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日本語教師プロファイル岡宮美樹さん―「日本語」にこだわりすぎない日本語教師でいたい

 

今回「日本語教師プロファイル」でご紹介するのは長野県にお住いの岡宮美樹さんです。岡宮さんは長野工業高等専門学校の留学生に教えながら、長野県地域日本語教育コーディネーターや「にほんごプラス」の主催者としてもご活躍です。最近、草鞋を履き過ぎて忙しいとおっしゃる岡宮さんにこれまでのキャリアやこれからやりたいことについて伺いました。

教育実習で外国人生徒に会って

――日本語教師になったきっかけを教えてください。

元々は中学校の国語教師になろうと思っていたんです。それで長野県にある母校に教育実習に行きました。その時、1年生が200人ぐらいでしたが、そこに3人ブラジル人の生徒がいました。田舎の学校にしてはなかなかの割合だなと思って。東京の大学で学んでいましたが、地方にもそんな波がきているんだと感じました。

その3人の生徒は、同じブラジル人だけれども3人ともバックグラウンドが違って、日本語力も違いました。一人は小学校1年から日本にいて、とても優秀でした。もう一人も1年生から来ていたけれどついていくのがやっと。さらにもう一人は中学から来たので日本語が話せませんでした。ある時、私が学内を歩いていたら、その子が外にいたんです。授業中なのにおかしいなと思って声をかけると、特別支援学級の子たちとサッカーをしていたと。クラスが国語か社会で日本語が分からないだろうからサッカーをしていいよと言われたそうなんです。それを聞いて、あれ? と思いました。一番日本語を勉強していかなきゃいけない子がどうしてこういうことになっているんだろうかと。今から20年以上前のことなので、先生方も何をしていいか分からない状況だったとは思うんです。長野オリンピックが開催される前で多くの働き手が必要で、ちょうど入管法も改正され日系人の方々が来日しやすくなっていました。それで町全体で外国人が増えていた頃です。

そういう人たちがいるのにどうして日本語教育がきちんとなされていないんだろうと気になっていました。教育実習が終わって大学に帰りましたが、私の大学は運よく副専攻で日本語教育が取れたので、先生にも相談し、日本語教育の世界に飛び込んだんです。

日本語学校で日本語教師デビュー

――大学を卒業してからは?

長野県で外国人労働者が増えていた時期だったので、その家族である年少者の日本語教育について学びたくて、信州大学の大学院に進みました。1年ぐらいは真面目に通っていたのかな。大学の方で残っていた副専攻の単位が取れた後は、非常勤講師として日本語学校で教え始めました。あの頃は、日本語教師の就職先って日本語学校しかありませんでしたよね。そうしたら、そこで教えるのが楽しくなっちゃって。大学院の方は休学したりしながら4年間いましたね。日本語学校は中国の学生が多かったのですが、いろんな人がいるんだと学ぶことも多かったです。それと並行して地域の日本語教室でボランティアもしていました。

大学院を卒業後は新しい学校の専任となったのですが、その後、誘われて日本語教師以外の仕事もしました。オリンピックの時に長野市内の小中学校にLANを入れて、全学校にコンピューター室も作ったんだけど、全然活用されていない。それを活用するために、メディアコーディネーターといって、小中学校の先生と一緒にパソコンの使い方を教えたり、先生方にパソコンの活用を教える仕事でした。パソコンは好きだったので、そんな仕事なら面白そうだと思って。小中学校に出向いて行って、学校用のソフトを使って、名刺を作りましょうとか、キーボードの使い方を覚えましょうなどとやっていました。

