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ことばを教える教師の役割とは何か-日本語教育のスタートライン2

細川英雄さんへのインタビューを通し、「ことばを教える」ことの本質に迫る全3回の連載。好評であった第1回を受け、第2回は「ことばを教える」ことの中核にある対話活動について、文型を使わせる授業、場面から始まる授業と比較して考えます。その中で、教師の役割を明確にしていきます。(深江新太郎/多文化共生プロジェクト)

文型を使わせる授業はなぜことばの活動ではないか

――前回の対談で、私たちが確認したのは、それぞれの思いや考えをことばにしていくということがことばの活動のスタートであるということでした。では、あらためて文型や語彙を教え、それを使って話すということがどうしてことばの活動と呼べないのかという点から、今回の話をスタートしたいと思うのですが。

定められたことばの形に合わせていけば、自分の思いや考えが相手に伝わるか、ということを考えてみてください。例えば、何か言いたいことがあり、どういうふうにしゃべっていいか分からないとします。そのとき、語彙、文型、音声が手がかりになることは間違いありません。これが全然なければ、何もできません。しかし、その形、つまりことばの形は目的ではなく、一つの手がかりにすぎません。問題は、語彙や文型を学ぶ・教えることが目的化してしまうことです。

――語彙や文型を学ぶことが目的化するとはどういうことでしょうか。

目的化というのは、これを覚えればこんなことができる、というふうに短絡的に発想してしまうことです。私たちのことばの活動というのは、自分の感じたこと、つまり自分の心の思いを何とか相手に伝えようとすると、場合によっては自分の母語として出てくることもあるし、ことばにならずに叫び声など完成していない形で出てくることもあります。それは、すぐに相手に伝わらないけれども、やりとりを繰り返すことで、自分の言いたいことはこう表現すれば伝わるんだ、という感覚を話し手は持ちます。それがすごく大事なんです。

――表現という完成した形の一歩手前にある表出と呼べる状態が大切ということですね。

はい。だからアウトプットというのは、話し手がやりとりの中で自分の言いたいことを少しずつでもいいから、継続的に相手に伝えようとすることです。そのときは、まさに手探り状態です。手探りだったり、脇道にそれたりすることは決して悪いことではなくて、むしろ当然のことなんですね。やりとりをしているうちに、いつの間にか、自分の言いたいことはこういうことだったんだ、と、自分でも言いたいことがつかめてくるし、相手にも伝わっていく。だから、結果としては、こういう語彙を使った、こういう文型を使ったということは出てきます。語彙、文型は、自分の考えを相手に伝えるための共通の道具でとても重要なのですが、それは道具であって、ゴールではありません。じゃあ、ゴールは何かというと、相手の言っていることも理解しながら、自分の言いたいことを相手に伝えていくという活動のことです。そのやりとり、つまり対話活動そのものがゴールなんですね。

――そうすると、対話活動というのは、自分の伝えようとすることを自分自身で探りながら話をしていくということですか。

そうですね。教師が正解を持っていて、このように言うことが正しい、という枠組みにとらわれていると、それができれば、よくできました、ということになりますね。でも、それでは本人が考えていること、思っていることは何も伝わらないんです。

ことばの活動における教師の役割とは

――授業の中で、自分の言いたいことを探るというプロセスそのものを大切にしていくとき、教師はどのような役割を担うのでしょうか。

教師の役割は、学び手の活動をフォローすることです。たんにこれこれの語彙、文型を使いなさいと教えるのではなくて、その人がどういうことを言おうとしているのかを、やりとりをしながら想像・創造していきます。想像・創造というのは、二人でイメージをつくりあげていくという意味です。そこでは、「あなたの言いたいことはこういうこと?」「じゃあ、何が言いたいの?」というやりとりが必ず起きます。もちろんそれは複数の活動の場合にも起こります。その場合は、みんなでつくりあげていきます。教師と学習者の1対1のやりとりだけでなく、学習者同士のやりとりのなかでも起きます。このやりとりは、その人の言いたいことを明確にしていく協働的な作業と言えます。教師の役割は、そういう協働の場をつくることです。

一方で、教科書にあるからとか教科書ではこうだからとか考え、教科書にある語彙、文型を教えることだけが目的化してしまうと、教科書をこなしたことにはなるかもしれないけれど、一人一人の学習者自身の本当の力にはなりません。

