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日本語教師プロファイル長崎清美さん―面白そう!と思ったことは何でもやってみます

今回ご紹介するのは、NPO法人日本語教育研究所*1の理事であり、ビジネスパーソン向け日本語研修のコーディネーターや留学生の就職活動サポートを中心に行っている長崎清美さんです。長崎さんは日本語学校、大学、青年海外協力隊など様々な場所で日本語を教えてこられた経験をお持ちです。これまでの歩みや2020年に共著で出された本のこと、これからビジネスパーソンに教えたい方へのアドバイスなどについて伺いました。

特に深い思いもなく始めた日本語教師の仕事

――日本語教師になったきっかけはなんでしょうか?

短大を卒業後、鉄鋼メーカーに就職しました。仕事は楽しくて会社に不満もありませんでした。入社して6年目に新入社員の研修を担当することになったのですが、その時に相手に直接何かをして、その反応が直に返ってくるのを楽しいなと感じました。そんな頃、たまたま新聞で日本語教師養成講座の広告を見つけて、ああ、こういう仕事があるんだ、日本人だし、できるかも。と思いました。それで急に上司に「日本語教師になりたいので会社を辞めます」と言ったんです。当時、結婚退職以外で会社を辞める人はあまりいなくて、すごく引き止められました。会社に何か不満があるんじゃないかと心配されたり。初めは特に深い思いもなく日本語教師になりますと言ったのですが、反対されればされるほど自分の中では盛り上がってしまい、後にひけなくなりました。実際に辞めるまでに1年ぐらいかかりましたが、日本語教育能力検定試験を受けるためということでその鉄鋼メーカーを退社しました。

で、退社後すぐに試験に向けて頑張ったかというとそうでもなくて、長い休みができたのも久しぶりだし旅行したりして遊んでいて。でも、はたと、大変、あれだけ上司に啖呵を切って辞めたんだから日本語教師になっていないと恥ずかしい!ということで日本語教師養成講座に通い始めました。しかしまた、養成講座に通っているだけで安心し、あまり試験勉強はしていませんでした。それで年末に検定試験の模擬試験を受けたら散々な結果。そこからはさすがに焦って追い込みで勉強を始めました。たぶんあの時が一生で一番勉強したと思います。そして1992年1月(当時は1月実施)に試験を受け、合格しました。

――その後、日本語教師として教え始めたのですか。

はい、ラッキーなことに養成講座に通っていた学校が新宿に新規校を作ることになり、専任として採用されました。しかも他の方より年齢が上だったのと非常勤講師の経験が少し長かったいうことで主任の立場でした。その学校は留学生ではなく、滞在ビザを持った外国人を対象にしていたのですが、開校時の生徒はゼロ。新宿駅の南口でサラ金の人たちに交じってビラを配る毎日でした。1人目、2人目の生徒さんは今でも思い出せるほどです。そんなわけで学生集めに苦労していましたが、しばらくして韓国企業の研修の仕事が入りました。今、考えるとそれが現在の自分につながっているなと思います。その学校では5年ほど働きました。でも以前から「大学での学び直し」も気になっていて、また急に「実は大学に行こうと思っているんです!」と言って退職しました。

お察しのように大学に行くための準備は何もしていませんでした。でも大学に行くから辞めると言った手前、大学生になっていないとまずいと思い、あわてて大学編入のための予備校へ。そして東京女子大学言語文化学科の2年に社会人編入しました。33歳の時です。今でも忘れられないのが、入学式に行ったら、普通に保護者席に案内されたことです。学校に通う時も、毎朝警備員さんに敬礼されました。教職員だと思われていたんですよね。今でこそ社会人学生は珍しくなくなりましたが、当時はそんな状況でした。

ケニアで日本語を教える

――大学生活はいかがでしたか。

短大の時と違って、自分のお金で大学に通うとなると、同じ料金で授業取り放題はなんてお得! と思い、たくさん単位を取りました。卒業する時にゼミの先生に「海外で教えることを考えたことある? 両親が高齢になると介護の問題も出てくるから親御さんが元気なうちに海外に出てみるのもいい経験になる」とアドバイスされました。私はそんなに海外志向はなかったのですが、じゃあ、行ってみようかと思いました。行くのなら公的なもののほうがいいかなと思っていましたが、青年海外協力隊の試験がわりとすぐにあったので、それを受けたら合格しました。

――それでどちらへ赴任されたんでしょうか。

ケニアです。実は希望はルーマニアで出したんです。赴任地は合格通知の翌日に来るので、どこだろうと思いを巡らせていましたが、届いた手紙にはまさかの「ケニア」。「ニア」だけ一緒だって思いました(笑い)。協力隊に応募する人は開発途上国に対する熱い思いを持っている人が多いのでケニアに行くというと憧れられましたが、私自身はあんまりよく知らず、アフリカというイメージから母にも心配されました。

――ケニアに行ってみてどうでしたか。

私が思っていたのと全然違いました。まず服装です。勝手なイメージでTシャツにジーパンとかカジュアルでいいだろうと思っていましたが、ケニアはかつてイギリスの植民地だったので、イギリス式の?ドレスコードがありました。私が教えていたのはナイロビの観光専門学校でサハラ以南では有名な学校でした。優秀な学生も多く、教師はきちんとジャケットを着ていなければならなかったんです。

まあ、そんなこともありましたが、ケニアでの2年半は本当に楽しかったです。私はその時38歳で、当時の青年海外協力隊の制度ではほぼ最年長でした。若い頃だったらまた違ったかもしれないのですが、違う国に来ているんだからいろいろあって当たり前と思っていたので、全然ストレスも感じませんでした。一緒に来ている若い子たちはいつももめごとや悩みがあって、大変そうでしたけど。

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日本に帰国し、日本語教育研究所で仕事を始めるまで

――日本に帰国されてからは?