外国人として生活するためにブラジルへ

――その後、ブラジルへいらっしゃったと伺ったのですが。

メディアコーディネーターをやりながら地域の日本語教室のボランティアは続けていました。長野県の上田市は外国人集住地域の一つなのですが、そこでブラジルの方たちに教えていました。私は、良かれと思って「日本の学校に行かなきゃだめだよ」とか「日本語を覚えなきゃだめだよ」って言っていたのですが、なかなか響かない。逆にブラジルの方から「日本人は厳しすぎる」「冷たい」などと言われることもありました。私は「なんで? ことばは必要でしょ? 教育は必要でしょ?」と思っていたのですが、待てよ、そう言えば私、「外国人として海外で生活したことがない」「ポルトガル語喋れない」。なんか自分より年上の人に対して偉そうだったんじゃないかって気づいたんです。

これは、まずい。じゃ、私もブラジルへ行ってみようと思いました。でも当時飛行機代が高くて、どうしようかと思っていた時、JICAの日系社会青年ボランティアの募集を見つけたんです。それで、これに行こう! と思いました。運よく合格し、事前研修を受けて、ブラジルのパラナ州に派遣されました。こちらでは日本語を教えるだけでなく、文化なども教える、言ってみれば小学校の先生のような活動内容でした。

異文化接触を身をもって経験

 

――ブラジルはいかがでしたか。

実は想像以上に大変でした。事前研修でポルトガル語は学んでいくのですが、それでも。ですから日本語が分からないまま日本に来て、仕事をしている人は本当に大変だと思います。

異文化理解の勉強で学ぶUカーブありますよね。異文化適応のプロセスの。私の場合、あれの通りだったんです。ブラジルに行きたくて行ったので、すべてが楽しいハネムーン期があって、その後、仕事を始めると、あれ? ということが増えた。「時間も守らないし、言っていることも違っているし」と、どんどん下がって行きました。帰りたいとまで思いました。でも、あのUカーブを知っていたので、また上がり始めることも分かっていました。まだこの辺なんだな、これって必要なんだなと自分に言い聞かせていました。

日本に帰ってきてから、外国の方に会った時、もしかしたらこの人はUカーブのこのあたりなのかもしれないと思うようになりました。「日本はこうなんだから、こうしなくちゃいけない」ということを言わなくなりました。「そう、辛いよね、大変だよね」ということを口先だけでなく心から言えるようになりました。言葉が使えないことの苛立たしさ、情けなさ、子どもを持ってからは子どもを守れない不安感も分かるようになったんです。

この経験は日本語教室でも留学生に教える時にも役に立っていると思います。

日本語教師と地域日本語教育コーディネーターと

――ブラジルから帰国されてからは?

帰国してから、また非常勤として日本語学校で働き始めたのですが、結婚、出産、子育てがあって、一時日本語教師は辞めていました。その後、声をかけてもらって、今の国立長野工業高等専門学校で非常勤講師として日本語を教えるようになりました。

――地域日本語教育コーディネーターの研修も受けられたんですよね。

はい、長野県でまだやっている方が少ないので、受けておいたほうがいいのかなと思いました。受けてから半年後ぐらいに県の方から声をかけてもらってコーディネーターとして活動するようになりました。その活動の中にオンライン日本語教室の立ち上げがあります。長野市の方と相談、協力しながら、近隣の市町村も巻き込んで。村が独自に日本語教室を立ち上げるというのはとても難しいので長野市の担当の方が動いて広域でできるようにしてくれました。現在は北信地域、長野圏域の9市町村が一緒になって日本語教室を運営している形です。令和6年度には文化庁からも好事例として取り上げてもらっています。

――他にはどのような仕事をするのですか。

地域の日本語教室へのアドバイスや新しい事業、教室の立ち上げの相談に乗ったり、自治体などが外国人に向けて日本語支援をする時、困り事などを聞き、こうしたらどうですかと提案したりします。日本語を手掛かりにして多文化共生の社会を作っていくという長野県の姿勢に賛同しているので、その仕事に関われるのは幸せです。

ただ「日本語教室」と銘打ってしまうことには、実は少し抵抗もあって。「教室」だとどうしても何かを教えなきゃいけない、何かを分かるようにしてあげなきゃと思ってしまうのですが、今の時代はそこじゃないんだよなと思っています。そうじゃなくて地域の住民としてどうやってQOLを上げるかが大切なのに、「ここは『て』だよ」とか「ここは『は』じゃなくて『が』だよ」はちょっと違うかな……と。そのあたりをほぐせるといいなと思っているんですが。

