今回お話を伺ったのはECC日本語学院名古屋校の校長であり教務主任でもいらっしゃる速水希樹さんです。ご存じのように2023年5月に日本語教育機関認定法が成立し、2024年度から運用が開始されます。それに向けた対応等で大変お忙しい中、お時間を取っていただき現在の状況を伺うことができました。これまでのキャリアや、これから日本語教師になろうとする方へのアドバイスもお話しいただきました。(このインタビューは2023年12月4日に行われました。)
日本語教師になるまではシステムエンジニア
――日本語教師になるまでのご経歴についておしえていただけますか。
私は大学院まで言語学を専攻していました。別の学部の学生が自主ゼミで日本語教育の勉強会をやっていて、たまたま主宰していた後輩(愛知学院大学の野田大志先生)が同郷だったんです。それで、日本語教育というものがあるということは知っていたんですけど、その時は特に日本語教師になるということは考えていませんでした。
修士を終えた後、博士課程に行くのを諦めて、その未練を断ち切るために全く違う分野に行こうと思い、システムエンジニアになりました。文系なのに?と思うかもしれませんが、その会社ではプログラマーではなくお客さんと対話ができる人材を採りたいということでした。その会社に11年在籍しました。
しかし、やはりシステムエンジニアの勤務体系は大変で、心身ともに疲れてしまったんです。結婚し、子どもも生まれるというタイミングで転職を考えていた時、先ほど話した自主ゼミの後輩たちに相談に乗ってもらって、日本語教師のことや日本語教育能力検定試験のことを教えてもらいました。検定試験に合格できればやっていけるのかなと思い受験しました。なんとか合格はできましたが、言語学をやっていたとはいえ教授法のことなどは具体的によくわからず「中級ってどんなレベルなのか」「教室活動って学習者の様子はどうなのか」等は想像でしか知らない状態でした。これは実習を経験しないとダメだなと思い、ECC日本語学院の日本語教師養成講座・実践実習コースに通い始めました。ここが今の勤め先なのですが、ちょうど学校がICT対応をし始めた時期で、常勤で働いてみませんかとお声かけいただきました。とても運が良かったと思います。実質的にICT担当枠としての採用でしたが、私は日本語教師をやりたかったので、授業もさせてくださいとお願いしました。2018年のことです。
経験を活かしてコロナ禍を乗り切る
――ICT担当としてはどんなことをされたのでしょうか。
日本語学校がICTに力を入れなければとなり始めた頃で、それまで紙ベースでやっていたことを変えました。各教室にPCとプロジェクターを置くことが決まっていたので、そのマニュアル作りや操作の説明から始めました。それから徐々に出席管理もシステムでやって行きましょうという流れになりました。
その後、コロナ禍がやってくるわけですが、2020年に前の責任者の方が校内にWi-Fiを導入してくれていたこともあり、当校では早い段階からオンライン授業の対応ができました。
――オンライン授業の対応は、学生というよりむしろ教師向けの研修が大変だったと聞きますが、御校では?
