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日本で学び、日本で暮らす―オスカル・グラナドスさん(コスタリカ)
海外から留学し、日本語を学び、日本で活躍する方にスポットライトを当てて、お話をお聞きしていきます。日本にはどんな経緯で来たの? 日本語学習はどうだった? 今は日本でどんなことをしているの? などなど、伺っていきます。今回はコスタリカ出身、現在、出版社アルクの日本語営業チームのメンバーである、グラナドス・オスカルさんにインタビューしました。

人生で大事なことは、日本文化センターで日本語を学ぶことで学んだ

——オスカルさん、今日はありがとうございます。オスカルさんは、母国で日本語教師をなさっていたと伺っています。そのお話や現在のお仕事のことなど、伺えればありがたいです。まず、日本語との出会い、勉強しようと思ったきっかけなどから教えてください。

日本語との出会いは15歳の頃でした。テレビで日本政府製作のドキュメンタリー番組が放送されていて、それを通して、高齢者を敬う文化があること、経済が発展しているなどを知り、よい印象を持っていました。当時、私が通っていた学校は、ドイツ人が管理する学校で、数学や科学の授業はドイツ語、日常的に使うのはスペイン語、その他、英語を学んでいて、もともと語学が好きだったんです。次に何語を勉強しようかと考えたとき、日本に対する憧れや日本を知りたいということから日本語を学びたいと思うようになりました。

ただ、それが高校2年、大学入試を控えた時期で両親からは受験に集中しなさいと言われてしまいました。でも、なんとか勉強したいと思っていたときに、新聞で首都・サンノゼに「日本文化センター」という日本語学校があることを知りました。大学に行かないと日本語は学べないと思っていたのですが、こういうプライベートの学校で学べるとわかり、両親には必ず大学は合格してみせるからと説得し、日本文化センターで勉強することになりました。

——日本語を学びはじめて、いかがでしたか。

クラスメイトは社会人や大学生など、私より年上の方が多かったです。実は小学校5年から高校卒業までクラス替えがなかったため、新しく出会った人と絆を築いていくという経験がありませんでした。自己紹介も初めてで、どうしたらいいかわからないことが多かったです。日本文化センターには高校の授業後、週2回、通いました。バスで30分ほどだったのですが、通学はスクールバスでしたので、一般の交通機関で出かけるのも初めてでした。でも、大学に入ったときは、日本文化センターで新しい人とどのように関係を作っていくか、経験していたことが役立ちました。日本語だけでなく、人生において大切な経験ができたと思います。

——高校卒業後も、日本語の勉強は続けられたのでしょうか。

はい、コスタリカ大学で経営学を学びながら続けました。日本語は3年ぐらいで全コースを修了しましたが、レベルとしては初中級だと思います。さらに勉強したいと思い、文化センターの日本人の先生に相談したところ、会話クラスを紹介してもらいました。そこでさらに2年、勉強を続けました。日本語を勉強してみて、日本語って言葉を暗記するだけでは足りない、空気を読むとか、そういうことも必要な言葉だと感じましたね。

——日本文化センター以外で、実際に日本人と話すことはあったのでしょうか。

当時、SNSのmixiに「コスタリカ好きな人のコミュニティ」があり、投稿したのをきっかけに日本人の友だちができ、そのうちの何人かはコスタリカ大学に留学に来た人もいて、実際の日本人と関わることが増えました。彼らとは今もよく連絡を取っています。

——実際に、日本人と関わったり日本語を話すようになったりして、どうでしたか。

大学に留学してくる日本人は若くて年齢も近いので、よく一緒に遊びに行きました。それまで、ステレオタイプではないのですが、日本人のイメージがあったのですが、出会った人の多くは関西出身で、同じ日本人といっても出身地域によっても違うし、日本という国も思ったより広いんだなという気づきもありました。当時、コスタリカにいる日本人は300人ぐらいでとても少なかったんです。こんな遠く離れたコスタリカまで来てくれてありがとうという思いもありましたね。

 コスタリカ初のコスタリカ人日本語教師に! そこから導かれるように日本へ

 

——コスタリカで日本語を教えるようになったのは、どういう経緯だったのですか。

日本文化センターの先生から、「日本語アシスタントをやってみないか」と誘われたんです。当時、日本語を教えるコスタリカ人はたぶんいなかったと思いますし、リスクも高いと思ったのですが、言葉を教えることが好きでしたので、挑戦してみることしました。大学は卒業し、人材系コンサルティング会社に勤め、コーチングの仕事をしていたのですが、その傍ら、土曜日の3時間だけという形で教え始めました。

