アパレルメーカーの営業から日本語教師へ
――日本語教師になったきっかけを教えていただけますか。
大学卒業後はアパレルの営業をやっていました。昔気質の会社で個人ノルマもきつく、大変でした。でも目標数値があると達成できないのがすごく嫌で頑張ってしまって、ひどい時は月に1日か2日しか休みがないような状態で働いていました。おかげさまで売り上げは良く何度か日本一も取ったんですが、ずっとこんな生活は続けられないと。また海外からファストブランドが入ってきて、業界的にも厳しくなりそうだということでアパレルはやめようと決めたんです。
で、何をやろうか考えた時、これまでがあまりに大変で疲れちゃったので、自分にとって世界で一番楽な仕事を探そうと思って、候補になったのが日本語教師とトラックかバスの運転手でした。運転は好きで苦にならなかったので。
――え⁉ どちらも大変そうですが。日本語教師はなぜ候補に?
大学の時、茶道部の部長をやっていて、外国人留学生の文化体験プログラムで交流したり、教えたりしたことが楽しかったというのもあります。また国文科だったので、日本語なら得意だよと思ったり。日本語教師の仕事がどんなものか何も知らなかったからなのですが。
世界で一番楽なはずが……
――それで運転手ではなく、日本語教師を目指すことにしたわけですね。
はい。国際的な仕事もできるだろうと思い、420時間の養成講座に通い始めました。
実際に通ってみて、世界で一番楽な仕事を探そうと思って始めたつもりだったのですが、なんでこんなに厳しいんだとびっくりしました。教授法の先生がとても厳しくて、模擬授業で泣き出す人がいるぐらいスパルタでした。でも、それが良かったなと思います。その時に、ああ、僕の考えじゃだめだな。日本語教師というのは、仕事としてちゃんと向き合わないと、という覚悟ができました。とりあえずお金をもらって、ちゃんと食べるまでは、この仕事をやってみようと思いました。
その後、養成講座の先生の紹介で、技能実習生の来日後講習で教え始めました。2008年か2009年頃です。実習生が生活している場に行って、一日8時間、月曜日から金曜日まで。朝、「おはようございます」と言ってから、お昼ご飯も一緒に作って食べて。1か月後、それぞれの実習地に送り出すまで、集中的に日本語を教えるわけです。日本に来たばかりで、日本語がほとんど通じない人ってこんな状態なんだということが初めて分かりました。それが経験としてすごく良かったと思います。
埼玉の専門学校で日本語教師になる
――その後は日本語学校で教え始めるのですね。
はい。2010年から埼玉県にある専門学校の日本語科で非常勤講師として働き始めました。留学生を相手に教えたのはそこが初めてでした。10年ほど、この学校にいました。そこで非常勤から専任になり、生活指導をやったり、進路指導をやったり、教務主任になって、海外での学生募集にも携わりました。最後は学科長に。この10年間で、日本語学校で必要な入口から出口までを知り、学科の管理なども学ぶことができました。
――つかぬことを伺いますが、その日本語学校でも今のようなファッションで?
当時は真面目にスーツを着ていましたよ。ただ髪型は割とガッツリしたツーブロックだったので、よく怒られてはいました。ピアスの穴もありました。面接の時、「その耳はどうしたの?」と聞かれて、「あ、これ事故で……けがしているんです」と。もちろんウソですが(笑い)
その後も見た目に関してはちょくちょく注意されていましたが、ある時から気にしなくなったんですね。お互いに。言ってもしょうがないのと、ある程度仕事ができるようになると辞められると困るだろうから、ギブ&テイクという感じで。
学生ゼロからのスタート!
――現在の新世界語学院に移られたのは2020年ということですが。
ええ、実は埼玉の日本語学校は少し前から辞めようと考えていて。というのも、やはり専門学校に付属する日本語学校なのでメインストリームではないわけです。そして定員も決まっていて増員も難しい。規模が大きい学校であれば、ゆとりがあって、新規コース開発もできそうですが、その学校の規模ではできることが限られていると思っていました。
そんな時に、以前から仲良くしていただいていた日本語教育関係の方に声をかけられて、今の学校に移りました。実は新世界語学院は経営者が変わって、新しい学校としてスタートを切るところだったので、管理者が必要ということで、それで「やります!」と手を挙げたんです。
――ただ、2020年といえばコロナのパンデミックで留学生が入国できず大変な時期だったと思いますが。
そうですね。4月に入学する予定の学生も日本に入ってこられず、8か月ぐらいは学生がゼロ人でした。その間も固定費はかかるし、給料は払わないといけないし、よく経営者が耐えてくれたと思います。その数か月はカリキュラムを作ったり、学生募集の計画を立てたり、学則を見直したり、ホームページやパンフレット、名刺を作ったり、ロゴを刷新したりといろいろなものを整備する時間にあてました。それが今となってはよかったと思います。それで、入国規制が一瞬解かれた時に、21人の学生が入学しました。それが新体制になってからの最初の学生です。現在定員は270名ですが、2025年には400名に増員する予定です。4年ぐらいで20倍近くまで学生が増えると思うと、みんな本当によく頑張ってくれているなと感動します。
日本社会に貢献できる日本語教育
――校長となって、このような教育をしていこうというお考えはありますか。
講師会で先生方にいつもお話しているのは、我々が目指す日本語教育は日本社会を作るためのものであってほしいということです。そのため進学をして学歴を得たらすぐに国へ帰ってしまう人ではなく、日本語を学んで、将来的にでも日本で就労を希望する学生を受け入れたいと思っています。日本に根付いてくれる人を受け入れて、一緒に勉強していけたらという思いがあります。
――それはどういうお考えからきているのでしょうか。
10年以上前から海外で学生募集をしているので、日本に行きたい外国人の日本で働きたいと思う純粋な気持ちに応えてあげる場所があるべきだと思っていますし、我々が持っているリソースを活かして新たな日本社会の創造に貢献するべきだと考えているからです。
