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日本で学び、日本で暮らすーマクドナルド・ミゲル・レネさん(カナダ出身)
海外から留学し、日本語を学び、日本で活躍する方にスポットライトを当てて、お話をお聞きしていきます。日本にはどんな経緯で来たの? 日本語学習はどうだった? 今は日本でどんなことをしているの? などなど、伺っていきます。これから日本語教師を目指す方も、学習者の皆さんが、どのようなバックグラウンドを持っているのか、知ってもらうことができればと思います。3回目はカナダ出身のマクドナルド・ミゲル・レネさんにインタビューしました。

初来日の印象はパチンコ屋さんのピカピカの看板。1年では物足りず、ALTとして再来日

——今日はお忙しい中、ありがとうございます。早速ですが、まず、日本語に興味を持ったきっかけや、日本語を学ぼうと思った理由などを教えてください。

はじめて日本語を勉強しようと思ったのは高校3年生、18歳の時でした。私はカナダのアルバータ州にある小さな村の出身で、村は森林に囲まれています。その森に、日本の企業がやってきて木を伐採し、いろんな製品を作っていました。ある時、高校の先生が、「外国から来た会社が、私たちのきれいな森を切ってダメにしている」と、偏見による発言をしたんです。私の母は移民で、私は黒人と白人のハーフです。小さな村に住む黒人の家族はうちだけで、小さい頃からコミュニティの中で、偏見の目を向けられることがありました。そして、高校の先生の発言を聞いて、気持ちが爆発して、その反発心から「よし、大学に入ったら日本語を勉強してやる!」と自分に約束したんです。これが日本語を勉強しようと思ったきっかけです。

——そうだったんですね。高校卒業後は、どちらの大学に進学されたのですか?

ブリティッシュコロンビア州にあるビクトリア大学付属カレッジに進学しました。2年間、日本語を勉強していたところ、日本に行くチャンスがきました。それは、夏の間、群馬県の万座でアルバイトをしてみないか、というものでした。せっかく日本語を勉強したので行ってみようと思い、ワーキングホリデービザを取得して日本に来ました。アルバイトの内容は食器洗いやカスタマーサービスなどで、そこで出会った日本人と接するうちに、やっぱり日本語って面白いと考えるようになりました。

——それは日本語自体の面白さですか、それとも、日本語を使って交流することの面白さですか?

主に後者ですね。それまで教科書でしか学んでいなかった言葉を、実際に使ってみて、「あ、通じるんだ!」とわかり、冗談などもわかるようになりました。2年間勉強したことが土台となって、毎日毎日、すごい速さで自分の日本語が進歩しているのがわかって一気に楽しくなりました。正直、最初は片言しか話せなかったのですが、少し話せるようになると単語量が足りない、もっと覚えたいと思い、持ってきていた教科書を最後まで全部読みました。

——面白い、だからさらに勉強したい、となったんですね。いいタイミングで日本に来たと言えそうですね。そうすると、あまり日本語の勉強には苦労はしなかった感じですか?

いえいえ、苦労しましたよ(笑)。何度もやめようと思いました。実は大学1年1学期が終わって2学期になるとき、日本語の授業には登録しなかったんです。でも、ティーチャー・アシスタント(TA)の日本人の先生から、「授業で見かけないけど、どうしたの?」と言われ、罪の意識を感じて1週間遅れて登録しました。その時にTAの先生に声をかけてもらっていなかったら完全にやめていました。

——声をかけてもらってよかったですね。日本に最初に来た時の印象は、どうでしたか?

空港に着いてから群馬まで電車に乗ったのですが、一番印象的だったのは、電車が止まった時に窓の外に見えた、ものすごい明るい看板です。これまで見たことのない明るさで強く印象に残っています。今思うと、パチンコ屋の看板だったと思います。その後、万座に行ったら、今度は真っ暗で何も見えない。あの明るいところに戻りたいと思いました。でも、それから3カ月、山の上で仕事して、空気もきれいで温泉も気持ちいい。働いている人たちは落ち着いた人が多く、そういうコミュニティに入って働くのは楽しかったですね。

——万座で働いた後は、どうされたんですか?

