地域の日本語教育に携わる日本語教師が求められている現在。各地域で、日本語教師が未開拓の領域を切り拓き始めています。今回、福島県いわき市で、企業でのマネジメント経験をフルに生かして活動している日本語教師の下田まりこさんにお話をうかがいました。(深江新太郎/NPO多文化共生プロジェクト)
経験がないなか、独学で教室活動を考える
―― 下田さんは、会社勤めを行いながら、地域の日本語教育に携わっていますね。そもそも日本語教育に興味を持ったのはどうしてですか。
今、福島県いわき市に住んでいて、本業としては電子機器メーカーに勤務しています。その会社に入って、妊娠して5カ月目ぐらいのときに、家で安静にする必要がある状態になってしまい、一日中ベッドに横になっている日々が始まったんです。それで、あまりにひまだったので、何かしたいと思い、アルクのNAFL日本語教師養成プログラム(現在閉講中)を申し込み、勉強を始めました。5歳から15歳まで海外に住んでいたこともあり、言語としての日本語に興味を持っていたからです。そして子どもが無事生まれて、1歳になったときに、もう一度、勉強を始めて、日本語教育能力検定試験に合格しました。
―― 検定試験に合格してからすぐ、地域の日本語教育に携わったのですか。
いいえ、資格はしばらく塩漬けにしていました(笑)試験に合格したのが2011年で、いわき市の国際交流協会に初めてボランティア登録したのが2020年です。最初は、同じ会社に勤務しているインドの方とマンツーマンのレッスンをボランティアで行いました。ただ、登録する際に日本語教師になる要件を満たしていることを記したため、国際交流協会から将来的に講師としてどうですか、というお話を受けました。そして、2021年から、教室の講師として携わるようになりました。
―― 講師になってから、どのような教室活動を行ったのですか。
前期20時間、後期20時間の計40時間の教室を任されたのですが、全てが講師に一任されている状況でした。決まっていたのは、1コマの授業が2時間半、ということだけでした(笑)私は検定試験の合格だけで教えた経験もなかったので、You Tubeを見まくったり、教材をあさったりしながら、手探りで授業を組み立てました。
「そもそもこの教室は学習者の役に立っているのか」という問い
―― 下田さんと私の出会いは、2023年1月19日に開催した「福岡県・地域日本語教育事例報告セミナー」にご参加くださり、その後、メールをいただいたことが始まりですね。その中で、教室活動を行うだけでなく体制を整備することに関心を持っていると記されていました。
はい、最初の1年は、シラバスもカリキュラムもなかったので、授業を成立させることで精一杯で、来週何やろうと自転車操業でやっていました。でも講師になって2年が経ち、自分なりの教室活動の型ができてきたときに、「そもそもこの教室は学習者の役に立っているのか」「それはどうやったら測れるのだろう」と考えるようになりました。すると次に「そもそもこの教室の目的や目標は何だろう」という疑問が起き、それを設定していないことに気づきました。なので、目的、目標、そこから落としたCan doステートメントとシラバス、そして教室の成果を図る評価指標と評価方法、という一連を作りました。
―― ご自分で?