大学の時の先生が「海外で教えていたのなら先輩ということで学校に来ない?」と誘ってくださり、話をしに行きました。そしてそのことがきっかけで、学科の事務助手をすることになりました。また別の大学で1コマ留学生に教える仕事も紹介してくださったので、週に4日は大学の言語文化学科で事務助手の仕事をし、1日は日本語を教える生活をしていました。

事務助手の契約が4年で終わる頃、前から関わっていた武蔵野市の国際交流協会の知り合いから、今度は東京外国語大学の多言語多文化教育研究センターの仕事を紹介していただきました。

そこでは産学共同で子どもの日本語教材を作るというプロジェクトのアシスタントプロジェクトマネジャーの仕事をしました。それまで子どもの日本語には関わったことがなかったので、大変興味深かったです。浜松などの外国人集住地区の子どもの様子を見に行く出張などもしました。

ただ、この頃母が病気で寝たきりになってしまい、このプロジェクトの仕事を続けることはできなくなってしまいました。

その後、母の介護をしながら、友人に紹介してもらった企業の研修などを細々とやっていました。しかし介護が長引くだろうと覚悟していた矢先に母は亡くなってしまったんです。仕事も辞めてしまったし、この先どうしようと思っていたら、大学時代の先生から連絡をいただきました。先生は東京女子大学を退任されて日本語教育研究所の理事長になられていました。先生には母が亡くなったことも連絡していたので、「もし暇なら、大きい研修の仕事があるんだけどやらない?」と誘ってくださったんです。私は即座に「やります!」と答えました。それは日本の大手電機メーカーの新入社員研修でした。グローバル採用の外国人社員に週5日間研修する仕事です。この仕事を2009年から2019年まで担当しました。

――そこから日本語教育研究所の仕事をなさっているんですね。

はい。ただ電機メーカーの仕事は4か月だけでしたので、他の専門学校などでも非常勤で教えていました。学校で教えるのは久しぶりでしたけれども、ビジネス日本語科というのができたばかりで、いろいろと新しい取り組みをしていたので楽しかったです。主任の先生と共に実践研究フォーラムやビジネス日本語研究会で、学習者と外の人とのつながりを作るビジターセッションについて発表をしたこともありました。

――現在は日本語教育研究所の理事をされていますが。

今、日本語教育研究所では教える仕事はほとんどしていなくて、コーディネーターの仕事が中心です。企業の研修担当者と打ち合わせをして、コースデザインや予算面の交渉をしたりしています。

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ビジネスパーソンに教えるには

――「留学生・日本で働く人のためのビジネスマナーとルール」*2はどのような思いでつくられたのでしょうか。

企業研修をずっとやってきて、日本人、外国人双方のお話を聞くことが多いのですが、企業の人事の方の思いが、外国人にきちんと伝わっていないと感じていました。企業側は研修をたくさん用意するんですが、採用された外国人側は、自分たちは即戦力だと思って入ってきたのになんでまたこんなことをしなければならないのかと思っているとか。それで日本人の方には外国人ってこう考える人が多いですよとお伝えしますが、外国人の方にも日本人ってこんな風に考える人がいるということを伝えたかったんです。

――なるほど。この本の使い方の講座も行っていますね。

はい。自分たちが考えた使い方とは違う使い方をしてしまう人もいると聞き、本って出しただけでは伝わらないのだなと感じまして。「はじめに」に使い方を書いても皆さん読まないですよね(私も読みませんが)。なので、あの本を上手に使ってもらえるような講座をゼミ形式でやってみようと思って始めました。おかげさまで好評をいただき2021年5月の講座で5期目になります。現在はオンラインで開催されていますが、良かったことは海外や東京以外からの参加者がたくさんいたことです。対面だったらできなかったことだと思います。

――これからビジネスパーソンに教えたいと思っている方に何かアドバイスをお願いします。自身にビジネス経験がないとビジネス日本語は教えられないのではないかというような議論もありますが。

私はビジネス経験がないから教えられないとは全く思いません。逆に経験がある方には落とし穴もあると思います。それは自分の経験だけを基に考えてしまいがちだということです。しかし常に時代は変わっていること、また職種や業種によってすべて違うということも頭に入れておくべきです。

また日本語学校だけで教えてきて会社経験がない方は、企業研修は学校とは違うという頭の切り替えは必要だと思います。学校だと先生と生徒という関係になりますが、研修では学習者はお客様ですから。それから日本の企業文化、日本の会社ではこんなことがあるみたいなことは知っておいたほうがいいと思います。

――それはこの本を読めば大丈夫ですね。

そうなればよいのですが。ただ注意してほしいのは、本に書いてあることはあくまで一般的なことです。それぞれの会社で違うところもあるので、あなたの会社ではどうなのかということを聞いて進めることも重要だということです。

取材を終えて

ご自身の今後について伺うと新しいものや興味があるものは何でもやってみたいという長崎さん。またせっかく企業研修を長くやってきたので、それができる人を増やしていきたいとおっしゃっていました。お話を伺って、旺盛な好奇心が人生の運をどんどん引き寄せている気がしました。また観劇マニアでもあり例年は仕事の合間を縫って100本ほどの演劇を鑑賞しているけれど、昨年はコロナのため50本程度になってしまったそうです。早く元のように楽しめる日が来てほしいですね。

取材・執筆:仲山淳子

流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。5年前よりフリーランス教師として活動。

*1:NPO法人日本語教育研究所:http://www.npo-nikken.com/

*2:「留学生・日本で働く人のためのビジネスマナーとルール」武田聡子・長崎清美
日本能率協会マネジメントセンター

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