ただ、教えはじめてみると、自分の日本語レベルがまだまだだということに気づかされました。自分では理解したと思っていたことを、他人に説明すると定着していなかったと気づくことも多くありました。こうしてアシスタントを2、3年やった頃、文化センターの校長先生から、今度は「国際交流基金が、日本語ノン・ネイティブ教師対象の研修をしているので参加してみないか」という提案をいただきました。日本に行くチャンスはこれしかないと思って参加を決めました。研修期間は2013年の9月から3月までの半年間です。

——国際交流基金の研修に参加されて、どうでしたか。

ラオスやミャンマーなど、これまで会ったことのない国の先生方とも出会えたのが面白かったです。国によって学習者のニーズ、モチベーションが違うこと、先生方自身の日本語発音や授業目的などもさまざまだということを知りました。コスタリカの場合、日本語を学んでも仕事で生かすことはほとんどなく、アニメが好きだからとか日本に旅行に行きたいからなど、趣味で学ぶ人が多い。そのため、楽しい授業でないとやめてしまいます。コスタリカでは当時、JLPTは実施されていなかったので、JLPT合格がそれほど大事なことなのだということも研修で初めて知りました。

——研修後は、一度、帰国されたのですか。

はい。帰るとき、次はいつ来られるかわからないと思って、お土産をたくさん買いました。レストランのメニューなど、日本語教師の目で探し集めた生教材も入れて荷物が30キロぐらいありました(笑)。今も一部は日本文化センターで使われていると思います。帰国後は、また日本文化センターで、副業として日本語を教えていました。本業では、パソコンメーカーのヒューレットパッカードや、コーチングの仕事に戻り3年ほど働いた後、マッキンゼーに転職しました。そこでは主にアメリカ大陸のお客さんのスマホの契約・管理を担当したのですが、日本語ができるからと、アジア、オーストラリアの案件も担当していました。

——副業の日本語教師のほうでは、どのようなことをなさっていたのでしょうか。

週末、日本文化センターで教える他、中米カリブ日本語教育ネットワークという組織があり、その会長を3年、務めさせていただきました。年に1回、国際交流基金の助成金で日本語教育セミナーを開催するので、そのプログラム立案や参加する先生方のビザ手続きなども担当し、海外について学ぶ機会になりました。

 就職活動では苦労するも、国で使っていた『できる日本語』の出版社、アルクに縁あって入社することに

 

——その後、また日本にいらっしゃることになったのでしたよね。

はい。また長く日本に行きたいと思うようになり、文部科学省の奨学金に応募したところ、すぐにいただけることになりました。来日のため、マッキンゼーを退職し、2020年3月に来日する予定だったのですが、直前に新型コロナウイルスが流行し、行けなくなってしまいました。すでに仕事も辞めていたのですが、副業の日本語教師は続けることができ、少額ではありましたが収入面で助かりました。

でも、日本に行ける見通しが立たなかったので、製薬会社のロシュに入り、Eラーニング教材の構築などを担当していました。1年ほど経ったある日、突然、日本大使館から連絡がきて、留学生は例外で入国できることになったので、すぐに来日をと言われたんです。急きょ、仕事を辞め3日後に日本に来ました。

——3日後ですか! 大変でしたね。

はい、何の準備もできないまま入国し、そこから2週間の隔離期間があり、ホテルで過ごしました。心も体もかなり疲れていたので、この2週間はありがたかったです。おかげさまで日本の友だちもゲームや本などを送ってくれて、ゆっくり休養できました。それから神戸に移動して入学試験を受け、神戸大学大学院に入学しました。大学院ではSDG'sや小さなローカル企業の支援をするプログラムを専攻しました。将来、コスタリカに帰ることになった場合、ローカル企業をサポートしていきたいという思いがあったからです。2年で修了し、卒業前にはJLPTN1も取得しました。

——そして、日本で就職活動ということになったのでしょうか。

はい。コスタリカでの経歴は有名な企業で働いた経験が多いものの、日本で働いたことがない点が心配でしたが、大学院を修了しN1を持っていればすぐに決まるだろうと思っていました。ところが、日本企業で働いた経験がないということで、なかなか採用が決まりませんでした。転職回数が多いのも、コスタリカでは自分の成長のために挑戦し続けていると評価されるのに、日本ではよく思われないようで、かなり多くの企業に振られました。