3カ月働いて帰国して大学に戻る予定だったのですが、あまりにも楽しくて、せっかくワーキングホリデービザも取得したので滞在を延長しました。万座での契約は3カ月でしたので、東京に引っ越して英会話教室の講師をしたりして過ごし、翌年の春にカナダに戻りました。でも、1年では物足りなくて、帰国の飛行機の中では泣きました。

——そんなに日本が気に入ったんですね。戻られた後は学校に復学されたのですか?

はい。付属カレッジからビクトリア大学に入り、日本語も勉強しながら、クリエイティブ・ライティングを専攻しました。日本語ですと「文章表現」などと訳されると思うのですが、ショートストーリーや脚本、ノンフィクションや新聞記事など、さまざまな文章の書き方を学びます。当時、新聞記者を目指していたので、夏休みはインターンシップで新聞社で働いていました。また、中国にもインターンシップで1年間、滞在した後、帰国して残っていた単位を取得して大学を卒業しました。

——就職活動は、されたのですか?

はい、卒業したら新聞社で働こうと思ったのですが、ビクトリアには新聞社が数社しかなく、インターンならよいが、正式に社会人として働くのは難しいと言われ、それならばもう1回日本に行こうと考え、JETプログラムに応募したんです。そして今度は札幌に住むことになりました。

 再び日本へ。日本語の勉強は村上春樹さんの小説300ページを辞書を引き引き、読破!

 

——札幌での生活はいかがでしたか?

主に中学生を教えていたのですが、小学校も高校も回りました。札幌はとてもきれいな街でした。ただ、比較的、歴史が新しいため、1000年前の建物やお寺などはないのが少し残念でした。でも、北海道は食べ物は美味しいですしスキー場も近く、アイヌ文化も少し知り、また違う日本の魅力がわかりました。仕事も忙しくて大変だったのですが、日本語もさらに使えるようになって、初めて日本語を褒められるようになりました。「日本語、お上手ですね〜」ではなくて、「あなたの日本語、もう十分ですよ」と言われるようになったんです。

——確かに「十分ですよ」は、ちょっと話せるぐらいの人には言わないですね。

はい。「コンニチハ!」と言って「上手ですね〜」と言われても、あまり褒められた感じはしませんが、「十分ですよ」と言われて、レベルアップしたと思いました。ちなみに、妻はカナダで出会った日本人ですので、日常会話は日本語です。札幌も、以前、妻が住んでいたことがあった場所で、一緒に札幌に来ました。

——大学で日本語を勉強した以外で、自分なりに工夫した勉強法はありますか?

一つは、日本人の友達が周りに多かったので、日常会話や趣味の話などは、彼らと話すことがよかったと思います。もう一つは、日本の詩や小説を読んで勉強しました。特に村上春樹さんの小説やショートストーリーが好きで、300ページほどある小説を辞書を引きながら最後まで読みました。

——最後まで読み通すのはすごいですね! しかも、村上春樹の小説は、独特な言葉も出てきてかなり難しかったのではないですか?

そうですね、「形而上」とか。でも、アメリカの音楽やカルチャーが出てきますので、感覚としては海外の小説に近い感じがして、そういう意味では大江健三郎より親しみやすかったです(笑)。あとは、日本語能力試験の勉強もしました。

——それも独学ですか?

いえ、やはり先生が必要だと思って、札幌にいる時に教えてもらい2級に合格できました。その後、2年かけて日本語教室に通いながら1級を目指しましたが、2回落ちました。合格は、ALTの仕事が終わって横浜に引っ越してから。今度は、独学に戻り、毎日夜中1時ぐらいまで勉強して、やっと3回目で合格することができました。

——1級は、どのあたりが難しかったですか?

