アルクの新刊書籍『ビジネス日本語 教え方&働き方ガイド』、9月1日の発売を記念し、著者である三人の先生方に順に登場して「ビジネス日本語」について語っていただきます。第2回はNPO法人日本語教育研究所副理事長兼主任研究員である武田聡子先生です。英語教育から日本語教育へ、さらにビジネス日本語の分野へ。ビジネス日本語を教えるにはやはりビジネス経験があったほうがいいのでしょうか。
アメリカ留学で気づいた日本語の特徴 「日本語の言い方じゃ伝わらない」
私は初めから日本語教師を志していたわけではなく、大学時代は英語を専攻し、英語の教師になろうと思っていました。大学3年生で交換留学生として、アメリカの大学に留学した時、日本のことを色々聞かれるのにうまく答えられず、自分が自分の国のことを何も知らない、説明できないことを恥ずかしく思ったものです。「もっと自分の国である日本のことを知る必要がある」と痛感しました。
同時に、外国語として英語を学んでいると母語である日本語について見直す機会があります。英語は何でもはっきり言わないと伝わりません。例えば、ちょっと遠くのレストランにお寿司を食べに行きたいから友達に車で連れて行ってほしいと思っても、日本式に「行きたいと思ってるんだけど……」と言ってみても、お願いをしているとはなかなかわかってもらえない、そういう経験がありました。そうやって日々英語を話す中で、日本語のあいまいさ、はっきり言わないこと、話すときにうなずきが多いことなどに気がつき、それまで無意識だった自分の母語である日本語の特徴を改めて意識するようになりました。
そして帰国後、ふと手に取ったアルクの『月刊日本語』という雑誌で「日本語教師」という仕事があることを知り、英語教師と日本語教師の両方を職業にしようと決めました。大学卒業後、すぐにシドニー工科大学日本語教授法Graduate Diplomaで9か月ほど学んだあと、日本語教師としてのキャリアをオーストラリアでスタートさせました。日本語を教え始めると、自分が英語を学んでいたときと反対に「会話をするときにはもっと相槌を打ってほしいな」「そんなにはっきり断るのはやめたほうがいいな」と感じることに気付きました。
若いと信用されない? ビジネス日本語講師デビュー
帰国してからは、日本語学校の非常勤講師として勤め始め、留学生のクラスを担当するだけでなく、ビジネスパーソンやその家族へのプライベートレッスンを担当する機会を得ました。
当時はまだ20代で、社会経験がないために相手の言うことに対してうまく返せないことや「若いから」という理由で信頼されていないのかもしれないと感じることもありましたが、経験を積むうちにそういうことはだんだんと少なくなりました。また、「初級」の場合はビジネスパーソンでも留学生でも教える内容はそれほど変わらないので、日本語学校で教えた経験を生かすこともできました。
レッスンの内容面ではあまり苦労はしませんでしたが、働いている人たち相手なので、早朝のレッスンや夜のレッスンが多く、また、キャンセルも変更も頻繁に起こるのでスケジュールを管理するという面では大変でした。このように「日本語の勉強」を目的としている留学生の授業とは違う苦労もありましたが、ちょっと緊張しながら、日本語レッスンのためにいろいろな会社のオフィスに行くのは新鮮でもありました。
ビジネス日本語の先輩たちとの出会い
1990年代の半ばごろから本格的に日本語と英語の教師として複数の機関で仕事をし始めました。日本語教育研究所でコーディネーターとしての仕事を始めたのもその頃でした。
私がビジネス日本語研修のコーディネーターを本格的に手掛けるきっかけとなったのは、2009年に日本語教育研究所が大手電機メーカーの大型内定者研修を請け負うことが決まった時でした。その時、ビジネス日本語分野での先輩である小山暁子さんと長崎清美さんの力を借りて、3人でこの日本語研修の運営を手掛けることになりました。これが、私達3人がタッグを組んで実施したはじめての日本語研修でした。カリキュラム作成、教材開発、講師手配、講師研修、企業との報連相などを私達は協働しました。そして、そのつながりは長く続き、今回『ビジネス日本語 教え方&働き方ガイド』をいっしょに執筆することになったのです。
