今回ご紹介するのはフリーランスの立場で、留学生への日本語指導、介護の日本語、「やさしい日本語」普及活動など様々な活動を行っている清水広美さんです。清水さんはオーストラリア、モンゴル、ボリビア、インドネシアなど海外経験も豊富。現在に至るまでの道のり、そしてこれからやって行きたいことについてたっぷりお話を伺いました。
紆余曲折の末、日本語教師を目指す!
――日本語教育に興味を持ったきっかけがありましたら教えてください。
はい、実は初めから日本語教師を目指していたわけではなくて、服飾系の専門学校を出て舞台衣装を作る仕事をしていました。ワーキングホリデーでカナダへ行ったのですが、その時も自分が作った衣装の写真を持って仕事を探しました。その後、アルバイトをしては海外へ行くという生活を繰り返していました。そんな頃、友人がオーストラリアの高校で日本語ネイティヴのアシスタントティーチャーを募集していることを教えてくれたんです。それでオーストラリアへ行きました。その時、初めて日本語教育に触れたわけです。その経験がすごく楽しくて、帰国後、日本語教師になりたいと思い、通信教育で勉強を始めました。3年後もう一度オーストラリアに行きましたが、その間も日本語の勉強は続けていましたし、日本語教師として仕事をしていくには学士の資格があったほうがいいだろうと思い放送大学にも入学しました。
でも、すぐに日本語教師になったわけではないんです。友人の誘いで、アジアやアフリカの若者たちに農業研修を行って農業指導者を育成するNGO*1で住み込みボランティアを始めました。研修生と寝食を共にしてサポートしていたので、日本にいながらにして濃い異文化体験ができました。英語が共通語でしたが、サバイバル日本語をちょっと教えたりもしました。ここでアジア、アフリカの研修生と触れ、異文化体験をしているうちにJICAの青年海外協力隊に参加したいという気持ちが強くなっていました。日本語教師の仕事の方に憧れはあったのですが、当時、私には日本語教師としての資格がまだなく、教えた経験もボランティアでしかないので無理だろうと考えました。(日本語教師は倍率もとても高いので)婦人・子供服の職種なら経験もあるし、チャンスがあるかもと思って受けたら合格したんです。それでモンゴル国立技術大学の服飾デザイン科に2年間派遣されることになりました。でもね、同期で日本語教師としてモンゴルに派遣された人もいて、なんだか楽しそう、キラキラしていていいなぁと横目で見ていました。
学生からもらった手紙が宝物に
――モンゴルから帰国後はどうされましたか。
モンゴルで2年間過ごすうちに、日本語教師になりたいという気持ちを諦めきれないことに気づきました。それでようやく真剣に日本語教師になろう!と決意し、上京してインターカルトの日本語教師養成講座に通うことにしました。当時はオンラインで資格の取れるコースはなかったので、半年間全日制のコースです。半年だけだからと4畳半風呂なし、エアコンなしのアパートに住んで、歩いて学校に通いました。冷蔵庫もありませんでした。
――わぁ、東京にいながら、かなりのサバイバル生活ですね!
420時間の養成講座を修了して、これで晴れてプロの日本語教師としてやっていけるぞと思ったのですが、その頃、日本語業界はかなりの就職難で、経験がないと雇ってもらえない学校が多かったです。それでもなんとか非常勤講師として職を得て、働き始めました。今よりずっと授業準備に時間がかかり、徹夜をすることもあったけれど、好きだったので苦ではなかったです。がむしゃらに頑張っていましたね。
1年目に担当していたクラスで忘れられない出来事があります。クラスで孤立している感じの学生がいたのですが、ある時から不登校になってしまいました。私は彼を心配して学生寮にお見舞いに行ったんです。といっても玄関先でお見舞いの品を渡し、じゃあ、またねと声をかけた程度でしたが。彼は暗い顔をして少し精神的に病んでいるような感じがしました。ほどなくして会えないまま彼は帰国してしまったのですが、帰国前に私宛に手紙を残しておいてくれたのです。そこには私がお見舞いに行ったことにびっくりし、嬉しくて感動した。あなたの生徒で良かった。と書かれていました。これは想像ですが、彼は今まであまり人の思いやりを感じられずに生きてきたのかなと思いました。その頃の私は教師としてがむしゃらで勢いだけだったと思いますが、真剣な気持ちは伝わっていたのかと思いました。そして初心を忘れないためにもこの手紙は大切に取ってあり、時々、見返しています。私の宝物です。
大病をして人生観も変わり、人のために役立つことをしようと
――その後、また海外にいらっしゃるんですね。
はい、今度は南米に行きたい!と思いまして。日本語教師として確実に南米に行くには?と考えJICAの日系社会青年ボランティア*2に応募して、2005年にボリビアに派遣されました。奥アマゾンのリベラルタ日本ボリビア文化センターで日本語教室を開き、子どもや大人を教えていました。ここは教師が一人だったので、自分でカリキュラムを作り、副教材なども自作しました。大変だったけど使命感に燃えていました。
ボリビアから帰国後、また海外に行こうと計画を立てていた矢先に、本当に晴天の霹靂で病気になってしまったんです。すぐに入院することになり、すべての予定をキャンセルせざるをえなくなりました。初めは退院したら、また海外にいけばいいやと思っていたんですが、ドクターストップがかかってしまって、その時はショックでした。でも、病気になったのが、海外の途上国に派遣されているときでなくてよかった、不幸中の幸いだということに感謝、そして生かされていることに感謝しました。