その点は私のシステムエンジニア時代の経験がよく働きました。というのも、私はお客さんとの対話の時間の方が圧倒的に長く、こんなシステムが欲しいと要件をお聞きして社内に伝え、できたものを実際に使う従業員の方に説明するという立場だったんです。その経験をフルに活かして、在りもので環境整備を行い、かみ砕いて説明しました。それで先生方もスムーズにオンライン授業のやり方を覚えてくださいました。それから私がやったことは、状況を逐一説明することでした。例えば、今何人ぐらいの学生が待機していて、何人ぐらいオンラインでも授業を受けたいと言っているなどです。当時は留学生も「いつ日本に行けるのか」と不安な時期でしたが、その不安は非常勤の先生方も同じだったと思います。先が見えない分、現状をしっかりとお伝えするように努めました。本当に先生方が柔軟に対応してくださったので助かりました。
コロナ禍以前から教科書の切り替えを実施
――現在は教務主任のお仕事と養成講座も担当されていると伺いました。
はい、コロナの時のオンライン対応などは当時の教務主任の先生と2人3脚でやっていたのですが、その先生がご都合でお辞めになることになり、私が教務主任になりました。コロナ禍を経て、入学する学生の国や学習目的にも少しずつ変化が出てきました。当校は大きくは中華圏の学生がメインということには変わりはないのですが、日本語業界は海外との関係によって影響を受けることが多く、一つの国に頼りすぎていると打撃を受けてしまいますので、新しい国の学生も受け入れるようになりました。そうすると進学先も大学だけでなく専門学校や大学院という学生も増えました。
――教科書は何を使っていらっしゃいますか。
私が入って1年目ぐらいに、初級クラスで『できる日本語 初級 本冊』(アルク)が採用されました。常勤の先生が嶋田和子先生のOPIテスター研修に参加していたのが縁で、最初に実際に嶋田先生に来ていただいてお話を伺いました。その時から基本的には「できる日本語ひろば」の情報を参照するようにしています。中級に関しては、教科書の切り替え時がちょうどコロナ禍に当たってしまい、少し対応が遅れましたが、それも現在は切り替わって『できる日本語 中級 本冊』を使っています。
文型中心の教科書から変更したので、皆さん、悩むのは「文法をやらなくていいわけじゃない。だけど文法を教えるわけじゃない」という点なんだと思うのです。そのあたりは今でも試行錯誤が続いていますが、ここでも先生方の適応能力の高さを感じています。私は教務主任として全ての先生の授業を見て、その都度フィードバックをさせていただいています。
教科書を変えた動機としては、漢字圏の学生が多かったのでJLPTでは高得点が取れるけれども、果たして話せているのかという学生が見られたことです。現在は非漢字圏の学生も増えましたが、休み時間に複数の国の学生が日本語で話している、それも初級の早い段階から。そんな場面が見られるようになったことは良かったなと思っています。
認定日本語教育機関の認定に向けて
――来年からいよいよ日本語教育機関認定法が実施されるわけですが、それに向けてはどのような対応をされていますか。
私がこの業界に入った当時から、日本語教師の国家資格化の話は本格化していました。最新の状況はTwitter(現X)に助けられていたんですが、ワーキンググループは当時東京の文化庁でしか傍聴できなかったので、稟議を出して何回か上京して傍聴しました。その頃から、情報を追っかけていた身としては、当初は個人個人の先生のための資格として考えられていたものが、これから認定日本語教育機関で教える人は登録日本語教員という国家資格を持っていないとダメですよという形に法律で決まったということ。それを正しく認識しないといけないということです。そのことを本社の上司を含めて、早めに社内でも話をしました。この1年ぐらいで私が一番力を入れて社内で取り組んでいることです。
――個人で情報を追いかけるのは本当に大変なので、そうやってまとめてくださる方がいると助かります。
抱えている問題が共通しているなら、その解決法も共有資産にできないか
――認定日本語教育機関として認定されるために様々な要件があります。既に告示校であれば体制、設備等は問題ないと思うのですが、「日本語教育の参照枠」に基づいたカリキュラム作りにおいてはいかがでしょうか。
ちょうど一昨日(12月2日)、日本語教育振興協会の主任研修の発表会がありました。今年のテーマの一つが「日本語教育の参照枠」にどう対応していくかということでした。いろんな学校から参加されている先生方が、本当にこの研修を活用されていて、「参照枠」をみんなで読み合わせて、各校、こういうところから変えてみましたという報告会でした。私も本当に参加してよかったと思います。しかし、コロナの時も思いましたが、各校抱えている問題は共通しているんじゃないか、それをそれぞれで苦労しなきゃいけないってどうなんだろう……。これをうまく共有資産というか集合知のように、苦労して生み出した結果を共有して、押し付けではなく、必要な人が、必要な形で参照できるようにならないかなぁと思うんです。
