今回お話を伺ったのは「㈱きぼう国際外語学院」主任講師の栗又由利子さんです。栗又さんは所属機関で技能実習生の入国後研修を行うだけでなく、多文化共生のための任意団体「TABUWATA」の代表も務められています。2023年1月には世良時子さんとの共著で『感じがいい日本語』(Gakken) も出版されました。
オーストラリアで受けた衝撃から日本語教師を目指す
――日本語教師になろうと思ったきっかけを教えてください。
高校時代1年間オーストラリアに留学したんですけど、その時に見た日本語クラスの教え方が衝撃だったんです。例えば「~なければなりませんよ」を節や手ぶりをつけて言いながら輪になって歩いていました。今まで考えたこともないような日本語の文節の切り方でした。外国人が日本語を学ぶ現場を初めて見てびっくりしました。それから私が日本人なので答えられると思ってクラスメイトがいろいろ質問してくるんですけど、一つも答えられませんでした。「なんでここは『は』なんだ?」って聞かれても、「だって、それは『は』でしょ」としか。この、日本語を学んでいる側に立った時に感じた衝撃が日本語教育に興味をもったきっかけの一つですね。
もう一つは、留学生や移民の人たちが対象のESL*1のクラスがあったんですが、そこの先生がすごくよくしてくれたことです。オーストラリアに行って、私、英語はダメだなぁって思ったんですけど、その先生が授業前に発音を丁寧にみてくれたり、教科の取り方にしても親身になってアドバイスしてくれました。こういう先生って日本では見たことないなぁ。英語はダメだけど、日本語だったらやれるかも。日本語で日本語を教える仕事があるんじゃないかと思ったんです。
それから同級生の移民の子たちが、別に来たくもないのに親に連れられて来ていて、そこで私と一緒に英語を勉強していました。あ、日本にも、来たくもないのに日本に来て、日本語を無理やり勉強させられている子どもたちっているんじゃないか? と気づきました。もともと学校の先生になりたいと漠然と思っていましたが、もしかしたら学校の中で日本語を教えるっていう仕事ができるんじゃないか。じゃ、私、日本語の先生になろうかなと思いました。それで日本語教育が勉強できる大学を探して麗澤大学外国語学部日本語学科に入学しました。
新卒で日本語学校の専任講師に
――大学を卒業してすぐに日本語学校の専任になられたそうですね。
ええ、大学の4年間私は日本語の先生になりたいんだということを先生方に言いまくっていました。他の大学で日本語教育をやっている人たちとグループを作って簡単なニュースレターを恐れ多くも大学の先生方に送ったりしていました。そんなことが功を奏したのか、ある日本語学校が新卒で常勤講師を取りたいという話があるとゼミの先生に声をかけていただきました。本当は小学校等に入ることを考えていたけれど、そもそも学校に入ってすぐ日本語を教えられるのかもわからないし、「やりたいです!」と言って、日本語学校で教えることになりました。
大学ではそんなに実践的なことはやっていないので、日本語学校では仕事を覚えながら、とにかく先生方の授業を見せてもらいに各教室を回りました。本当にいい上司、先輩に恵まれ、勉強をさせてもらいました。進学希望の韓国の学生が多い学校でした。そこでは7年半ほど働いたのですが、学生数が減って学校の経営状況が悪くなり、辞めるか非常勤になるか選ばなければならなかったとき、妊娠中だったこともあって、実家のある栃木県の小山に移ることを決めました。
外国ルーツの児童の支援を経験
――お子さんが生まれた後は?