ビジネス経験が邪魔をする? ビジネス日本語教師に本当に求められる力とは
ビジネス日本語を教えるために何が必要か、とよく聞かれます。「ビジネス日本語の教え方」については、それを専門的に学ぶというよりはとにかく教えながら身につけてきたという感じですが、周りの先輩たちのやり方を見たり、時には相談もしたりしながら学んできました。
「ビジネス経験が必要ではないか」という声もあがります。今回私たちが書いた『ビジネス日本語 教え方&働き方ガイド』の「基礎編2 ビジネス日本語教師(p.22-29)」を読めば、私のように、教師畑しか経験がない人でも、ビジネス日本語を指導することができると理解してもらえると思います。私は日本語教育研究所に勤めて初めて、授業だけでなく、教材作成、イベント企画などを担当し、その中で電話対応、会社訪問、見積もりを出すなど一般の会社で働く人たちがする業務も経験し、仕事のスキルを身につけることができました。会社勤めの経験がない私にとって、日本語教育研究所でビジネス日本語を教えるために必要な準備をしたことが、そのままビジネス経験と言えるかもしれません。
意外に思われるかもしれませんが、企業で働いた経験が逆にビジネス日本語を教える邪魔をするということも実はよくあります。会社員経験を持っているとビジネス日本語を教える上で役に立つことが多いのは確かですが、自分の経験が唯一のやり方だと思ってしまうと、それが他の会社では通用しない……そのことになかなか気づけず自分のやり方を押し付けようとしている人を時々見かけます。
自分の強みを知って、それを生かす
また、ビジネスパーソンはよく脱線します。時間をかけてレッスンの準備をしてきて、さあ始めようと思った瞬間に「明日会議があるから、その準備のために今日はこれを教えてほしいんだ」などと言われることもしょっちゅうです。こういうときに必要なのが臨機応変さ、柔軟性、対応力です。どうしても準備してきたものを教えなきゃ、と考える人はビジネスパーソンには喜ばれないかもしれません。
相手の話をよく聴く力も求められます。「これを教えたい」という気持ちでいっぱいになって自分ばかり話してしまうのではなく、相手が何を学びたいと思っているのかよく聴いて汲み取れる力。「教案通りには進まないかもしれない」といつも意識できる人がビジネス日本語を教えることに向いているように思います。
しかし、やはり人間同士、特にプライベートレッスンになると、どうしても相性の問題があります。Aさんに合わなかったからと言って落ち込む必要はまったくありません。同じやり方がBさんにはすごく合うということもよくあります。誰からも好かれるなんて無理なことです。
大切なのは自分の強みを知って、それを生かすことです。私のビジネス日本語講師としての強みはいくつかありますが、中でも「好奇心」が強みだと思っています。いろいろなことに興味があって、サブカルチャーや最近巷で流行っている映画、ドラマ、アニメ、マンガなどにも興味があるので思いがけない雑談にも対応できます。皆さんも「自分の個性の生かし方(p.26)」を読んで、自分自身のことを振り返り、「これが私の強み」と自信を持って言えるものを見つけてほしいと思います。そうすれば、自分も楽しんで、相手にも喜ばれるビジネス日本語レッスンが提供できるようになるはずです。
【著者プロフィール】
武田聡子:日本語学校、高等教育、地域ボランティア教室、教師養成、教材作成など大学院を卒業後、現在に至るまで猪突猛進で、日本語教育( 英語教育も少々) に従事。現在、複数の大学で兼任講師をする傍ら、NPO 法人日本語教育研究所の副理事長兼主任研究員として、さまざまな日本語研修のコーディネーターを務めている。コーディネーターの業務として講師選定、学習者とのマッチング、コースデザイン、カリキュラム、シラバスを作成し、自らもプライベート、グループなど授業を担当している。
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