検索関連結果

全ての検索結果 (0)
日本で英語教師をしていた僕が、オーストラリアで日本語教師になって思ったこと

昨年6月に渡豪、7月からは8〜12年生(中学2年生〜高校3年生)までの授業を担当していた黒沢 毅先生。日本では公立高校の英語教員をされていました。オーストラリアの中高生に英語で日本語を、しかもひとりで教えることの難しさを痛感されながらも、日々教えることの喜びと充実感を味わっておられます。さて今回は、勤務されるシャロームカレッジの1月下旬から始まった新年度の様子、そしてこれまでを総括してくださいました。

入学式はなし。新年度のスタート

本校では、1月20日より教職員の出勤が始まり、生徒指導やチャイルドセーフティ、ICT活用などの全体研修をはじめ、各教科会はもちろん、ハウスミーティングなど1週間かけてさまざまな準備が行われました。

1月26日のオーストラリアデイを経て、翌日の27日には新入生の7年生(中学1年生)と12年生(高校3年生)のみが登校し、それぞれの学年に分かれて終日オリエンテーションなどが開かれましたが、日本のように入学式はありませんでした。そして翌日28日からは残りの8年生から11年生も登校し、通常通りの授業、そして10週間の1学期がスタートしました。

年度が変わり、担当するクラスも昨年度とは若干変わりました。今年は7年生28人を2クラス担当することになりました。僕は日本で19年間、“高校の”英語教師でしたので、入学したばかりの中学1年生に指導するのが正直、不安でした。しかし、小学校で日本語を学習してきた生徒たちが各クラスに10人ほどいることもあり、また、とても可愛らしく人懐こい生徒たちということもあって、これまでのところお互いに楽しく授業を進めることができています。

また、10年生から12年生のクラスは、昨年まで指導していた生徒たちばかりでしたのでスムーズにスタートを切ることができました。ただやはり、ここは日本ではありませんので「約2ヶ月間の夏休み中、日本語の勉強は何かした?」と訊いてみると、95%の生徒たちは「何もやってない。」と即答してくれました。
オーストラリアでは日本と違い、長期休みであっても膨大な量の宿題は出ないですし、個人に任されているから仕方ないなあと思いました。「やはり授業で勝負!」ということで、今後の授業で彼らの学びをサポートしていけたらと思っています。

黒沢先生8回目画像2

多くのサポートに助けられての渡豪

昨年の今頃は、前任の埼玉県の公立高校の職場でも人事異動の話題で盛り上がっている頃でした。そんな中、僕は19年英語教師として勤務してきましたが、退職してオーストラリアの姉妹校である現任校に勤める決断をしました。

当時、すでに問題となっていた教員の働き方改革、4技能英語教育をはじめとしたさまざまな公立高校としてのあり方に毎日モヤモヤを抱えて仕事をしていました。そんな自分に巡ってきた「オーストラリアの中高一貫校での日本語教師としての勤務」の話は、そのモヤモヤを解消し、新しいことにチャレンジしながら自分らしい生き方を模索できるまたとないチャンスだと考えました。

もちろんこれまで勤務してきた公立高校を退職することへの不安、帰国後の就職への不安、その他にも数多くの不安要素はありましたが、前任校でお世話になった先生方をはじめ、多くの皆さんに背中を押していただけたことも今回の決断の大きな要因でした。

教育現場で発見する違いから学べる多くのこと

これまでにもお伝えしてきましたが、オーストラリアでフルタイムの教員として日本語教師未経験の僕が、単独で5クラスを指導することは想像していたよりも遥かに難しいです。しかし、そんな中でも、日本語や日本文化に興味を持つ生徒たちや、本校の日本語教育に日本語ネイティブとして貢献できることは大きな喜びです。

オーストラリアに来て、教員の働き方や地域における学校の役割、校内における各教員とその他専門職との明確な分業、生徒たちの授業参加のあり方、そして管理職の男女比率、ICT活用など、さまざまな側面で日本のそれと異なることに気づきます。もちろん、必ずしもこちらが全て正しく、日本が正しくないという訳ではありません。逆に放課後の生徒たちによる清掃のように、日本の学校文化として実施されていることをこちらでも採用してくれたらいいのに、と思うこともあります。しかし、これまでご紹介してきたようなオーストラリアの学校システムが日本でも取り入れられたら、学校や教育に関わるさまざまな問題や課題がどの様に変わっていくか想像してみることは、ちょっとしたワクワクを感じられる時間でもあります。