――カリキュラムも就労を意識したものなのでしょうか。
そこが難しくて、うちの学生は東南アジア、南アジアの学生が多いので、働くと言っても、まずは専門学校に行ってからという形です。なので、カリキュラムも進学寄りにはなっています。ただ1年ぐらいで就労できるコースは作りたいなと思って、提携企業を集めているところです。具体的な準備が整ったら、もう少し就労寄りのコースを作っていきたいと考えています。
また、賛否ありますが、特定技能に自動車運送業が入りました。あれこそ正しくやるべきで、しっかり日本語教育機関が関わっていって、日本語もそうですが日本での生活であったり、日本社会と無理なく共存できる人材を受け入れの段階でしっかり企業と連携して育てるべきだと思っています。
――校長に就任されてから、既に卒業生も出ているわけですよね。
はい。進学したり就職したりしています。卒業を待たずに途中で就職が決まって、出ていく学生もいますね。特に中国での学生募集ではITの素地を持っている学生を積極的に受け入れていますので、IT企業に就職する人が多く、IT就職向けの塾とも提携をしています。
生成AIに触れる機会を
――ところで、教師向けの生成AI勉強会を企画されたということですが。
はい。日本語フロンティア主催の「AIとともに歩む日本語教育 ツールの効果的な使い方」ですね。2024年12月15日(日)に当校で実施予定ですが、申し訳ありません。もう定員になってしまいまして。
日本語フロンティアの西隈さん、ユニタス日本語学校の加須屋さんと話して、日本語学校や日本教師の間で生成AIがまだまだ浸透、普及していない気がして。あんなものは構えて使うものでもなく、インターネットで検索するぐらいのノリで使い始めるものだと思っていたので、触れる機会を作ればいいんじゃないかと。まずは触れる機会を作って、使う人を増やしていこうという活動です。僕は個人でChatGPTの有料版を使っていますし、学校にも有料版のアカウントがあります。ただ学内でも取り組み方には差がありますね。
実は、最初は「プロンプト品評会をやろう!」という話だったんですよ。生成AIはプロンプトが命なので、こうやったら、こう出ました。みたいな。イメージとしては盆栽の品評会みたいなのをやりたいなと考えています。こうやって育てたらこういう効果があって、結果この盆栽になりました! みたいな感じですね。でも、いや待てよ、それよりも前に乗り越えなければならないものがあるんじゃないか⁉ ということで、第1回目はとりあえず触れてみようということになりました。シリーズ化できたら、いいなと思っています。
――私も含め、今回参加できない多くの方が期待していると思いますので、是非お願いします!
暗黙知を形式知にしていくこと
――これからやっていきたいことを教えてください。
学校としては、先ほどお話しましたように、日本社会を作る日本語学校になりたいということです。
個人としては、主任者研修をずっとやっていることもありますが、もっと教員の人たちが、より楽しく、よりやりがいを感じられるようにサポート出来たらと思っています。
採用もやっているので、模擬授業を見ることが多いのですが、なんで養成講座を終わったばかりの人の模擬授業って、こんなに現場とかけ離れているのかとずっともやもやしています。誰に対して、何を狙ってやっているのかがはっきりせず、ただ習ったことを再現していますという模擬授業が多いんです。
また主任者研修で出てくる悩みですが、学内での教師評価や指導において、根本的な基準が教務主任のなかにしかないので、どう評価やフィードバックしたらよいのか分からないということを挙げる先生が多いです。この現象が起きてしまう要因って、経験がある人が持っている暗黙知が、言語化され共有されていないからだと思うんです。暗黙知を形式知化してみんなで共有していくということが業界的に進めばいいなと思います。今、モノづくりの世界ではIT企業が入って、いわゆる職人さんの知識をIT技術を用いて言語化、数値化しようということが進んでいるんです。それに関わっている友人からその話を聞いて、あ、それって日本語学校でも大事だ! と思ったんです。日本語学校にも“職人”はいっぱいいますから。
若い人も、人生経験豊富な人も参入してほしい
――これから日本語教師になりたい人に向けて、何か一言お願いします。
僕自身、日本語教師になって自分の世界が広がったと思っています。物理的にも、いろいろな国に行くチャンスをもらったりしますし。日本語教師になる前と比べると、より視野が広く、いろんな人の意見、考え方、文化、宗教を尊重できるようになっていると思います。自分自身も豊かになるし、自分が頑張ることによって学習者が日本社会で活躍してくれて、結果的に社会貢献もできるので、本当にやりがいのあるいい仕事だと思います。
今、この業界には若い人が本当に少ないのですが、暗黙知を形式知化して、若い人も参入しやすい状況を作っていきたいと思います。もちろん、人生においていろいろな経験を積んでいる方も、その経験を活かせる場所だとも思います。
これから日本語教師になる方は、日本語学校だけでなく、いろいろな形で外国人学習者を通じて社会と関わってもらえると嬉しいです。
日本語教師の仕事は、普通に生活していたら、起こらないようなことが毎日起きます。楽しいし、飽きない、“濃い”仕事です。
取材を終えて
神さんにお会いして、国文科卒、元アパレルということに勝手にシンパシーを感じてしまいました。ただ、お話を伺うと、一日本語教師というより、もっと大きな経営者的視点をお持ちの方で、さすがは校長先生だと思いました。暗黙知の形式知化、そして生成AIの活用などこれからも目が離せません。
取材・執筆:仲山淳子
流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。7年前よりフリーランス教師として活動。
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