2023年6月10日に行われた地域日本語どっとねっと主催のシンポジウム「あらためて、地域日本語教育の「場づくり」を考える」には、対面、オンライン合わせて約190名の参加がありました。そのトークセッションの中で、「学習者のニーズ」という教室活動を考える上で鍵となるテーマについて意見交換がなされました。本コラムでは、「学習者のニーズ」を切り口にシンポジウムを振り返ります。(深江新太郎/NPO多文化共生プロジェクト)
基調講演―『「地域日本語教育の役割は日本語を教えるだけじゃない」ってどういうこと?』
シンポジウムは、神吉宇一さん(武蔵野大学)の基調講演から始まりました。講演タイトルは『「地域日本語教育の役割は日本語を教えるだけじゃない」ってどういうこと?』です。講演の冒頭に、次の問いかけがありました。
「地域の/で日本語教育を行うことで、社会はどのような形でよくなるのか。個人のしあわせはどのように実現するのか。そこで、ことば/ことばの教育はどんな役割を持つのか?」
現在、ことばの教育は社会の課題となっていて、ことばの教育に何ができるのかが問われています。したがって、ことばの教育を単に言語習得のためのトレーニングに狭めないために、根本にあるこの問い(ゴール)を考えることが重要となります。その上で、日本語教育を俯瞰的に見る視座が提示されました。
それが、日本語教育を「Ⅰ 成長社会型日本語教育、Ⅱ 社会福祉型日本語教育、Ⅲ 言語習得型日本語教育、Ⅳ 市民教育型日本語教育」という4象限に分ける考え方です。日本語教育を4象限に分けて考えることについては次で詳しく紹介されています。
講演では、4象限において地域日本語教育が、主にⅡ 社会福祉型日本語教育とⅣ 市民教育型日本語教育にかかることが述べられました。
このように日本語教育を俯瞰的に見ることで、地域の現場で目の前の人が「N3をとりたい」と言ったとき、そのリクエストに応えることがはたして地域で行うことなのか、と考えられるようになります。それは、地域日本語教育を通して社会をどのようにつくっていくのか考えながら、現場のニーズに向き合っていくことでもあります。
活動事例より
活動報告は、宮田あゆみさん(にほんご町内会)、松尾慎さん(VEC、東京女子大学)、松尾美恵子さん(古賀市・交流型日本語教室)の3名から行われました。本コラムでは、その活動事例の中からニーズに関する部分を取り上げ、紹介します。
理念に基づいた活動の広がりー愛媛県松山市 にほんご町内会
愛媛県松山市で活動する宮田あゆみさんの報告では、ニーズと自分たちの活動のせめぎあいについて、切実な状況が報告されました。にほんご町内会は2013年に発足し、2014年に活動を開始しました。内容は、「日本語教室」ではなく、参加者同士の「交流」です。ただ、外国人からは「日本語を勉強したい」、日本人からは「楽しいことをしているだけ」という声があり、活動について理解を得るのが難しい状況がありました。「日本語学習をメインにしたほうがいいのかな」「この活動、必要としている人がいるのかな」という迷いが宮田さんの中に生じることもありました。ただその時、立ち返っていったのが理念でした。2013年発足時に作成したにほんご町内会の理念は、次です。
国籍・年代に関わらず、参加者全員が一地域住民として集い、日本語を共通言語として、対話を行う。対話の積み重ねにより、互いに理解を深め認め合う。また地域社会の一員としての自覚が芽生える。ひとりひとりの意識の変化から始まる多文化共生を目指す。
この理念に立ち返りながら活動を考え続けることで、にほんご町内会は市民同士の交流の場づくりからスタートし、オンライン日本語教室とにほんごこども会の開催、行政と企業から受託された日本語教育の実施まで活動が広がりを持つようになりました。にほんご町内会の活動は、次からご覧いただけます。
人生が豊かになる活動ー東京都高田馬場 VEC
活動の理念と活動の広がりについては、東京の高田馬場を拠点に活動する松尾慎さんの発表にも通じるものがありました。松尾慎さんは、ミャンマーの難民を主な対象にした教室を、難民当事者であるチョウチョウソーさんと共に2014年6月に立ち上げました。その活動は、日本語能力に関わらず対等な学び合いが軸です。「世界旅行計画(30日間)」「視覚障害者体験」「熱中症と節電」など、日本語母語話者が教えるのではなく、参加者が対等に考え、学び合うものです。この活動と学習者のニーズについて、松尾慎さんは次のように述べました。
