日本語教師には実に魅力的な人が多いものです。教師になるまでのキャリアや人生経験、教師になってからの姿勢や生き方が、その教師をますます輝かせます。ここでは、そんな魅力的な日本語教師の人生を通して、日本語教師という職業の魅力をお伝えします。(NJ編集部)
「日本語教師はプライスレス」
今回は、千葉科学大学で日本語講師を務める高橋道恵さんにお話を伺いました。
- お名前:高橋道恵さん
- 高橋さんの人生いろいろ:漫画家アシスタント → イギリス留学 → 英語教師 → ネパール在住 → 日本語教師 → 還暦で結婚
- モットー:和顔愛語
好きなものから人生が広がる
Q:高橋さんのお生まれはどこですか?
A:千葉県の銚子です。銚子は美味しいお魚で有名ですが、私の家も寿司屋をやってました。でも、私は妹が3人いるんですが、全員さしみが食べられなくて(笑)。子供の頃は、卵焼きやカッパ巻きばかり食べてました。
Q:身近なものが苦手ってありますよね。子供の頃は何になりたかったんですか?
A:漫画家です。手塚治虫先生や萩尾望都先生の大ファンで。学校もデザイナー学院に進学したんです。卒業後はそのまま、つのだじろうプロダクションへアシスタントとして入りました。
Q:「恐怖新聞」や「うしろの百太郎」などの怖い漫画ですね(恐)
A:はい。
Q:その後にイギリス留学をされたのはどうしてですか?
A:小学生の時に両親の知り合いから外国のお金をお土産にもらったことがあったんです。その時以来、海外への憧れを漠然と持っていました。中学生になってスコットランドの人と文通を始めたのですが、なかなか英語でうまくコミュニケーションできなくて。それで一念発起して、ロンドンに1年半、語学留学しました。
Q:留学先の生活はどうでしたか?
A:当たり前ですが、クラスメートがみんな外国人ですので(笑)、外国人の友達が一気に増えました。運がいいのか、友達が別の友達を紹介してくれることも多くて。
Q:高橋さんのお人柄もあると思いますよ。変な人は友達に紹介しませんので。
A:イギリスから戻ってきてから、地元の銚子で英語の先生をしばらくやって、その後、東京で事務職に転職したのですが、、、「正直、あまり事務職は向いてないようです」と上司に言われて(泣)、それで傷心のままネパールへ行くことになりました。
Q:いきなりネパールですか!(驚)ネパールでは何をしていたんですか?
A:ネパールは仏教国なのですが、地元のお坊さんに協力してもらって、ネパール人向けにお釈迦様の物語を漫画にしたりしていました。ネパールは居心地が良かったので、結局5年いました。
日本語ネイティブとして教師を目指す
Q:それで、ネパールから戻られて日本語教師を目指したわけですね?
A:40代の頃だと思います。ネパールから戻ってまずは通信制の大学に入学・卒業しました。その際に英語の教員免許も取ったのですが、英語教員としてはやや限界も感じていました。
Q:どんな限界ですか?
A:どんなに勉強しても英語ネイティブのようにはなれないということです。それに加えて、海外にいる時に日本のことをいろいろと聞かれても、よく分からない、うまく答えられないということもあって、日本語ネイティブとして日本語教師を目指そうと思ったわけです。
Q:どうやって日本語教師になる勉強を始めたんですか?
A:まずは通学生の養成講座とNAFL日本語教師養成通信講座を受講しました。他にも積極的にセミナーに出たりする中で、日本語教師の師匠でもある嶋田和子先生との出会いがあり、2014年に嶋田和子先生ACTFL-OPIワークショップも受講し、テスター(OPI試験官)の資格も取りました。
Q:実際に日本語を教え始めたのはいつ頃からですか?
A:12年ほど前から、地元の千葉科学大学で非常勤講師として教え始めました。今は専任講師として教えています。
Q:授業ではどんなことを心掛けていますか?
A:学習者の主体性・自主性を何よりも大切にしています。初めて日本語を教え始めた頃、教える文型・語彙にばかり捕らわれて、授業をしていても私もつまらなかったし、学習者も死んだ魚のような目をしていました。これではダメだと思ったんです。
Q:それでどうしたんですか?
A:思い切って、教科書を嶋田先生が監修された「できる日本語」に変えたんです。これは教師が一方的に日本語の知識を与えるような従来の教科書ではなく、学習者の力を引き出しながら楽しい授業を一緒に創れるような教科書です。教科書を変えて、学習者の顔色も授業の雰囲気も大きく変わりました。
ご主人との出会い
Q:話は変わりますが、最近、ご結婚されたそうで、おめでとうございます!
A:ありがとうございます。主人は12年ほど前に日本語のクラスを通して知り合ったアフリカ系のアメリカ人なんです。
Q:日本語を教えたことがいい出会いのきっかけにもなったんですね。
A:はい。主人は今は地元で英語を教える仕事をしています。
Q:ご結婚されて、何か変わったことはありますか?
A:実は、アメリカ社会もそうですが、日本社会にもまだまだ皮膚の色で差別するようなことがあるのだなというのを感じています。これは、アメリカ人と付き合い始めるまではあまり意識してなかったですね。
Q:そういうことにセンシティブになれるのも、日本語教師の一つの能力ではないかと思います。異文化の仲介をしながら、地域社会を創っているような役割は、今後、外国人が増えていく日本社会で、ますます重要になっていきますね。
A:そうですね。実は昨年、私は自転車事故で大腿骨頚部骨折で入院したんです。その時に、大学の修了生や在校生がわざわざお見舞いに来てくれたのです。病院は銚子市から自動車で40分の距離の旭市にあるので、まさか学生が見舞いに来てくれるとは思っても見ませんでした。
Q:そういった感動が日本語教育の世界にはありますね。
A:たくさん果物を持って見舞いに来てくれた学生が、「先生のしてくれたことはプライスレスだから」と言ってくれたんです。これで骨折の憂鬱さは一瞬で吹っ飛びました。
Q:日本語教師というのは、まさにお金に変えられない喜びに満ちた仕事ですね。さまざまな人生経験を経て、高橋さんの今がある。そして今を生きる。その時に、周りにはご主人や学生がいてくれていて、本当にお幸せですね。
A:人と人との絆で世界は平和になると思っています。これからも日本語教師として、人と人をもっと繋いでいきたいと思います。
本日はありがとうございました。
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