2級とのギャップが大きいことですね。1級は単語数も多く、文法も難しい。あとは読解です。読んで理解するだけではなく、早く読まなければならない。そこが難しかったです。でも、いろんな方にお世話になり、勉強したことが積み重なって合格できたんだと思います。

 AIchat.GPTの登場で激変した仕事環境。翻訳・通訳の未来と、ミゲルさんのミッションは?

 

——1級に合格するのは本当に大変なことなので、すごいですね。次は、お仕事の話を伺います。今は、IT企業で翻訳・通訳のお仕事をされているとお聞きしましたが、具体的にはどのようなことをなさっているのですか?

日本のIT業界は、海外出身のエンジニアが多いのですが、彼らはITのエキスパートではあるものの、必ずしも日本語ができるとは限りません。そこで、彼らが理解できるよう、チームとチームの間に立って経営陣からのメッセージなどの翻訳をして伝えたりしています。とても大事な仕事でやりがいのある業務だと思っています。

——社内的なコミュニケーションのサポートをされているイメージなのでしょうか?

そうですね。あとは、近年、AI技術が進み、特にchat.GPT202211月にリリースされて徐々に仕事のやり方が変わって来ました。その変化は今後も止まらないと思うのですが、変わらないのは日本語のわからない人と日本語を使える人が一緒に仕事をしなければならないことです。日本の人口は減り始め、逆に海外からの労働者はどんどん増えるでしょう。かつて日本語を学んだ立場として、歓迎されやすい日本語でサポートしたいと思っています。

——話が遡りますが、今のお仕事をしようと思われたきっかけは、どのようなことだったのですか?

翻訳は、英語や日本語の原語が理解できることも大切なのですが、実はライティングの技術が必要なんです。原文通りに訳しても読みにくければ、誰も読んでくれません。私は、子どもの頃からストーリーを書きたくて大学でライティングを専攻し、読みやすい文章を書く技術を学んだので、それを活かせると思いました。

——子どもの頃から好きだったこと、大学時代の専攻、そして日本語を学んだことがうまく融合しましたね。

はい。時間はかかりましたが、そうですね。日本語と英語は1語と1語を対応させて、ただ訳せばよい言語ではないですから、ニュアンスや細かい点まで伝わるかを考えて訳す必要があります。そこは機械翻訳の技術が発達しても、なくならないところだとは思いますし、培ってきたライティング技術を活かせる部分だと思います。たぶん今後はもっと機械翻訳が使われるようになって、自分の気に入ったツールを使って自動翻訳し、それをチェックするという形に変わっていくと思われます。日本には、これまでにストックされた技術やアイディアがあります。それを世界に伝えることが私の今後のミッションだと思っています。

——日本での生活も、結構長くなってきたと思いますが、来たばかりの頃や短期間滞在していた頃と比べて、気持ちの違いはありますか?

もう日本で暮らして20年近くになりますから、最初にキラキラの看板を見た時の感動や「毎日がピカピカ」ということはなくなりました。少子化や、外国人労働者に対するよくない感情を持つ人がいることなど、日本社会の問題が見えてきた部分もあります。まあ、日本に限らず、人がいる所で完璧なところはありません。でも、ずっとなんでも素晴らしいと思う人は、いつか現実にぶつかって泣いて帰ることになる。いいところも悪いところも含めて好き。好きなところがたくさんあるから、ちょっとぐらい足が臭くても大丈夫(笑)。

——面白い例えですね。

子どもが今、18歳と15歳なのですが、彼らが日本で生まれたのも大きいかもしれません。

——もう、日本語に対する不安は感じないですか?

いえいえ、まだ読めない字はたくさんありますし、古文も読めないですし。多分一生かかるでしょう。だからこそ、面白いともいえます。

——古文までとはすごいですね! 今日はこれまで日本語を学んでこられたミゲルさんの思いや、お仕事に対するお考えなど、貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

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