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日本で学び、日本で暮らすー周明靜さん(台湾)

 

海外から留学し、日本語を学び、日本で活躍する方にスポットライトを当てて、お話をお聞きしていきます。日本にはどんな経緯で来たの? 日本語学習はどうだった? 今は日本でどんなことをしているの? などなど、伺っていきます。これから日本語教師を目指す方も、学習者の皆さんが、どのようなバックグラウンドを持っているのか、知ってもらうことができればと思います。2回目は台湾出身の周明靜さんにインタビューしました。

 日本語学習のきっかけは、宇多田ヒカルと「一期一会」

——周さん、今日はお仕事の後、お疲れのところ、ありがとうございます。早速ですが、まずは周さんが日本に留学しようと思った理由や日本語を学ぼうと思ったきっかけなどを教えてください。

はい。まず、留学のきっかけをお話します。大学進学にあたり、最初は台湾の大学で、日本語を勉強しようと思っていたのですが、叔父さんから「日本語を勉強したいのであれば、日本に留学したほうが早いのではないか」という提案がありました。台湾では日本留学のための説明会がたくさん開催されていますので、聞きに行き、北海道と東京にある学校を候補に選びました。それから、日本人と結婚して東京に住んでいるいとこのお姉さんに、どちらがよいか、意見を聞き、東京工科大学付属日本語学校で学ぶことを決めました。父も「いとこがいるから」ということで、東京の学校がいいだろう、ということになりました。

——そもそも日本語を学ぼうと思われたのはどうしてでしょうか?

いくつか理由があるのですが、一つは、小さい頃から日本のアニメを見ていたことや、宇多田ヒカルの『First Love』という歌が好きでよく聞いていたことがあります。また、英語とは違う言語を勉強してみたいとも考えていました。もう一つは、テレビのニュースで、日本の茶道について紹介していたのを見ていた時に、「一期一会」という言葉が出てきました。「人とは一生で一回しか出会えない」という意味だと思うのですが、この言葉が好きになりました。そして、日本で日本語を勉強して、いろんな人に出会いたいと思ったこともきっかけになりました。

——来日前は、日本語はどのぐらい、勉強されていたんですか?

実は「あいうえお」しか勉強していなくて、カタカナも少し、簡単な会話も少し勉強しただけでした。

——日本に来ての生活や学校生活はどうでしたか?

旅行で来るのと生活するのとでは、全然違うと思いました。観光ですと日本語を話す人がついて説明してくれますが、生活となると、お金も節約しないといけないですし、自分一人でイチから最後まで全部やらないといけません。買い物でも、買いたい物をボディランゲージで説明したりしたこともありました。学校に入ってから、一度、風邪を引いてしまったのですが、その時は不安でした。学校の先生に相談すると、病院に付き添って診察の間も待っていてくれていて、優しい先生で本当によかったです。

——日本語学校での勉強はどうでしたか? 苦手だったことや、自分なりに工夫した勉強法などはありますか?

授業は、先生がゆっくり、やさしい言葉で説明してくれるので大丈夫でした。前の日に勉強したことを次の日の小テストで、自分がどれぐらいできるか確認できました。ただ、文法は苦手で苦労しました。そこで、文法を1つ習ったら、家に帰ってそれを使った例文を2つ作るようにして、次の日、先生に見てもらい、合っているかどうか確認して覚えるようにしました。3カ月に1回ある達成テストも無理かもしれない、同じクラスをもう一度取らないといけないかもしれないと思ったことがあったのですが、無事、合格することができました。

——一生懸命、勉強したかいがありましたね。次は進学について伺います。進学先はどのように決めたのでしょうか?

高校が美術系の学校でしたので、物を作ったり絵を描いたりということを勉強していました。小物作りも好きだったので、そういう仕事をと思ったのですが、就職先は少ないだろうということがあり、迷いました。進学先を探す中で、「東京モード学園」の見学・体験に行き、インテリア・デザインのコースでは、絵を描くことや小さい物を制作することもできるということがわかり、進学先に選びました。

好きなインテリア・デザインを学び、就職はインターンシップが縁で模型づくりの会社に

 

 

——専門学校での勉強はいかがでしたか?

1年目は、最初は簡単な図面の書き方や、四角や丸などの基本的な形を手書きする技術などを学び、後半からパソコンを使用し始めます。また、模型の作り方も学びます。その他、内装については床や壁の素材、防火などの安全面のこと、さらに建築についても学びます。2年生になると、住宅系かショップ系かを選べるので、私は住宅系を選びました。自分の家をデザインするようで、とても楽しかったです。

——専門学校の授業、日本語については、いかがでしたか? インテリア・デザインというと、カタカナ語や専門用語もたくさんあると思うのですが……

専門用語の本が配布されて、週1回、専門用語のテストがありました。そこで点数が低いと再テストになり、それを繰り返します。カタカナ言葉は難しかったですね。それは今もです。授業の日本語は、外国人学生がクラスの半分ぐらいいたので、先生も難しい言葉はやさしく説明してくださいましたし、わからないときは、日本人のクラスメートに聞いて教えてもらったりしました。

——卒業制作は、どのようなものを作ったのでしょうか?

