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日本語教師プロファイル船見和秀さん―日本語教師の仕事は言葉を教えるだけじゃありません。

今回の日本語教師プロファイルでは、三重県伊賀市在住でフリーランス日本語教師・やさしい日本語講師として幅広くご活躍の船見和秀さんをご紹介します。船見さんはご自身を「日本語を教えない日本語教師」と称していらっしゃいます。そのユニークな経歴や活動の理念は、日本語教師の新しい働き方を考えている方に大いに参考になるのではないかと思います。

「就社」ではなく「就職」を

――日本語教師になったきっかけを教えてください。

実は私は日本語教育とは関係ない理系出身なんです。理系と言ってもマーケティングや簿記もやっていましたから経済学部に近かったかもしれません。それで当時のトレンドに流されて、大学卒業後は銀行に勤めました。ただ体調を崩したこともあって退社し、実家のある三重県に戻ってメーカーに入社しました。しかしとことん考えてみると、どうもサラリーマンという業態が自分には向いていないことに気づきまして。それで本当にやりたいことを見つけて「就社」ではなく「就職」しようと考えました。様々な資格試験について調べているときに、たまたまアルクのムック本で日本教師を見つけ、「これだっ!」と思ったんです。外国人の前に立って、自分が何かを教えている姿というのもイメージしやすかったです。
そうして1992年に関西では一番古い大阪YWCAの日本語教師養成講座に通い始めました。確か週1日というスケジュールでしたのでアルバイトをしながら2年半通いました。

養成講座で1年半ほど勉強した頃、地元の伊賀市で日本語ボランティアの「伊賀日本語の会」が立ち上がることを新聞で知り、ぜひ参加させてくださいと準備委員会の門を叩きました。養成講座では座学の理論編を終え、これから実践編に入るところだったので、現場を経験するのにちょうど良いタイミングだと思ったんです。

他市の10年先を行く伊賀市

――日本語教師としてのスタートは地域日本語教育ということなのですね。

はい。その当時、伊賀市でもブラジルやペルーなどの外国人住民が増え始め、ゴミ出しなどを巡ってトラブルになっているという話がありました。外国人住民に日本語を教えることで地域に貢献したいと考えた人たちが集まって「伊賀日本語の会」が作られました。実際に始めるまでに準備期間を半年ぐらいかけようとしていたのですが、外国人たちのニーズがあまりに強く2か月後に見切り発車、しかし市長(当時は上野市)をはじめ自治体の方々も全面的にバックアップしてくれるということになりました。オープンの日に120人もの外国人が集まり、建物の外まで列を作っていました。それほどすごい熱気だったのをよく覚えています。

――伊賀市の特殊な事情というのがあるのでしょうか。

留学生がいないことでしょうか。日本語学校もありませんし。三重県の外国人集住率は全国で三位ですが、その三重県の中で伊賀市は上から二番目で6.2%が外国人住民です。そして定住者が多いという事情もあります。ゆりかごから墓場までというか、伊賀で仕事をし、結婚し、家族を作り、家を買う人も多いです。日本人の人口が減っていく中、外国人の若い人たちが地域の担い手となっているんです。桃山学院教育大学准教授で、外国人集住都市会議の基調講演をしたオチャンテ・ロサさんは、「伊賀日本語の会」の最初の参加者のお子さんです。また彼女の兄弟も大学院まで進み活躍しています。そのようなロールモデルがあるので、この地域では外国人も教育にも熱心なのです。

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子どもたちの可能性を広げるのも日本語教師ができること

――「伊賀日本語の会」はボランティアとしての活動なのですよね。

はい、この活動では報酬はいただいていません。ただ、ここでの経験や人脈が様々な仕事につながっていったという面が大きいのです。例えば、ある時、市内の中学校長からいきなり電話がかかってきて、今うちの中学にブラジル人の生徒が3人在籍しているんだけど助けに来てもらえませんかという話がありました。これは「伊賀日本語の会」の代表からの紹介でした。私は「はい、行きます」と返事して、とりあえず翌日行きました。その時から外国につながる児童・生徒への日本語支援の仕事が広がっていきました。現在では市の教育委員会が各学校の関係者を集めて円卓会議を発足させています。
私は日本語指導コーディネーターとして学校に出向き、直接授業はしないけれども「やさしい日本語」に配慮した授業や教材についてのアドバイス、新任の先生のサポートなども行っています。伊賀市、三重県だけでなく、他府県の教職員の研修会に講師として呼ばれることも多いです。

伊賀市の素晴らしいところは、その学校に外国につながる子どもがいる・いないに関わらず、担当者を置かなければならないことです。そして担当者研修会を年2回行っています。また伊賀市は高校に行くための進路ガイダンスをいち早く始めました。外国籍の保護者たちの意識も高く、皆高校にいくのは当たり前と考えていて、昨年の高校進学率はなんと100%でした。先ほどお話ししたオチャンテ・ロサさんのように頑張れば学問で身を立てることもできる、きちんと高校に行くことは意味があるんだということが外国人家庭にも理解されているのです。

