CLIL(Content and Language Integrated Learning)は、日本語では「内容言語統合型学習」と訳されます。その考え方はCEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)とも親和性が高く、日本語教育でも非常に注目されているアプローチの一つです。『日本語教師のためのCLIL入門』(凡人社)に引き続き、先頃、『日本語世界の課題を学ぶ 日本語でPEACE [Poverty 中上級]』(同)を上梓した奥野由紀子さんにお話を聞きました
恩師の最終講義のことばがきっかけに
――奥野さんが日本語教師を目指したのはいつ頃から何ですか。
高校3年生の時から日本語教師になりたいと思っていました。
――随分早いですね。なぜ日本語教師を目指そうと思ったんですか。
人や動物が好きで、いろいろな国の人と出会える日本語教師という職業にあこがれました。大学でも日本語教育を学んだのですが、実は人が好きなのに、人前で話すのはちょっと苦手で……(笑)、それを克服するために、大学ではESS(英語を使ってさまざまな活動をするクラブ)に入り、英語でお芝居などをすることに熱中しました。
――大学卒業後はどうされたのですか。
20代は日本語学校や海外で日本語を教えたり、広島大学の大学院で第二言語習得の研究をしたりしていました。広島大学では縫部義憲先生の教えを受けたのですが、その最終講義で縫部先生がおっしゃった言葉が、内容を重視する教育に興味を持つようになったきっかけです。
――縫部先生は、いつも教育愛にあふれるお話をされ、多くの方々から信奉されていましたね。縫部先生は最終講義でどんなことをおっしゃったんですか。
縫部先生は、外国語教育に世界の諸問題を知るための「地球教育(Global Education)」を取り入れることを提唱されました。地球教育とは、平和、貧困、環境、教育、自立のための支援、協働と対話といった地球市民として考えるべき内容を含むものです。そして、日本語教育は、これらの内容と重なっていく必要があると述べられました。縫部先生はその概念を、Poverty(貧困からの脱却)、Education(すべての人に教育を)、Assistance in need(自立のための支援)、Cooperation & Communication(協働と対話)、Ecology & Environment(生命と地球環境の保全)の頭文字を取って、PEACEと名付けられました。
――従来の外国語教育の枠組みを超えた、また近年はSDGsで注目されている領域でもありますね。今から10年以上も前に、そのような時代の先を行くお話をされていたのですね。
この頃の私は、世界を取り巻くさまざまな問題が気になってはいたものの、多忙な毎日の中で何もできずにいたのですが、縫部先生のお話を聞いて、日々の授業の中でこういった問題を取り上げて学生と一緒に考えることならできるかもしれないと思ったのです。
――心の中にあった課題意識を紐解く鍵が、恩師のことばの中にあったのですね。
地球教育を考えるのに有効なCLIL
――ところで、ここまでの話の中で、本日のテーマであるCLILということばがまだ出てきませんが、、、
CLILに出会ったのはその後なんです。元々CLILの理論に基づいて実践を始めたのではありませんでした。縫部先生のおっしゃった「PEACE」を考える授業を2年間実践し、ある程度の手ごたえを得たので、それを元縫部ゼミの仲間にも実践してもらうに当たって、CLILのアプローチが実際に実践し始めていたPEACEプロジェクトに非常に適していると考え、その理論を援用することにしました。
――それでは改めてCLILについてご説明いただけますか。
CLILは、Content and Language Integrated Learningを略したもので、頭文字を取って「CLIL(クリル)」と呼びます。日本語では「内容言語統合型学習」と訳されます。特定の内容を目標言語で学ぶことにより、内容と言語の両方を学ぶことを重視します。
――CLILは、いつ頃、どこで生まれた考え方なのですか。
もともとはヨーロッパの複言語・複文化主義から生まれ、CEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)の普及とともに広がりました。さまざまな異なる言語・文化が共存するヨーロッパにおいて、複言語・複文化を学ぶことを通して平和な社会を実現していくという考え方がベースになっています。これは、先に挙げた、世界で起きているさまざまな問題を解決していこうという方向性とも合致しています。
――CLILにはどんな特徴があるのですか。
