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宮崎で地域社会の多文化共生に取り組むコーディネーター

宮崎県小林市は人口43,451人、在住外国人数557人で、総人口に占める外国人の比率は1.28%です(2020年4月1日現在)。外国人の在留資格は技能実習が多く、国籍の第1位はベトナムです。その小林市が「小林市国際化・多文化共生推進計画」(以下、小林市多文化共生計画)を公開したのは2020年3月のことです。陰には、地域の多文化共生を推進するコーディネーターである満留みつどめ由紀子さんの働きがありました。満留さんへのインタビューから、小林市多文化共生計画の作成に満留さんがどう携わったのかを中心に、日本語教師とは異なる能力が必要とされるコーディネーターについて考えます。NPO多文化共生プロジェクト代表の深江先生によるコラムです。

多文化共生計画を立案する

宮崎県の南部、鹿児島県との県境に小林市はあります。小林市出身の満留さんは、アメリカで長く生活した後に故郷に戻り、市内の小学校に転校してきたフィリピンの児童生徒の支援に携わりました。日本語も分からず、英語も伝わっているか分からないフィリピンからの児童生徒の支援に取り組む日々。その時期、市役所が市内の国際化を推進するためにコーディネーターを設置することを決め、満留さんが依頼を受けました。

市役所内に初めて設置された国際化推進コーディネーター。もちろん、あらかじめ仕事が準備されているわけではありません。満留さんは、回覧される研修案内などの文書から自分に必要なものを見つけ、参加することにしました。それが、CLAIR(自治体国際化協会)とJIAM(全国市町村国際文化研修所)が共催で行っている多文化共生マネージャーの養成講座です。講座を通して、満留さんは全国の市町村の中には多文化共生計画をすでにつくっているところがあることを知りました。そして満留さんは、小林市には、市内で働いている外国人が多く、国際交流だけでなく中長期にわたって生活している市内在住の外国人が日本人と同じように生活していくことが必要だという実状に合わせ、コーディネーターとして何か支援できるのではないかと考え始め、その中の1つとして小林市にも多文化共生計画が必要ではないかと考えるようになりました。この計画を指針として、在住の外国人に必要な企画やイベントを考えることができるからです。

小林市の多文化共生計画をつくろうと考えた満留さんは、近隣である都城(みやこのじょう)市の多文化共生マネージャ―に協力を求めました。都城市はすでに多文化共生計画があったため、その事例を市役所内で共有することで、計画づくりに対する周りの理解が得やすくなります。そして、満留さんは同じ課に所属するメンバーでチームをつくりました。そして、そのチームで多文化共生計画の素案を見ながら自由にアイデア出しをするブレインストーミングを行い、小林市独自の多文化共生計画を作っていきました。その計画作成は、国や県が出している計画 と照合しながらどう位置づけるかという点に留意して行われました。全体の歯車の一つに計画を位置づけなければその計画は実現しない、と満留さんは考えたからです。同時に話し合いは、一つひとつのことばの使い方にいたるまで行われました。たとえば、小林市多文化共生計画では外国人市民ということばが使われています。外国人労働者、在住外国人、など様々な表現があるなかで、外国人市民ということばが選択されたのは、小林市で生活している外国人は、日本人と同じように市民であるという意図があるからです。

満留さんを中心としたチームは、作成した多文化共生計画の案を、所属する地方創生課内の決裁から始まり、部内決裁→市長への報告→議会→庁内会議と段階を踏ませました。そして、外国人を雇用している事業者などの意見を聞く市民会議を開催し、最後にパブリックコメントを受け付け、2020年3月に公開の運びとなりました。資料1は、小林市多文化共生計画の中から外国人市民に対する生活支援の一部を抜粋したものです。

資料1 外国人市民に対する生活支援の一例(小林市多文化共生計画より)

160表2

コーディネーターとして大切なこと

私は、市で初めて設置されたコーディネーターとして右も左もわからないであろう中、自ら必要な研修会などを見つけ、多文化共生計画を立案し、推進していったという満留さんの話を聞いて、そのような力はどう身に付けたのかと思いました。ヒントはアメリカでの生活にありました。満留さんはアメリカでセラピスト・研究員として活動する中で、働く事業所を自ら開拓しなくてはなりませんでした。そのため満留さんは事業所に向けて自分の能力をプレゼンし、求める条件などを交渉したのです。開拓を続ける中で、満留さんは「相手が何を求めているのか」を常に意識することが重要だと気付き、行く場所に応じて「自分はこういうことができるから雇ってください」と相手に伝わる工夫をするようになったそうです。相手は何を求めているのかを分析し、それに対し自分は何を提供できるのか。この考え方は、小林市在住の外国人にとって何が必要かを考えた結果、多文化共生計画を立ち上げたことにつながるものです。

また、満留さんは小林市に必要な多文化共生計画を練っていくうえで、市役所の中で複数の立場が噛み合って動いている様子を「歯車」に例え、それを意識していたことを教えてくれました。それは次のことです。

市役所の中では、いろいろな部署が計画を立てます。その計画は市全体の総合計画に基づき、順々につくられているものです。さらに市は、県や国の動きと連動しているので、県、国がどう動くのかも同時に考える必要があります。このように、市役所の中ではいくつもの歯車が噛み合いそれぞれの必要性や計画に基づいて動いているので、満留さんとしては、自分の思いだけで動かず、外国人支援が必要と思われる部署の動きを感じながら、どうアプローチできるかを考えなければなりません。全体の中に自分はどう位置づけられるのかを考えることで、次にどう動けばよいかが明確になります。このような考え方に基づき、多文化共生計画を市の計画にどう位置づけるかチームで熟慮して動かしていったからこそ、計画は市の歯車の一つとして認められ公開に至ったのではないでしょうか。

満留さんのお話を聞きながら、私はあらためてコーディネーターという仕事について考えました。そのお話から、コーディネーターは、自分を基軸に考えるのではなく、他者との関係を基軸に考える態度を持っていることが分かります。今、動いている様々な歯車の動きを観察して、その歯車の動きを損なわないように、自分たちのやるべきことを提案し実行する満留さん。コーディネーターとしての仕事の成果について尋ねたとき、市役所の方々が施策について話す中で、外国人住民についても考えてくれる機会が多くなったと教えてくれました。これまで見えなかった存在を見えるようにした満留さんは、日本人市民を中心に回っていた歯車に外国人市民を加え、多様な人々が暮らしやすい小林市をつくることに、市役所の職員と共に取り組んでいます。

執筆/深江 新太郎(ふかえ・しんたろう)

「在住外国人が自分らしく生活できるような小さな支援を行う」をミッションとしたNPO多文化共生プロジェクト代表。大学で歴史学と経済学、大学院で感性学を学ぶ。珈琲屋で働きながら独学で日本語教育能力検定試験に合格し日本語教師に。学校法人愛和学園 愛和外語学院 教務長。

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