はい、出産後すぐに日本語教師に戻りたかったのですが、栃木で仕事を見つけるのはなかなか難しかったです。そんな時たまたま新聞で、小山市で外部の指導員を雇用して外国ルーツの児童生徒の指導をしているという記事を見ました。あ、これは私がずっとやりたかったことだ!と思ってすぐに教育委員会に電話して募集しているかどうか聞きました。すると来年4月にはまた募集するはずだからと言われ、応募したら採用されたんです。そこから3年間、小学校の日本語指導員をしました。ただ週に3日ぐらいなので、残りは日本語学校の非常勤の仕事を見つけてやっていました。
――実際に小学校で教えてみていかがでしたか。
そうですね。2005年か2006年のことなので、まだ外国ルーツの子どもへの日本語支援について理解が広まっていない頃だったかもしれません。日本語教育能力検定試験の合格証を持って行きましたが、「英検ですか?」と言われたり、日本語教育が専門ですと言うと「国語ですか」と言われたりしました。募集要項にも外国語ができる方と書かれていて、中身としては通訳できる人が求められていたようです。一緒に働いていた人も日系ブラジル人の方や元小学校教師の方などでした。
実際、その3年間日本語教育はあまりしなかったなあと思います。今までの日本語学校での知識が役に立つかなと思っていたのですが、やっぱり大人と子どもでは全然違うんです。例えば平行四辺形って教えたくても、平行四辺形という母語を持っていない人にどうやって教えるのかとか。
学校のシステム上の問題で、外部講師は入り込みで支援はできるけれど、日本語教室の担当にはなれない等、難しいこともありました。それで、どうしようかと思っているとき、現在の「きぼう国際外語学院」の求人を見つけてそこに移ることにしました。
入国した技能実習生への日本語教育
――「きぼう国際外語学院」は技能実習生に対する日本語教育機関ということですが。
はい。実は初めは日本語学校を設立するということで主任講師の募集でした。それで採用されたのですが、いろいろあって日本語学校設立は難しくなり、当初からやっていた技能実習生の受け入れだけをやっていくことになりました。技能実習生は日本入国後、それぞれの実習先に向かう前の1か月間決められた日本語研修を受けます。それを請け負うのですが、1か月で受講者が変わっていくので教える身としてはずっと初級の繰り返しで、中級も上級もありません。毎日誰かが来て、誰かが去っていきます。それもなぁと思っていたところ、学院で文化庁の「『生活者としての外国人』のための日本語教育事業」*2に応募したら通ったんです。それで、技能実習生への研修とは別に、「やさしい日本語」を使った地域日本語教育事業がスタートしました。
その事業を通じていろいろなつながりができ、今、技能実習生に行っていることは無駄じゃないんだ。この人たちはすぐに職場、つまり地域に出ていく人たちだからと気づきました。初級を繰り返してやればいいという教える側の視点ではなく、外国人側の視点に立つことができた時、自分がやっていることが面白くなってきました。
ラジオ番組に挑戦!
――その「『生活者としての外国人』のための日本語事業」でラジオ番組を作られたんですね。
ええ、FM栃木レディオベリーで番組を作って持たせてもらうという企画を文化庁に出したら通ったので、そこがスタートです。2012年から6年間受託しました。最初は私が「やさしい日本語」で地域のニュースの原稿を書き、アナウンサーの方に読んでもらうものでした。でも、やっていくうちに日本人の方が「やさしい日本語」を理解することが必要なんじゃないかと思うようになり、「やさしい日本語相談室」として外国人が日本人に言われて分からなかったことを、私が「やさしい日本語」にして説明するシナリオ仕立ての番組などを作りました。さらにもっと気軽に外国人のことを知ってもらったほうがいいというご意見をいただいたことから、外国人の方に川柳を作って読んでもらい、私がインタビューをしながら内容を聞く「にほんご・しち・ご」という番組に変わっていきました。
その頃、宇都宮に「ミヤラジ」というコミュニティラジオが開局し、そこで「あなたの隣の外国人」という1時間番組を持たせてもらうことになりました。地域に住む外国人の方にインタビューしながら紹介し、こういう人が地域にいるんだということを聞いている人に分かってもらうもので、今も続いています。実は文化庁の事業が終わった時、大変なのでラジオはもうやめようと思っていたのですが、ミヤラジさんに「いい番組だからやめないほうがいい」と言われ、1、2年は自分たちでお金を出し合って続けていきました。
多文化共生に興味があるんです、私
――「TABUWATA」についてはどういった経緯で作られたのでしょうか。
ラジオの番組を続けていくにあたって、こういう活動は団体を作ったほうがいいとアドバイスしてくださる方がいて、その方が団体にするための諸々の作業も引き受けてくださり、気づいたら団体になっていました。
「TABUWATA」という名前は、ラジオに出てくれた人の横の繋がりを作ろうと飲み会をやった時のLINEグループの名前「多文化共生に興味があるんです、私」からきています。団体の名前もそれにしようか、でも長いよね、じゃあ略して「TABUWATA」は? ということで決まりました。
