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日本で学び、日本で暮らすーラマ・ユバラジさん(ネパール)

 

海外から留学し、日本語を学び日本で活躍する方にスポットライトを当ててインタビューしていきます。どんな経緯で日本に来たの? 日本語の学習はどうだった? 今はどんなことをしている? など聞いていきたいと思います。これから日本語教師を目指す方も、学習者にはどんな背景があるのかを知ってもらうことができればと思います。初回はネパール出身のラマ・ユバラジさんに登場いただきました。

思ったより大変だった日本の生活

――ラマさん、今日はよろしくお願いします。ラマさんはネパールの出身ということですが、どんなきっかけがあって日本に来ようと思ったんですか。

住んでいた地域の近くに、日本人が支援した学校があったんです。遠い国から来て支援をしていて、どうしてだろうと思っていました。また、ある時は観光で来ていた日本人の方が学校にお金を寄付したこともあって印象に残っていました。

もともと国外で教育を受けたいと考えていたのですが、そんなこともあって留学するなら日本がいいと思いました。

――日本に来てみて、日本の生活や日本語学校での生活はどうでしたか。

最初はそんなに困ると思っていなかったんです。でも実際は来て2、3カ月は大変でした。ひらがな・カタカナは読める状態で来ましたが、スーパーでの買い物などが分からなくて。ネパールでは大抵カレーを食べるので、買い物するときも「今日は何のカレーにしようかな」と具を選ぶぐらいなんですが、日本のスーパーは置いてある食材の種類が多くてどこに何があるか分からない。それで肉が安いな、と思っても100g単位の表示だったりして。英語が通じないので道を聞きたくても聞けないし、最初はホームシックになっていました。

アルバイトも日本語ができないと見つからないので、頑張って勉強しないと、と思いました。教室だけでの勉強では足りないから、家でも学校で学んだことを復習して、漢字は1日1時間ぐらい勉強しました。基礎的なことを学ぶのに3、4カ月かかって、5、6カ月で友達ができてきました。クラスメイトは中国、タイの出身の人が多くてネパール人は私ともう一人の友達がいました。ネパール人は少なかったので日本語で話すしかなかったのもよかったと思います。

アルバイトでは車の部品を作っていたのですが、職場でおばちゃんたちと休憩中に話したり、移動の電車内では本を読んだり、大きな看板を読んでことばが分からなければ調べたり、というように日本語を学んでいきました。

ネパールとは全然違って戸惑った、日本の進学の制度

――日本語学校を卒業した後の進路についてはどうやって決めたんですか。

それが、日本とネパールでは制度が全然違うんです。ネパールは学校を卒業した後に進路を決めればいいんですが、日本では在学中に決めなければいけなくて。2013年の2月に来日して、その年の6月ごろには決めなくてはならないと知って本当にびっくりしたし、困ってしまいました。同じような人は結構多いと思います。

経営学を学びたいという目標はあったんですが、どこに行ったらいいかということは全く考えていなくて、詳しいことが分からなかったので、とりあえず一緒にいた友達が紹介してくれたITビジネスの専門学校に入りました。そこでは、簿記とか会計、プログラミングなどを学ぶことができました。もともと大学に入りたいと思っていたので、専門学校の先生たちにも相談して、経営学を学ぶために3年から大学に編入することができました。そして、そのころには日本語も上達していたし、修士までは取りたいと思って、ゼミの先生とも相談して大学院に入りました。

日本の企業と外国人をつなぐ架け橋に

 

――会社を立ち上げるまでの経緯を教えていただけますか。

専門学校時代からボランティア活動をしたり、国際交流協会からの派遣で市内の小学校や高校などで自分の国の文化を教えたりしました。その中で、今の勉強だけでは足りない、日本のこともしっかりと知っておかないと就職するにも問題が発生すると気が付きました。それで大学に入ってからはホームステイを体験したり、大学院のときはコンビニやホテルでインターンシップに参加したりしていました。

そして就職活動をしているタイミングで、専門学校時代の友だちから派遣業務の会社を一緒にやらないかと電話がかかってきました。私は自分が日本に来たばかりで日本語ができないときに困っていたので、就職して数年後には今度は自分が日本の企業と外国人をつなぐ架け橋みたいなことができるかな、と思っていたところでした。そんなときに友だちから提案があったんですね。

――今の会社は具体的にはどういう業務をやっているんですか。

有料職業紹介事業、派遣労働者事業、登録支援機関の三つの事業の許可を得ていますが、メインとしてやっているのは派遣事業です。製造業だと日本語があまり必要ないから、そういう会社を探して営業して、うちらのところから何人紹介できるけどどうですか、今は日本語があまりできていないけれども、仕事内容などは自分たちで細かく説明して仕事ができるようにします、と提案します。それだけではなく、行政手続きや、2021年ごろはコロナ禍で困っていた人も多かったので、保健所に代理で電話したりというサポートも行いました。

自分の経験では、日本語能力試験2級を持っていても、コンビニで他の外国人のスタッフがいないという理由で受け入れてもらえませんでした。ですので受け入れ側も不安がないように、しっかり翻訳・通訳等をして派遣先へ派遣しようと思って派遣業をスタートしました。

それで、留学生または他の外国人に基礎のマナーと仕事のやり方を通訳してあげれば、スーパーは仕事自体は難しくないので、最近は留学生にスーパーの仕事を紹介しています。そして派遣先には週1回とか、訪ねて行って「調子はどう?」と状況を聞くようにしています。日本語が分からないから、ただ知らないからという理由でやりたいわけじゃないのに、ずれたことをしてしまうこともあるし。

例えば、日本ではトイレに入るとき、靴を履き替えなくちゃいけない場合がありますよね。こういう習慣を知らないことは、見た目は小さいけれど後で結構問題になってきます。自分のときは、そういうことを教えてくれる先輩はいなかったから苦労しました。だから週に1回訪問して、今教えるべきことを教えればその人たちの将来にもつながると思って、やっています。

――ラマさんはこれからも日本に住み続けますか。今後の展望はありますか。

 

会社を立ち上げて5年なので、今はこの会社を大きくしていきたいです。地域への貢献活動もしていきたいと思います。そしてもっと先の話ですが、私はホスピタリティ産業にも興味があって、ずっと居酒屋とかスーパーとかコンビニとかで働いていて、大学でも日本のホスピタリティ産業について論文を書いていたし、大学院でもネパールのホスピタリティ産業について書きました。ですので、いずれネパールでホテルを立ち上げたいな、ということを考えています。

――素敵ですね。今はとにかく会社のほうを全力で、ということですね。最後になりますが、ラマさんから、日本の社会や、これから日本語教師になる方、今、日本語教師をやっている方に対してメッセージはありますか。

日本の社会に対しては、仕事は真面目に取り組んでいて、仕事をメインに考えている方々が多いのですが、もっと地域の活動などにも参加して、交流してほしいと思っています。そして、日本で生活する外国人のことをもっと知ってほしいです。

日本語の先生についてですが、最近は若い子も結構来ているので、留学生にとって、日本語学校の先生は親みたいなもの。ここでどういう指導をするかが人生に関わってくると思います。特にネパールから来る人は日本で生活することがどういうことかしっかり調べないで来る人も多いいんですが、例えばガス・電気の使用法などについても日本とネパールでは全然違うんです。ですので日本の生活のことや日本の文化を含め知る機会を作ってほしいと思います。あとは学校を通じて地域へのコミュニケーション、社会へのコミュニケーションを進めてもらえると、地域に住む人も外国人も安心して暮らすことができると思います。

――今日はどうもありがとうございました。

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