また、こんなことがありました。いわゆるグレーゾーンと言われて、小中学校で特別支援学級にいたブラジル人の女子生徒がいました。しかし彼女は絵をかくことに関しては、ずば抜けていたので、私が絵付けを学べる滋賀県の信楽高校セラミック系列を紹介し、両親を説得しました。ここは全国募集を行っていたからです。すると彼女は見事合格。そして1年後には先輩の話を聞く会で200人の後輩たちを前に立派にスピーチをしたんです。つまり、その子に合う環境を整えてやれば、才能は花開くということです。このように戦略的な進路の開拓も、すごく大事で、それも日本語教師の仕事なんですよね。

仕事の4本の柱

――「伊賀日本語の会」と外国につながる児童・生徒への日本語教育の他にどのようなことをされていますか。

現在、私の仕事には4本の柱がありまして。そのうちの2本がこれまでお話しした地域の日本語教育と児童・生徒への日本語教育です。3つ目は日本語教師養成講座の講師の仕事です。これもずっと続けています。実は日本語学校で教えたことはほとんどないのですが、地域の日本語教育に取り組んでいたおかげか、まず養成講座講師として採用されたのです。

もう一つは「やさしい日本語」を教える講師としての仕事です。もともと教職員や自治体の方々の研修で「伝わりやすい日本語」とは何かをお話ししていました。そんな時、「やさしい日本語ツーリズム研究会」代表の吉開章さんから急に電話がかかってきて、大阪のヒューマンアカデミーで「やさしい日本語指導者養成講座」の講師をやってくれないかと頼まれたんです。二人で会った居酒屋で「やさしい日本語には夢がある」「二人で社会を変えましょう!」なんて口説かれて、そんな話に弱いものですから、お引き受けしました。こちらはもう9期生まで送り出しています。吉開さんが主宰している「『入門・やさしい日本語』認定講師養成講座」でも1コマ担当し、こちらは2期終わりました。「やさしい日本語」インストラクターのグループである「チームやさしい日本語」の代表も務めています。

こう考えてみると、養成講座や研修などで、現在お話しする相手はほとんどが日本人で、直接外国人に教えていません。なので「日本語を教えない日本語教師」というわけです。実は外国人に直接教えることもあるんですが、それは中学生の家庭教師です。「日本語を」ということでなく「勉強」を教えてくださいということで、昨日も数学を教えてきました。どうも伊賀の教育熱心な外国人のお母さんたちに私の電話番号が回っているようなんです。(笑い)

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日本語教育Somethingで化学反応を起こす

――これからやっていきたいことはありますか。

そうですね。これまで日本語教育とは関係のなかったような異業種の方とコラボしてみたいと思っています。要するに「日本語教育Something」です。金融でもいいし、飲食でもいい。養成講座の受講生にファイナルシャルプランナーの方がいて、外国人の子ども向けにお金の話をしてみたいと言っていたんです。それも面白いなと思いました。外国人の方が日本で暮らしていくのに広い視野が持てるような情報発信をしていきたいです。そして単に日本語を教えるだけでなくて、日本語教師って世の中の役に立ってるよねということをもっと発信すべきだと思っています。

私自身はフリーランスですから、持ち込み企画も数多くやっています。数年ぶりに同窓会であった同級生に志摩に真珠の買い付けにくる外国人が増えているという話を聞き、志摩市の観光協会で旅館の女将さんやレストランのオーナーを対象に「やさしい日本語」の研修会を行いました。営業に行くのは好きなんです。最近は自分のホームページ(*1)も作りました。

――日本語業界では男性教師が少ないという現状があります。これから日本語教師を目指す男性の方へのアドバイスは何かありますか。

そうですね。日本語教師1本では難しくてもハイブリッドな働き方を考えるといいのではないかと思います。私のように地方都市に住んでいると、家のこと、親の介護のことも出てきます。地域のこともやりつつ、日本語教育と何かを掛け算すると面白い化学反応が出てくるのではないかと思います。例えばうちは築100年の茅葺屋根の古民家なので、外国人の方を家に呼んで農業体験もよいかなとか。

セカンドキャリア、サードキャリアまで人生を長く見たとき、どの年代でどういう日本語教育をやるかということを戦略的に考えるのもいいかと思います。日本語教育の勉強だけしておいて面白い化学反応が見つかった時にやるのでもいいと思います。日本語教師は食えない=諦めました。ではもったいないと思うんです。ただ化学反応を起こす物質を見つける努力だけは続けてくださいとアドバイスしたいです。

取材を終えて

日本語学校ではほとんど教えたことがないという、業界では異色の経歴の持ち主の船見さん。初めからそこをメインフィールドにするつもりはなかったそうです。「人が歩いていないところを行こう」というスピリットをお持ちだったからのようです。「フットワーク軽いですね」とよく言われるけれど「意図的に軽くしているんです。軽くしておかないと仕事なんか来ませんから」。そうおっしゃっていました。

取材・執筆:仲山淳子

流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。5年前よりフリーランス教師として活動。

*1:船見さんホームページ 

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