VECの参加者も最初は、参加型学習、学び合いをしたいと思って来ていない。ただ毎回、刺激的なトピックで、院生やミャンマーの仲間と対等に話せて、「これ意外とおもしろいんじゃねえの。」ということで、彼らが使うことばで「知識が広がる活動だ」って言うけど、人生が豊かになる活動だ、ていう感じのイメージ。
これは、トークセッションの中で、神吉さんが「ニーズには限界がある。ニーズはその人が知っていることしか出てこない。今を超えようと思ったら、ニーズをお互いにつくっていかないといけない。」と述べたのを受けてのことばです。学び合いを経験する中で、そのおもしろさ、豊かさにはまっていく松尾慎さんらの活動は、ニーズに応えるのではなく、まさにニーズを生み出しているものと言えます。現在、VECの活動には、多様な国籍の方が集うようになりました。そのVECの活動を基に生まれた教材が『対話型日本語教材 ともに学ぶ「せかい」と「にほんご」』です。次からご覧いただけます。
ライフステージを分かち合う中でニーズに応えるー福岡県古賀市 交流型日本語教室
上記2つの活動事例から、「学習者のニーズに応える」と様々な場面で言われることは、実は単に学習者のリクエストに応えればいいのではないことが分かります。それぞれの学習者にはリクエストがあります。ただ、そのリクエストを聞きながら、その人の本当のニーズを共に生み出していくことが求められます。松尾美恵子さんは、この「学習者のニーズに応える」ための土台について、次のように述べました。
生活する上でのいろいろな悩みを受けとめてあげられることを大切にしています。生活者というか、生活者だったら、いいときもあれば悪いときもあります。ただ日本人が教えるというのではなく、そうだよね、同じ人間だよね、としてサポートしたり、私も悩んでいるよとか共有できたらいいと思っています。
松尾美恵子さんは、人生のライフステージを共有することも大切にしていると述べました。私たちが、地域の教室で出会う人たちは、それぞれ様々な背景を持ち、国を離れ日本で生活しています。私たちは、その一人一人の生(ライフ)を感じながら、ことばを交わします。「学習者のニーズに応える」ことは、その一人一人とのことばのやりとりを通し、私たちにできることを考える中でしか実現できないと言えます。それは、一方的に相手のリクエストを聞くことではなく、その人の人生に触れながら共にニーズを生み出していく営みでしょう。
地域日本語教室のこれからをつくる
全国の地方公共団体が取り組む「地域日本語教育の総合的な体制づくり推進事業」(文化庁事業)の2021年度の実施報告書を整理したところ、18の地域で「外国籍住民が求めていることを把握し、それに応えるための日本語学習を実施したり、日本語教室を開催したりする必要がある」という課題を立てていることが分かりました。
本シンポジウムの中では、このニーズに応えることが単に相手のリクエストに合わせることではなく、私たち自身の活動理念に立ち返りながらできることを考え、相手の生(ライフ)と向き合いことばを交わすことでニーズそのものが生まれ出てくる姿が描かれました。そして、地域日本語教室がどのようなニーズに応えるのかは、地域日本語教室がどのような価値を持つのかとつながります。私たちが、新たなニーズに応えていくことで、地域日本語教室は新たな価値を持つことができると言えるでしょう。
執筆/深江 新太郎(ふかえ・しんたろう)
「在住外国人が自分らしく生活できるような小さな支援を行う」をミッションとしたNPO多文化共生プロジェクト代表。ほかに福岡県と福岡市が取り組む「地域日本語教育の総合的な体制づくり推進事業」のアドバイザー、コーディネータ―。文化庁委嘱・地域日本語教育アドバイザーなど。著書に『生活者としての外国人向け 私らしく暮らすための日本語ワークブック』(アルク)がある。
関連記事
2024年 12月 25日
コミュニティを持つ人たちにとって日本語教室は必要か -北海道・地域日本語教育シンポジウム開催-
2025年1月25日に開催されるSHAKE★HOKKAIDO主催の北海道地域日本語教育シンポジウムをテーマにしたコラムの後編。前編では北海道の浦河町に急増したインドの人達を対象にした日本語教室の実践を中心に、シンポジウムの企画者である平田さんにお話をうかがいました。後編の今回は、シンポジウムのテーマの核心に触れていきます。(深江新太郎/多文化共生プロジェクト)...
コミュニティを持つ人たちにとって日本語教室は必要か -北海道・地域日本語教育シンポジウム開催-
2024年 11月 29日
北海道 ナゼここに? 新しいコミュニティ(北海道地域日本語教育シンポジウム)
北海道 ナゼここに? 新しいコミュニティ(北海道地域日本語教育シンポジウム)
2024年 07月 31日