その時、40歳だったんですけど、80歳まで生きるとして、もう半分生きたから、残りの半分は人のために役に立つことをしたいと思うようになりました。
海外に行くことが難しくなったので、ブラジル人学校の子どもたちに日本語を教えたり定住者の就労準備研修を行ったりしていましたが、介護の日本語のニーズがあるのを知って、教えられるようになりたいと思いました。それでホームヘルパー2級の資格を取りました。この内容がとても深くて、生きることとは?とか、人間の尊厳は?とか人間学とも言えるようなものでした。
その後、EPAの日本語研修講師募集*3を目にして、介護の日本語で学んだことが活かせるので行きたいと思いました。既往歴があるので無理かなと思いましたが、医師のお墨付きももらって半年だけインドネシアに行きました。
介護の日本語と「やさしい日本語」を二本柱に
――現在はどのような活動をされていますか。
これまで日系人定住者向けの研修、介護の日本語研修、それに日本語学校でも非常勤として留学生への日本語指導をしてきました。それから進路指導もするようになったので指導者の講習も受けに行きました。EPAの方たちの日本へ来てからの研修もありますね。さらに養成講座でも異文化コミュニケーション、介護の日本語、ビジネスパーソンや技能実習生向けの研修について担当させてもらっています。
――本当にお仕事が多岐に渡っていますね。
ええ、求められればなんでも......。Facebookの「日本語コミュニティー」でクイズを出すなどのプロボノ活動もその一つです。
「『入門・やさしい日本語』認定講師養成講座」を受講し、認定講師にもなりました。現在はストリートアカデミーというオンラインのプラットフォームで日本人向けの「やさしい日本語講座」を開催しています。それから「リーディング・チュウ太」*4で「やさしくなーれ」という「やさしい日本語」に変換するボランティアもやっていますね。
――そんな活動の中でこれから力を入れていきたいことは何でしょうか。
社会に役立つ活動を行っていきたいので、特に「介護の日本語」と「やさしい日本語」の二本柱に力を入れたいと思っています。日本にいる外国ルーツの方が高齢になった時、自分の国の言葉や文化を知っている介護士さんがいたらどんなにいいだろうと思うんです。ですから、そういう介護士さんの支援をしたいです。
また「やさしい日本語」は日本人向けです。少しずつ知られてきてはいますが、一般の人はまだまだ知らないので、もっと広めたいです。ただ「やさしい日本語」にするスキルだけでなく、マインドの部分を伝えていきたいです。これは日本が本当に多文化共生社会となるためには必要なことなのでライフワークにしていこうと思っています。
この仕事の魅力は学習者も自分も一緒に成長できること
――これから日本語教師になりたい人や、まだ経験の浅い方に向けて何か伝えたいことは、ありますか。
あります!あります!
私は紆余曲折あって日本語教師になりましたが、無駄なことは何もなかったなと思います。今は学習者もニーズも多様化していますし、いろんな人生経験があって、日本語以外の得意分野がある人が強いんじゃないかと思います。日本語教師になるのは何歳からでも遅くありません。フリーランスであれば定年もありませんし。
また、コロナ禍が収まって、自由に海外に行けるようになったら、興味がある人は是非行ってほしいと思います。自分自身が外国で言葉で不自由したり、マイノリティーになったりする経験は日本語教師にとって財産になると思うからです。うちの両親も、自身は海外と接点がなくても、娘がお世話になっていることを知っているから、外国人に対するまなざしが優しくなるようです。
それからオンライン授業が広がったおかげで子育て中や介護中の方も、日本語教師の仕事ができるようになったのもいい点だと思っています。私自身もそうですし。
この仕事の魅力は、学習者も自分も一緒に成長できることだと感じています。だから日本語教師を目指そうかと考えている人は是非仲間になってほしいです。
取材を終えて
学ぶことが大好きだとおっしゃる清水さん。現在も「介護の日本語」のブラッシュアップのための講座に参加したり、仲間と勉強会をしたり学び続けています。「死ぬまで勉強、一生青春!」がモットーだそうです。そのバイタリティーはどこから?と思いましたが、アマゾンで乗っていた小型ボートが止まってしまって、もしかして身ぐるみはがされるかも?と思った(本当はただの故障)とか、4畳半風呂なしアパートの生活で冷蔵庫がないと冷たい飲み物が飲めないばかりかバターも使えないなどのエピソードを笑いながらお話してくださるところに秘密があるのかもしれません。
取材・執筆:仲山淳子
流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。6年前よりフリーランス教師として活動。
*1:現在は「アジア学院」という農村指導者研修を行う専門学校になっています。
*3:国際交流基金EPA看護師・介護福祉士候補者のための現地日本語研修
*4:日本語読解学習支援システムhttps://chuta.cegloc.tsukuba.ac.jp/
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