そこで、外国人対象の転職エージェントに登録したところ、連絡をくれたのが、今、働いているアルクでした。対面で面接となり、服装や面接室に入るときのノックの仕方、カバンの置き方などを研究して臨みました。実は、日本文化センターで教えていたときに使っていた教科書がアルクの『できる日本語』で、最初は「え、あの教科書の?」と思いました。

——そうだったんですね。なぜ、『できる日本語』を使っていたのですか。

コスタリカの学習者は、ただ暗記をさせるだけではだめで、なんのために、この日本語を学ぶのかが伝わらないと、すぐにやめてしまうんです。そこで、校長先生と相談し、『できる日本語』を使うことになりました。

——日本で働いてみて、いかがですか。

海外のSNSで見た「残業が多い」「疲れて満員電車で立ったまま寝てしまうサラリーマン」などが印象にあり、自分もそうなるのかと恐れていたのですが、実際はそんなことはなく、今、ワークライフバランスがとてもよいと感じています。また、日本は上下関係が厳しいと思っていたのですが、アルクはフラットな組織で社長も遠い存在ではなく、普通に話すことができます。言いたいことも、きちんと例や意見を出せば理解してもらえますし、気を遣わずにはっきり伝えてもよいことがわかってきました。ちょっと相談したいことを気軽に周りの人に聞けるのもありがたいですね。

ただ、日本語で本格的に仕事をするのは初めてなので、母語だったらもっとうまく伝えられるし、頭のよさそうな言い方もできるのにと、思うことはあります。メールも、日本語は話し言葉と書き言葉がだいぶ違うので、どのような伝え方をするとよいのか、迷うことが多いです。

——今、お仕事は、どのようなことをなさっているのでしょうか。

営業で、日本語学校さんにアルクの書籍やテキストを紹介しています。特に自分が10年使ってきた『できる日本語』に関して、コンセプトや授業の進め方などを説明したりしています。営業に行くと「なぜ、外国人が?」という反応をされることも多いのですが、自分は教師としての経験と学習者としての経験もありますから、学習者の気持ちやニーズを説明できます。アメリカ、中南米などの日本語学習者とも接して、各国の日本語教育の課題もわかるので、それを違う現場で伝えていくという感じですね。

——オスカルさんの日本語は、とても自然で心地よいのですが、日本語に触れるために、どのようなことをなさっていたのでしょうか。

若い学生のときに、日本人留学生と出会い、彼らと日本語を話す機会に恵まれたのが大きいと思います。他はテレビを見たりするぐらいで、アカデミックなことはあまり勉強していないので専門用語の知識も足りないのですが、勉強という意識ではなく、この分野のことを知りたいという目標があって、そのための情報を得るためにコンテンツを探して学んだというのがよかったのかなと思います。 

——今後、日本語を学ぼうと思っている人に、アドバイスはありますか。

急に難しい新聞や本を読むのではなく、興味のあること、好きなことに関する本を日本語で読むとか、Can-doと同じように、何かしたいことがあって勉強するほうがいいと思います。ただ暗記するだけではなく、将来、日本でコミュニケーションを取り合って、安心して暮らせる能力を身につけられるような日本語を学んでほしいですね。JLPTも、アカデミックな興味を持っている人は活かせると思うのですが、それだけでなく、日本の人とたくさん話すことが大事だと思います。

——オスカルさんご自身の、今後の目標を教えてください。

私は日本から奨学金をもらったり、基金で勉強する機会を与えてもらったりと、日本からいろいろいただいてきたので、今度は、私が日本語教育に関して貢献する番だという思いもあります。これから日本語を学ぶ人に対しては、就職や進学する際には人と関わることがいちばん大事なので、どんどん周りの人と関われるような日本語を学べるようにサポートしていきたいですね。

と同時に、コスタリカのことも、もっと日本の方に知ってほしいです。コスタリカ人と会うのは初めてと言われることが多いので、私が悪い印象を与えると、コスタリカの印象も悪くなってしまいます。そうならないように私も仕事を頑張って、コスタリカのアンバサダーとして、コスタリカってコーヒーだけじゃないよと伝えていきたいですし、逆に日本のことをコスタリカ人に、日本はアニメだけじゃないよと伝えていきたいです。

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