―― その人の言いたいことをつくりあげていく過程そのものがことばの活動の本質ということでしょうか。

はい。それは初級であろうと中・上級であろうと、つまり習得のレベルと関係がありません。全く言語知識を持っていない学習者の場合には、それなりのフォローが必要ですけれども、そのフォローも同じように続くわけではありません。1日目が終わり2日目になると違いますし、1週間もすればずいぶん変わってきます。

場面から始まる授業はことばの活動ではないか

――現在、場面から始まるコミュニカティブ・アプローチも広まっていますが、場面から始まる授業もことばの活動とは異なるのでしょうか。

ポイントは正解があるかないかです。答えのある学習なのか、答えのない学びなのか、の違いです。場面を用意して、その場面で練習していくことは練習としては悪いことではないのかもしれませんが、それはその人の言いたいことでありません。または、その人の考えていることの実現ではありません。

つまり、例えばこの買い物の場面ではどういうふうに言いますか、という質問を教師がしたとき、学習者はそれぞれ買い物の場面をイメージしますが、それは教師が用意した場面であって、決して一人一人が望んでいるものでありません。あくまで文型、語彙を活用するための場面として用意されています。それでは、文型、語彙を教えることと結局は同じです。最終的に、その場面で練習をして、語彙、文型を獲得させるための授業です。ですから、それを繰り返しても学び手は自分の本当に言いたいことは言えるようになりません。これが、コミュニカティブ・アプローチの限界、と言えます。

――一人一人の言いたいことにそくした活動を行うために場をつくるということは、あらかじめつくられた場面から始まる授業とは異なるのですね。

はい。ただ、自分の言いたいことを伝えるということ自体が一つの場面と言うことができます。自分の思いや考えを人に伝えようとする場面なんですね。それは、外の社会に出るための準備ではありません。まさに、みんなでそこで話し合っていること、それ自体が一つのコミュニティ、つまり社会を形成しています。コミュニカティブ・アプローチの場合は、仮想の場面を教室の中に持って来て、もしこういうことがあったらどうですか、と練習する、準備としてのトレーニングです。私たちのことばの活動は、何かの準備のためにやっているのではなく、まさに今、この教室の場にいること自体が一つの社会、コミュニティのなかでの生きた活動なのです。

だから、「今、あなたは何を考えているの?」という問いが意味を持つのです。そのコミュニティをつくっていく行為として、このようなことばを発していきます。ここが、コミュニカティブ・アプローチと大きく違うところです。

むすび

「ことばを教える」ことは、その人の言いたいことをつくりあげていく想像的かつ創造的な営みである、と細川さんは話してくれました。すると、教師の役割は、決まった表現の中に押し込めていくのではなく、その人が言いたいことを言えるようにフォローしていくことになります。これについては、私の「日本語ジャーナル」でのコラムをまとめた次も共鳴する内容になっています。

「学習者の表現を広げる・深める教師力」

https://shop.alc.co.jp/blogs/nj-local/20200124-kaiwa-00

さて、最終回である第3回は、「でもゼロビギナーに対話活動は無理だから、語彙、文型を先に教える必要がありますよね」というよく起きる疑問から考えていきます。

プロフィール

細川 英雄(ほそかわ ひでお):1949年東京生。早稲田大学第一文学部卒、同大学院文学研究科博士課程単位取得。博士(教育学)。信州大学、金沢大学、早稲田大学日本語研究教育センターを経て、2001年から早稲田大学大学院日本語教育研究科教授。1983-84年フランスINALCO日本語講師、1995-96年パリ大学交換研究員。2013年3月早期退職、以後、八ヶ岳にて言語文化教育研究所を主宰。2013-2022年まで言語文化教育研究学会ALCE代表理事。主著に『日本語教育は何をめざすか』(明石書店2002)、『「ことばの市民」になる』(ココ出版2012)、『対話することばの市民』(ココ出版2022)など多数。

執筆

深江 新太郎(ふかえ しんたろう):「在住外国人が自分らしく生活できるような小さな支援を行う」をミッションとしたNPO多文化共生プロジェクト代表。ほかに福岡県と福岡市が取り組む「地域日本語教育の総合的な体制づくり推進事業」のアドバイザー、コーディネータ―。文化庁委嘱・地域日本語教育アドバイザーなど。著書に『生活者としての外国人向け 私らしく暮らすための日本語ワークブック』(アルク)がある。

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