にほんごプラスの活動

 

――個人事業として「にほんごプラス」も運営しているそうですね。

そうですね。地域のコーディネーターでは難しい部分を「にほんごプラス」でやっています。これは私の個人事業のサービス名なのですが、元々は長野市を中心として日本語教師のネットワークを作りたかったんです。日本語教師の資格は持っているけど一歩が踏み出せないとか、以前教えていたけれどやめてしまったとか、そんな方々と勉強会をしたいと思っていました。それが、意外といろいろなところから声をかけてもらい、今は日本語を教えることもしますが、日本語の支援者や教師の方々のバックアップをしたりしています。最近では、日本語ということにこだわらず、私のやりたいことをやっていますね。例えば、インドネシアの方を先生に呼んで、チキンスープを作って、食べるだけの会とか、ある日本語教師の方が、中国のあのおいしい餃子をお腹一杯食べたい! と言ったので、じゃ、それイベントにしましょうと。中国の方にお願いして皮から作ってというのもやりました。

「にほんごプラス」というと日本語教室をやっていると思われがちなんですが、最近は多文化共生だったり、多文化を体験できる教室という形になってきました。私には日本語にこだわり過ぎない教師でいたいなという気持ちがあります。もちろん日本語を軸にしながらも、日本語で相手や自分を縛り付けないようにしたいんです。

若者たちを育てていきたい

――これからやっていきたいことはありますか。

「にほんごプラス」でそろそろ若者たちを育てていきたいんです。交流員でも支援員でもなく、「グローバル・バディ」という名称にしたのですが、相棒という形で外国人と日本人の若者が一緒に何かをやっていくという感覚の人を育てたいです。

名付けて「グローバル・バディ・プロジェクト」です。11月に長野市で「ワールドフェスタ」というイベントがあるのですが、そちらに「にほんごプラス」で出展して留学生とバディを組んで企画から準備、運営をお願いしようと思っています。既に日本人の学生さんが集まっているので、これから顔合わせです。

長野高専の方でも1か月に1回、日本人の学生に会話の授業にボランティアで入ってもらっています。私だけの意見より、いろいろな若者の意見を聞いたほうが、留学生にも説得力がありますし。日本人の学生にとっても、面接のやり方などきちんと習っていなかったことがわかったと好評です。

――これから日本語教師になりたい人に何かアドバイスがあればお願いします。

いろんな視点でものごとをとらえてほしいということです。

大学で留学生の授業をやっていた時、ロシアの学生とウクライナの学生がいて、とても仲がよかったんです。でも戦争が始まった途端によくない関係になってしまいました。その時、日本語教育の現場って、世界の最前線なんだなと感じたんです。だからこそ、日本語教師には世界平和を考えるマインドを持ってほしい。世界平和について考えていける人、いろんな立場の人が教室にいることを常に意識できる人。そういうことを強く感じています。いろんな視点で見られる人になってほしいですね。

また日本語教育の楽しさ、奥深さを伝えるのはもちろんですが、ちゃんと働ける場所なんだよ、いい環境なんだよということも言い続けたい。私自身も頑張ってそれをお見せできるようにしていきたいです。

取材を終えて

「ブラジルに行く前、子どもの日本語も地域日本語教室も労働者の日本語も留学生の日本語も、やりたいことは全部やっていた。それでも自分は何も取り柄がないなと悩んでいた時期もあったけれど、今考えるといろいろやっていてよかったのかなと思う」とおっしゃっていました。最近は忙しすぎてお休みしているそうですが、ポッドキャスト「コーヒー片手に日本語教育ニュース」やラジオもやっていらっしゃいましたよね。復活を期待しております。

取材・執筆:仲山淳子

流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。7年前よりフリーランス教師として活動。

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