当校では現在、常勤で日頃から話し合って、対応できるところからやって行こうという段階です。非常勤の先生方には、全体研修の場で「参照枠」の概要をお話ししたり、外部研修をご紹介したりしています。実際、今回は教科書を変える以上のインパクトがあると思っています。ただ、教科書を『できる日本語』に変えた時も「JLPTに対応できるんですか?」という声はあったんです。でも結局、教科書を変えたからJLPTに対応できないということはありませんでした。学校がカリキュラムを変えていくことは一人ではできませんし、常勤だけでもできない。割合として学習者に向き合う時間の多くなる非常勤の先生方に協力を得られなければ立ちゆきません。「また新しいことをやんなきゃいけないの?」というネガティブな気持ちにならずに皆で対応していきませんかというスタンスでお話しています。認定日本語教育機関になった際には、各校の情報も公開されるということなので、「参照枠」を利用して、うちはこういう特色のある学校ですよというアピールもできるようになるんじゃないかと思っています。
登録日本語教員への不安を払う
――登録日本語教員に関しては、在籍されている非常勤の先生方の反応はいかがでしょうか。不安に感じている方はいませんか。
実は学内では、私が「登録日本語教員」マニアみたいな扱いを受けていまして(笑い)。私が分かっていればいいだろうという形になってしまっているところがあります。本当は多くの方にパブコメを出したり、12月10日に行われる日本語教員試験試行試験を受けたりしてほしかったのですが……。
私自身は、養成講座も担当していますし、最初に受けた検定試験の結果に納得していなかったので、それから毎年受け続けています。検定試験を受けることで、今のトレンドが分かりますよね。それが私のティーチングポートフォリオにもなっていると感じています。最近の検定試験の内容を次の養成講座に通う方にどう伝えていくか、今、校内で一緒に働いている先生方にどう伝えて行けばよいかをいつも考えています。どうも来年から行われる日本語教員試験は現在の日本語教育能力検定試験とは全く別物になるようですので、どんなものになるのか楽しみです。私は試行試験を受けますが、2024年2月に出るという試行試験全体の結果も見て、特に現職の先生方の不安を払っていけるよう対応したいと思います。もちろん養成講座の方にも活かしていかなければなりません。
――養成講座のカリキュラムも変更が求められるわけなので、大変ですよね。
そうですね。しかも日本語学校や養成講座でその担当をされている方も大体が日本語教師なので、自分の資格のことも考えなければならないという。
日本語業界にいる私たちは、内向きではいけない
――ここまでお話を伺ってきましたが、速水先生はこの法制化についてどう感じていらっしゃいますか。
ここは、会社ではなくあくまで私個人の意見としてお話します。今回決まったこの制度について、いろいろ思うことや、思い描いていたことと違う部分はあるかもしれません。しかし、これを動かし始めて、この制度によって日本語学習者はもちろん、私たちも恩恵を受けられるように、私たち自身がしていけばいいと思います。そのためには受け身じゃだめだと思います。国家資格の制度なので税金が投入されるわけです。これからは日本語業界の中で内向きにああだ、こうだと言ってるんじゃなくて、日本語教育業界の外にいる人たちに、私たちがやっていることについてちゃんと説明できなくてはいけない。同時に「参照枠」を利用して、「日本語教育ってこういう風に変わっていっているんですよ」と、業界の外側にこそ積極的に示していきたい。それが外からの新たな仕事を呼び込むことにもつながると思いますし、年少者日本語教育や日本人の外国語教育とも相互に関わっていける道筋じゃないかと思っています。可能性はとてもある。今まで欲しくても得られなかった国の後ろ盾がようやく手に入ったので、これは絶対に利用しないといけないと思います。
一方で、国が外国人の受け入れを増やしていくと言っている以上、今後教師を増やしていかないといけないし、国にはちゃんとこの制度の面倒をみてほしい。だからこそ、つい現職者がどうなるのかということが取り上げられがちですが、「こうしてください」というのは現場から声を上げ続けないといけないと思います。
追い風は吹いている
――これから日本語教師になろうとする人にアドバイスがあればお願いします。
養成講座にいらっしゃる方にいつも言うんですが、日本語教師は本当にいろいろなことをする仕事です。日本語教師養成講座の内容の通りにやってくださいではなく、ご自身が今までやってきたことの中に日本語教育というツールを使って、どうしたいか、どこに活かせそうかということを意識して養成講座の期間を過ごしてほしいです。国家資格になったことで今までより追い風は吹いています。本当に必要なところに必要な人材がいくようにと、養成講座担当者としては願っています。
取材を終えて
速水先生のお話を聞き、確かに受け身ではいけない。自分たちの問題として考えていかなければと強く感じました。
このインタビューを行ったのは、12月10日の日本語教員試行試験の数日前でした。実際に受験された感想はどうだったのでしょうか。またぜひお話を伺いたいです。
取材・執筆:仲山淳子
流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。6年前よりフリーランス教師として活動。
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