福岡県苅田町では2023年7月より、企業と行政が費用を分担する日本語教室が開始しました。「日本語教育の推進に関する法律」には、日本語教育の推進に対して地方公共団体の責務だけでなく、企業の責務も明記されていますが、なかなか企業との連携は進まないのが現状です。そんな中で始まった苅田町の日本語教室についてご紹介します。(深江新太郎/NPO多文化共生プロジェクト)。
企業との連携の難しさ
上記で示したように「日本語教育の推進に関する法律」では、企業に対し、雇用する外国人とその家族への日本語学習を支援する責務が明記されましたが、実情はどうでしょうか。
文化庁が2016年度より行っている「地域日本語教育スタートアッププログラム」は、日本語教室がない地域に日本語教室を立ち上げるプログラムであり、その成果をまとめたものに「日本語教室立ち上げハンドブック」があります。
2018年度から2021年度までの4年度分の「ハンドブック」には、計24の地方公共団体の立ち上げ事例が掲載されていますが、企業の協力が明記されているのは10団体です。その協力の内容は、「日本語教室の周知」と「日本語教室への送迎」が主です。
ここから企業との連携は、日本語教室の運営面に踏み込んだ協力体制が、今後の大きな課題になっていると言えます。
福岡県苅田町の取り組み
2023年7月9日、苅田町は企業と行政が費用を出し合う日本語教室をスタートさせました。筆者は、コーディネーターとして携わっています。
港があり空港に近いという好立地に恵まれ製造業が盛んな苅田町は、人口が約37,700人、そのうち約1,260人が外国籍住民です。在留資格は技能実習が約24%を占め最も多いです。(2023年6月末時点)
総人口における外国籍住民の割合が約3%にものぼり、騒音、ゴミ出し、交通マナーなど、地域住民との摩擦が生じたことから、町は日本人住民と外国籍住民が顔の見える関係をつくりたいと考え、2021年に多文化共生推進プランを策定し日本語教室の開設に取り組み始めました。具体的には交流型教室と就労者向け教室の開設です。今回スタートしたのは就労者向けの日本語教室です。
何度もコンタクトを取り企業との関係を構築
町は、企業と費用を負担し合う形を実現するために、まずつながりのある企業に繰り返し足を運び、町の取り組みについて説明を行うと同時に企業の現状、要望を聞きました。取り組みを開始した2021年11月からの1年間で計5回の企業訪問を行いました。この企業訪問を通し、核となる企業との信頼関係を構築しました。
また同時に、福岡県と連携して地元の企業全般に対し、インターネット回答による意向調査を行いました。質問項目の例は次の通りです。
① 受け入れている技能実習生を日本語教室に参加させたいですか。
② ①が「はい」の場合、日本語教室に参加させるにあたり課題は何ですか。
③ ①が「はい」の場合、日本語教室の開催曜日・時間帯はどれが適当ですか。
④ ①が「はい」の場合、日本語教室への参加費用を貴社が負担するとしたらいくらまでなら参加させたいと思いますか。
町はこの意向調査の結果を基に、前向きな回答をしてくれた企業に声掛けを行い、2023年3月に就労者向け教室の開講についての説明をする場を設けました。その説明会での意見を基に、2023年4月より学習者募集を行い、結果として2社より12名の参加が実現しました。本年度の授業は2023年7月9日~11月26日の毎週日曜日に日本語教師によるオンライン授業が計15回、苅田町の多文化共生推進員による対面での実践学習が計5回、行われます。
「日本語教育の参照枠」B1を目標にしたカリキュラム
授業は、「日本語教育の参照枠」のB1(自立した言語使用者)の日本語レベルを目標に行われます。町の施策には、外国人に対するB1までの学習機会提供が盛り込まれており、今回のカリキュラムでは、A2レベルの学習者を対象としてB1レベルを目指すことを目標としました。具体的には、生活場面に基づいた活動と、就労場面に基づいた活動がオンラインで交互に行われ、5回に1回、対面での実践学習が行われます。表1をご覧ください。
表1 苅田町の授業シラバス例
日にち |
内容 |
7月9日 |
オンライン学習:生活場面に基づいた内容① |
7月16日 |
オンライン学習:就労場面に基づいた内容① |
7月23日 |
オンライン学習:生活場面に基づいた内容② |
7月30日 |
オンライン学習:就労場面に基づいた内容② |
8月6日 |
対面学習:実践学習① |
オンライン学習の教材は、生活場面に基づいた内容では『つながるひろがるにほんごでのくらし』(文化庁)、就労場面に基づいた内容では『しごとのにほんご Easy Japanese for Work』(NHK)を使用します。対面学習は、安全、健康などのテーマにそくして実際にその場所を訪れる活動を行います。
学習者のニーズに応えるために
このようにスタートした苅田町の就労者向けの教室ですが、7月9日の第1回を終えて、一つの課題にぶつかっています。それは学習者のニーズにどのように応えていくかです。第1回の活動で担当した日本語教師が学習者から聞いたことは、「就労場面では日本語で話す機会がほとんどないので日本語で楽しく会話したい」という声でした。
表1のシラバスは企業の合意を得ているものですが、実際に参加している学習者の声を受けて、調整が必要となりました。その結果、生活場面と就労場面に加え、社会的な話題を基に意見交換しながら学び合う活動も加える方向性を定めました。具体的には、『対話型日本語教材 ともに学ぶ「せかい」と「にほんご」』(凡人社)を活用することです。
苅田町の教室は、マクロな視点では企業との合意形成、ミクロな視点では学習者との合意形成が求められています。日本語教師は教室運営の大きな枠組みを理解した上で、一人一人の学習者と向き合って授業を行います。
そして、目の前にいる学習者のニーズに応えていこうとし枠組みそのものを調整する必要がある場合、コーディネーターは枠組みを再検討し日本語教師と授業の方針について話し合います。企業と行政が費用負担し合う教室づくりは、まだ緒に就いたばかりですが、このように日本語教育に対する専門的な知見が求められるため、日本語教師の新たな活躍の場となる取り組みです。
執筆/深江 新太郎(ふかえ・しんたろう)
「在住外国人が自分らしく生活できるような小さな支援を行う」をミッションとしたNPO多文化共生プロジェクト代表。ほかに福岡県と福岡市が取り組む「地域日本語教育の総合的な体制づくり推進事業」のアドバイザー、コーディネータ―。文化庁委嘱・地域日本語教育アドバイザーなど。著書に『生活者としての外国人向け 私らしく暮らすための日本語ワークブック』(アルク)がある。
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