 

テーマがいくつか示されて、各自がやりたいものを選びます。同じテーマを選んだクラスメート5、6人でグループになり、模型を制作していきます。私は、日本人2人、中国人2人と5人グループで、休憩スペースというテーマで模型を作りました。授業後も学校に結構、遅くまで残ってディスカッションをして作り上げました。大変でしたが、終わったときは、すごく解放感がありました。

——就職活動は、どのように進めたのでしょうか?

2年生の春休みに、いろんな会社に実際に行って働く体験をするインターンシップ制度がありました。自分で行ってみたい会社を探して学校の先生に相談すると、学校からその会社に連絡をしてくれて、受け入れOKであれば、そこで働くことができます。今、勤めている会社は、その時に行った会社でした。インターンシップの後、社長さんが私の働く様子について「周さんは真面目に働いてくれました」という評価を書いてくれました。でも、それですぐに決まったわけではなく、他の会社の面接も2、3社受けましたし、もう一つ、家具を作る会社にもインターンシップで行ったのですが、最終的に、今の会社に決まりました。

マンションの模型づくりで植栽を担当。「サクラ」も要望によって作り方・材料を変えて

——今は、就職して何年目になるでしょうか? また、現在、どのようなお仕事をしているのでしょうか?

就職して今年で9年目になります。うちの会社は、マンションを売るための模型を作る会社なのですが、今の私の主な担当は、マンションの周りの植栽を作ることで、花や木などを作っています。入社したときは、外観を担当したいと思っていたのですが、植栽を作る人が足りないので、やってみますかと言われて、やってみることにしました。時々、インテリアを作ることもあって手伝うこともあります。

——働き始めて、大変だったことや、日本語で苦労されたことなどはありますか?

専門学校で勉強したことと、実際に会社や仕事で話すことは、全然違うことですね。先輩が言った言葉がわからないとき、そのままでは間違ったものを作ってしまうことがあるので、すぐに聞くようにしています。先輩も、私の表情を見て、理解できていないと思ったときは説明してくれます。例えば、作る模型も、担当する会社によって違いがあって、シンプルに作る場合もあれば、とても繊細に作らないといけない場合もあります。サクラの木であれば、シンプルな模型の場合は枝にピンクの綿をつけ、パウダーをつけるのですが、繊細な物の場合は、ヤマザクラだと緑の葉をつけたり、花の部分を綿で作った後、細かくハサミを入れて少しすき間を作って小粒のパウダーをつけて本物らしくすることがあります。このように求められる物によって使う材料も違うので、そこは確認しないといけません。

——同じサクラの模型でも、そんな違いがあるんですね。知りませんでした。

あと、難しいのは、お客さんの中には、シンプルな物がいいのか、繊細な物がいいのか、「どちらでもいいですよ」という人もいて、先輩も「じゃ、どちらでもいいよ」というときがあって、こういう場合は、どちらがいいのだろうと迷うことがあります。違う物を作ってしまうと、作り直しになりますから、曖昧なときは大変です。

——外国人の社員さんは、ほかにもいるんですか?

いえ、私1人です。社長をはじめ、先輩も皆、日本人で、いろいろ教えてくださいます。

「働くお母さん」としての苦労も……

——周さんは、今、4歳と7歳のお子さんがいらして、子育てもしながらお仕事をされていると伺いました。子育てと仕事の両立だけでも大変だと思いますが、自分の生まれた国ではないところでとなると、さらに大変なこともあると思います。苦労されていることはありますか?

結婚したのは入社した翌年でした。夫は台湾出身で、日本語学校の1年後輩です。出産後、大変だったのは保育園になかなか入れなかったことで、育児休暇を延長して1歳半でやっと入れました。ただ、保育園に入った後も送迎があり、時短勤務ができないか、社長に相談したところ、認めてもらえて、9時半から16時の間で働いています。

——理解のある社長さんですね。保育園で使われる日本語で難しいことはありますか?

保護者会で、グループに分かれて話し合いをすることがあるのですが、それが苦手です。でも、私が話すのを聞いて、日本人ではないとわかると、やさしく言い換えて話してくれます。皆さん、優しいです。

——上のお子さんはもう小学生ですよね。日本の公立学校に通っているのですか?

いえ、日本国内にある台湾システムの小学校に通っています。台湾、日本、中国の子どもがいて、台湾人の先生もいます。授業は基本的に中国語で行い、日本語、英語の授業もあります。日本語だけしかできないと、台湾にいる祖父とコミュニケーションができなくなってしまう、それは残念なことなので、下の子もこの学校にと思いますが、試験があるので、入れるかどうかはわかりません。

——今後のこと、あるいは将来的に、こんなことをしていきたいということはありますか?

子育てについては、学校の長い休みの間は預けられる学童も閉まってしまい、社長に相談して会社に一緒に連れてきています。ただ、下の子が小学校に入ってからも送迎の問題は続くので、学校の近くで働けるようにしたほうがよいのだろうか、でも好きなインテリアの仕事も続けたいと悩むことはあります。たまに送迎の自転車に乗りながら、「独身だったらどうだったかな」などと、ふと考えることもあります。さらに将来的に台湾に戻るかどうか、迷うこともありますが、交通安全の面で台湾と日本を比べると、日本では子どもが横断歩道を渡る時、車はきちんと止まりますが、台湾ではそうではない。そういったことを考えると、今は日本のほうが生活がしやすいと感じますね。

——悩むこと、迷うこともありながらも前へ、という感じですね。今日は貴重なお話、ありがとうございました。

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