「TABUWATA」は多文化系まちづくり団体と考えています。地域の外国人の人たちが対等な関係で自分たちも主役になれる場を作っていくのがテーマです。ラジオ番組のほうも、私たちが作るだけではなく、外国人の方が自分たちでお金も出して番組を作るって言ってもらいたかったんです。そうしたら去年4月からネパールの方たちが手を挙げてくださって、ネパール語の番組ができました。更にタイと中国の方が続き、現在3か国語の番組ができています。
――「TABUWATA」はラジオ以外の活動もされていますか。
はい。多文化清掃活動です。外国人も日本人も一緒におしゃべりをしながら町の清掃活動をして最後にゴミの分別をしています。私たちが主催の清掃活動だけでなく、他の国の方、例えばネパールの方だけで清掃活動をされていたところ、日本人にも入ってもらいたいんだという要望を聞き、「TABUWATA」でお手伝いしました。今年度はそこにミャンマーやベトナムの方も入って開催されました。
多文化共生のためには、お互いなにかしら「折り合い」をつけないといけないと思うんですね。その「折り合い」の付け方が分かるような接触場面をできるだけ作っていきたいと思っています。お互い○○さんと呼びあえるような関係を作ってもらいたいです。
よい人間関係を作るための日本語とは
――ご著書の『感じがいい日本語』はどのような経緯で出されたのでしょうか。
留学生向けではなく、今後増える外国人労働者に役に立つものが何か作れないかということでお話をいただきました。大学時代の同級生である世良時子さんと一緒に仕事ができて本当に嬉しかったです。
2009年からずっと技能実習生を教えてきましたが、世の中が変わって、今はツールがたくさんできたことを感じています。企業見学に行くとマニュアルは全部外国語になっていたり、「危険」等も3か国の人がいたら、3か国語で書いてあるんです。つい5、6年前までは「立入り禁止」って読めないと大変だからとか、「言われたことが分からないと大変だから」と思って教えていたんですが、実際大きな工場では8割が外国人というところもあります。それに工場などではそもそも作業中は日本語を話さない。こういう状況の中で私たちが教えるべきことは何なのだろうと考えました。今までやってきたことに疑問符がついたんです。
そう考えると、実習が終わって帰国する時、空港で「ああ、日本に来てよかったな」と思ってもらいたい。それには? 日本でいい経験をしてほしい。そのためには? と、どんどん遡って考えていったとき、たどり着いたのはやっぱり人間関係だったんですね。人間関係をよくするためには相手にいい人だと思ってもらうことが大切です。日本人と話す時の中身の部分を扱った教科書はたくさんあると思うのですが、始め方や終わらせ方で感じがいいと思ってもらうための教材を作りたいと思いました。
外国人や若い人たちを巻き込みたい
――これからやっていきたいことを教えてください。
もっともっと地域の人たちと外国人の方が絡むような仕掛けをしていきたいと思っています。その時「TABUWATA」は先導して旗を振るのではなく、その方のやりたいことが実現できるよう誰かの後押しをしたり伴走したりするつなぎ役を目指しています。「TABUWATA」には高校生のヤングチームがあるんですが、そのチームに「日本語カフェ」という企画を任せています。日本人も外国人も対等になるようにという配慮をしながら、とても上手に運営してくれました。参加者だった留学生の若者も「TABUWATA」の会員になってくれています。そういう彼らを見て、こういった若者たちをもっと増やしたい。この人たちがこれからの世界を引っ張ってくれたら日本ももっと住みやすくなるだろうと思います。若者を私たちの活動にどう巻き込んでいくかが課題であり楽しみでもあります。
――これから日本語教育の世界に入りたいという人に何か一言お願いします。
そうですね。「日本語教育はこれだ!」って決めないで、たくさんあるんだって思ってもらいたいです。確かに一番初めに教わったものが基礎になっていきますが、もしかしたらこれじゃない方法があるんじゃないかと常に考えながら、目の前にいるのは「人」であること、「人」と関わっていることを考えてそのための日本語教育をやっていってほしいと思います。
取材を終えて
1か月で学習者がどんどん去っていってしまうのに寂しさはないですか? という質問に、自分たちは実習生が高くジャンプするための踏み台だから強く踏んでもらいたい。今、教えていることを職場に入ってから、「あ、そういえば教わったな」と思い出してもらえればそれでいいんです。とおっしゃっていました。そして研修終了時は「さようなら」は言わず、「行ってらっしゃい」と送り出すそうです。
取材・執筆:仲山淳子
流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。6年前よりフリーランス教師として活動。
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