CLILには4つのCという使いやすいフレームワークがあるのが特徴的です。4つのCとは、Content(内容)、Communication(言語知識・言語使用)、Cognition(思考)、Community / Culture(協学・異文化理解)です。この4つのCを意識して、授業を計画・実施していくことになります。ここには、言語使用能力を高めるだけではなく、内容と思考を通して、また他者との協学を通して学習を進めるというCLILの特色が現れています。
――内容も含めて学ぶとなると大変ですね。CLILはある程度日本語力がないと難しいのでしょうか。
そんなことはありません。適切なスキャフォールディング(足場かけ)さえ行えば、日本語レベルに関係なくCLILのアプローチは使えます。実際に授業を行ってみると、学習者の反応が通常の授業とは異なることに気づくと思います。単に日本語を学ぶだけでなく、日本語や自分の言語資源、リテラシーを総動員して、世界で起きているさまざまな問題を新しく知ることが、学習者にとっては新鮮な発見になり、仲間との協働の活動の中で、日本語を使う真正性も高まり、学ぶモチベーションが上がります。私が通常の授業と一番異なるように感じているのは、学習者が非常に自律的かつ能動的に学ぶようになるという点です。また教師が学習者から教えてもらうことも多く、共に学ぶ者として、成長させられます。
具体例紹介
――実際にCLILの考え方を用いた授業をご紹介いただけますか。
大学の交換留学生や研究生を対象とした初中級から中級前半のクラスでは「食と環境」をテーマにしました。また、大学の学部生を対象とした中上級から上級のクラスでは「世界の貧困問題」をテーマにしました。どちらも導入には「世界がもし100人の村だったら」を素材として使用しました。
――大まかな授業の流れを教えてください。
では、『日本語教師のためのCLIL入門』でも紹介している授業実践ですが、「貧困問題」を扱った授業を例にあげます。全体を5期に分け、90分15回の授業を行いました。第1期が「世界がもし100人の村だったら」を使った導入、第2期で世界の貧困のメカニズムについて書いてある易しい文章を読んで理解し、第3期で平均寿命が世界で一番短い国のひとつであるシエラレオネというアフリカの国とその支援についての文章を読み、第4期で応用として貧困を解決するために様々な分野で活動している社会起業家や貧困を解決するシステムについてグループで調べて発表し、最後の第5期に振り返りを行い、自分についても再認識し(夢や大切にしているもの、得意なもの、専門、人間関係など)、自分たちに何ができるだろうかを考えました。
――CLILの授業では学習者の反応がとてもいいということでしたが、学習者を引きつけるコツはありますか。
できるだけ学習者に身近な話題から導入して、自分にも関わりのある問題として考えてもらえるような仕掛けを作ることが大切です。例えば、いきなり「環境」から入っても学習者はなかなか自分事としては捉えることはできませんが、日頃口にしている食べ物、例えばコーヒー豆がどこで採れているのか、一杯300円のうちいくらが生産者に入るのかなど、調べていくと大変興味を持ちます。そこから貧困の原因としてのモノカルチャー経済といった大きな課題に気づいていきます。
――大変面白そうな授業ですが、CLILに適した教材を探したり、学習者に興味を持ってもらう導入の仕掛けを考えたりするのは、なかなか大変そうですね。
そのような日本語の先生方の声に応えて、先頃、CLILの教材『日本語世界の課題を学ぶ 日本語でPEACE [Poverty 中上級]』を作成しました。この教材をベースに、学習者の興味に合わせていろいろと工夫していけば、CLILの考え方を用いた授業が展開できるのではないかと思います。
――本のタイトルは縫部先生が提唱されたPEACEということですね?
はい。縫部先生が最終講義で提唱された概念です。2022年春には、『日本語世界の課題を学ぶ 日本語でPEACE [Poverty 中上級]』の教師用のガイドブックを出版する予定です。
――今後の出版がとても楽しみです。本の印税の一部はNPO法人に寄付されているそうですね。
本の中では、シエラレオネ共和国で長年、最も経済的困難な状況に置かれる子どもたちの教育支援に携わってきた特定非営利活動法人Alazi Dream Project(略称:NPO法人アラジ)代表理事の下里夢美さんのライフストーリーについても紹介しています。「CLILPEACE」がきっかけとなり、いろいろな人との出会いがあり、感謝しています。
――本日は素敵なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。
奥野由紀子(おくの・ゆきこ)
東京都立大学人文科学研究科教授。広島大学大学院教育学研究科博士課程修了・博士(教育学)。専門は第二言語習得研究・日本語教育学。
『日本語教師のためのCLIL入門』
『日本語世界の課題を学ぶ 日本語でPEACE [Poverty 中上級]』
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