はい、2023年度の前期に設定したものが次です。
資料1 2023年度前期 いわき市日本語教室(入門クラス)概要
―― このような枠組みをつくることは、企業勤めしていることが生かされているのでしょうか。
はい、何事も目的や目標、評価指標を明確にして取り組むという習慣は会社生活の中で身に付いたものだと思います。
地域の教室活動をどのように評価するか
――地域の教室における評価は、とても難しいところですよね。
はい、資料1の「評価方法/基準」の中で、「2基礎知識の理解度:選択式ミニテストによる評価」は、設定はしてみたものの、あまり意味がないなと感じたので後期からはやめました。テストの正解率は作問の難易度によってどうにでも変わってしまうし、この短期間の日本語教室の中で、何個ことばを覚えたかなどを教室の成果として測ってもしょうがないなと考えたからです。
それより、学習者がこの教室に来ることで、来る前と比べて、行動やマインドでどういう変化があったか、それが日本での社会参画の一歩を踏み出すことにつながっているのか、ということを見たほうがいいんじゃないかと思うようになりました。だから後期からは、教室にきてどんな気持ちや行動の変化があったかをアンケートで聞いたり、教室において学習者の表情や行動にどんな変化があったかを毎回記録したりしています。
資料2 学習者の変化を記したメモ(一部)
地域の教室でハイフレックス型授業を導入
―― 現在、力を入れて取り組んでいることはありますか。
国際交流協会と、いわき市の在住外国人が抱える課題とその課題を解決するためにどういう教室をやるべきか話し合っていた時に、協会スタッフからある悩みを聞きました。いわき市って、すごく面積が広い街なんですね。いわき駅付近の平(たいら)地区でしか教室が開講できていなくて、他に主な生活圏が3つほどあるのですが、そこでは教室が開催できていません。車がある人は、30分ほどかけて教室に来るのですが、いろいろと事情があって来ることができない人もいます。コロナ禍で教室が中止になったこともあったので、「オンラインを導入してみませんか」と提案しました。ただし、学習者の居場所としての教室という機能は大事にしたいので、対面型の教室を維持した上でオンラインでの参加を受け入れることにしました。ハイフレックス型授業の導入です。
―― ハイフレックス型授業を実際、導入してみてどうでしたか。
最初が大変でしたね。機材について、国際交流協会に協力してもらいながら、1番いい方法を模索しました。ハウリングが起きないようにするにはどうしたらいいかとか、受講者から見て何がどのように映っていたら見やすいのかとか、どうしたら快適な環境で受講してもらえるかを試行錯誤し、トラブルなく運営できるように何回もリハーサルをしました。だからアンケートで、オンラインの受講環境は「とてもよかった」という評価をもらったときは嬉しかったです。
―― ハイフレックス型授業のおもしろさはどこにありますか。
オンラインの学習者と対面の学習者が同じ授業にいっしょに参加するところです。やり方によっては、オンラインの学習者が置いてけぼりになってしまったりするのですが、できるだけ教室にいるような雰囲気で参加してもらえるように工夫を凝らしています。例えば、グループ活動をする時に、オンラインの学習者と対面の学習者がいっしょに活動してもらえるように、オンライン受講者の顔を映すノートPCをテーブルに置いて、それを囲むように座って活動したりしています。
取り組みを福島県全域に広めたい
―― これから取り組んでいきたいと考えていることは何ですか。
今年度は、いわき市の中だけでこれをやっていますが、オンライン受講ならいわき市以外からも参加してもらうことができます。なので、例えば福島県内の日本語教室がない地域に授業を提供する、などということも可能です。いわき市外の必要としている人に、オンライン受講枠を提供できないかを考えていきたいと思っています。
―― このように新たな企画を提案し、実践していく中で、下田さんを突き動かしているものは何ですか。
キャリアデザインをするときに、「やれる」と「やりたい」と「やるべき」の3つの円が重なるところを見つけよう、とよく言われます。この3つの円が重なるのが、まさに私にとって地域の日本語教育です。自分の能力が生かせて、自分にやりたいという思いがあって、世の中から求められている。地域の日本語教育は、この3つがそろっている活動なんです。なので、自分はこれだなと、すごくしっくりきています。
むすび
下田さんは、「楽しくしてしかたない」と語ってくれました。鹿児島県霧島市で活動する本田さん(地域日本語教育を開拓する日本語教師ー鹿児島県霧島市)も同じように言っていました。未開拓の領域とは、0から1をつくることで、その一つ一つのプロセスを大変であると考えるのではなく喜びであると感じられるからでしょう。下田さんは今、いわき市外のより広い地域を視野に入れたハイフレックス型授業の展開を模索しています。
執筆
深江 新太郎(ふかえ しんたろう):「在住外国人が自分らしく生活できるような小さな支援を行う」をミッションとしたNPO多文化共生プロジェクト代表。ほかに福岡県と福岡市が取り組む「地域日本語教育の総合的な体制づくり推進事業」のアドバイザー、コーディネータ―。文化庁委嘱・地域日本語教育アドバイザーなど。著書に『生活者としての外国人向け 私らしく暮らすための日本語ワークブック』(アルク)がある。
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