最後に

このような貴重な機会をいただけたことに感謝しつつ、帰国後、恐らくはまた日本で復職するであろう英語教師としての職を得たときのために、オーストラリアにいるからこそできる経験をたくさん積み、今後に役立てることができたらと願っています。また、今回、公立高校の教員を退職して選んだオーストラリアでの日本語教師としての経験があったからこそ、これから関わるであろう未来の日本の高校生たちの指導に何かしらの違いを生み出しつつ、彼らの人生に寄り添っていけるような教師になれたらと思っています。ありがとうございます。

黒沢 毅(くろさわ・たけし)

黒沢 毅(くろさわ・たけし)

神田外語大学外国語学部英米語学科卒業後、米国ミズーリ州カンザスシティ・グランドビュー高校にて日本語教師として勤務。帰国後複数の高校に勤務。埼玉県の公立高校で英語教師をしているときに姉妹校でもあるオーストラリアのシャロームカレッジに20名の生徒を6回引率。その縁から、日本の高校教師を辞め、2019年から日本語教師としてシャロームカレッジで勤務している。

関連記事


今後の日本語教育を見据えたカリキュラムのつくり方②ーコースフレームワークとモジュールボックス

今後の日本語教育を見据えたカリキュラムのつくり方②ーコースフレームワークとモジュールボックス
カリキュラムを一から構想するとき、具体的にどこから手をつければいいでしょうか。カリキュラム編成の考え方はわかったけれども、作業手順がわからない、ということもあるでしょう。そういう場合にぴったりの方法が「令和45年度 文化庁委託「日本語教育の参照枠」を活用した教育モデル開発事業【留学分野】」で日本語教育振興協会チームによって開発された「コースフレームワーク」と「モジュールボックス」というツールを利用する方法です。具体的な使い方を見ていきましょう。(竹田悦子・内田さつき/コミュニカ学院)

今後の日本語教育を見据えたカリキュラムのつくり方①-「日本語教育の参照枠」を手がかりに

今後の日本語教育を見据えたカリキュラムのつくり方①-「日本語教育の参照枠」を手がかりに</strong>
現在、認定日本語教育機関の申請を控え、「日本語教育の参照枠」に沿ったカリキュラム編成と言われても、どこからどう手をつければよいのか不安に感じていらっしゃる先生方も多いのではないでしょうか。教務主任や専任教員としての経験はあっても、これまで、前任者から受け継いだカリキュラムを、若干の手直しだけでほぼ踏襲してきたという場合や、新規校の主任を引き受けることになった場合など、自分で一から新たなカリキュラムを立てた経験がなく、途方に暮れている方もあるかもしれません。そんな先生方の心が少しでも軽くなるように、どこから始めればいいのか手がかりがつかめるように、いくつかの点から考えてみたいと思います。  (竹田悦子・内田さつき/コミュニカ学院)

日本語教師プロファイル田中くみさんー自分の強みを活かして自分に合った働き方を

日本語教師プロファイル田中くみさんー自分の強みを活かして自分に合った働き方を
今回「日本語教師プロファイル」でインタビューさせていただいた田中くみさんは、Language Plus Oneの代表として、日本語教育のみならず、キャリア教育や外国人への就職支援にも取り組んでいます。最近では学習アドバイザーの資格も取られたそうです。これからの働き方として、特定の組織に属さないフリーランスを考えている方に参考になるのではないでしょうか。

ベトナムにルーツを持つ子どもたちが気づかせてくれたこと―多様な言語・文化的背景を持つ子どもたちとともに学ぶ、これからの学校(2)

ベトナムにルーツを持つ子どもたちが気づかせてくれたこと―多様な言語・文化的背景を持つ子どもたちとともに学ぶ、これからの学校(2)

日本語も日本文化もわからないまま、家庭の事情等で来日し、日本の学校に通う子どもたち。その学習にはさまざまな支援が必要です。子どもたちの気持ちに寄り添い、試行錯誤を続ける近藤美佳さんの記事、後編です。


新装開店! 凡人社書店にお邪魔しました

新装開店! 凡人社書店にお邪魔しました
日本語教育の専門書店である、日本語の凡人社。東京千代田区麹町と大阪に店舗があります。ちなみに麹町店はこれまで月・水・金の12時から18時まで開店していましたが、10月1日から平日の月・火・水・木・金の営業となりました(土・日・祝休み)。また、大阪店はリニューアルオープンのため当面の間、休業とのことです。今回は改装した凡人社麹町書店に伺って、お話を聞いてきました。