できればなとも思っています。
パラダイムシフトの時代に
――X(旧Twitter)でも、お考えに基づいた様々な発言をされていると思いますが。
そうですね。ストレートには書けないことも多いですが、ぼやっとでも伝わる人に伝わればいいかなと思って発信するようにはしてます。反応してくれる人はちゃんと反応してくれますし。今、日本語業界が大きくシフトチェンジしようとしています。日本語教育推進法による新しい制度に、生成AIの流れも来ていて、その二つが同時に起こりつつあります。本当に自分で考え、自分で判断して、信頼できる情報のあるところと繋がりつつ、小さなコミュニティを作って、それらがうまくバランスよくそれぞれやりたいことを実現していくというのが、僕がイメージする現段階での最適解です。
しかし、今の状況を見ると、全員がこうあるべきだ! という「べき論」を軸に流されているような気がします。AがBにただ移り変わるという思考そのものが、そもそも問題だと思っていて、同じ移り変わるにしても、これのこういうところは使って、悪いところはちゃんとそれぞれ判断して、目の前の学生に合わせて自分でブレンディングしていく能力というのが本当の専門性だと思っているんですが、それが「新しい形はどうなるんですか?教えてください」という態度だとこれまでと何ら変わらないと思うんです。
生成AIに関しても、それを使ってできることと、自分の頭(脳)を使ってできることは分けて考えたほうがいいと思います。テクノロジーを中心に据えすぎることによって本当に面白いものを享受できない(自分自身の感覚で面白いものを見つけることができない)世界になったら本当に怖いと思います。今僕たちはまさにパラダイムシフトのど真ん中にいるわけですが、だからこそ、慎重に慎重に事を進めていく必要がある。もちろん生成AIを使うのが当たり前の時代にすぐなると思うのですが、じゃあどうやって使うのかということは慎重に考えるべきだと思っています。
――留学生に教えるだけでなく、教師養成もされているんですよね。
はい、うち(京都精華大学)でもいくつか受け持っていますが、京都産業大学の方でも言語習得関連の科目を担当しています。
――今、日本語教師を目指している人に何か一言お願いします。
日本語教育業界というのは、学問的にも、経験的側面から見ても、学びがめちゃくちゃ多い業界だと思います。ですからシンプルに日本語教育の世界を楽しんでほしいなと思います。できれば、何となくでもいいので自分はこうなりたいっていう目標を持ってください。けっして受け身 にならずに自分の頭で考えて能動的に動いてさえいれば、きっといい出会いもあると思います。気の合う仲間と一緒にいろんなことをやっていったら、他では得られない素晴らしい経験ができるはずです。
取材を終えて
実は住田さんのXでの投稿をいつも拝見していて共感することが多く、お話を伺いたいと思ってお願いしました。マンガの取り入れ方について、知らなかったこともあり是非啓蒙活動をお願いしたいと思います。これからやりたい大きな目標についても心から賛同いたします。ところで、以前社交ダンスを教えたことがあると知ったのですが、そのことについては聞きそびれました。ぜひまた。
取材・執筆:仲山淳子
流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。7年前よりフリーランス教師として活動。
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