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日本語教師プロファイル中村妙子さん―学び続ける覚悟をもつこと

今回の「日本語教師プロファイル」はフリーランス日本語教師であり、教師としての成長を目指す日本語教師のグループ「日本語教師こんぶの会」の中村妙子さんの登場です。中村さんは2023年3月仲間とともに一般社団法人「グローバルサポートセンター」を立ち上げました。今後、日本語教育のみならず、様々な困りごとを抱えた人のサポートをしていきたいともおっしゃっています。中村さんのキャリアと日本語教師についての考えなどを伺いました。

日本語を教えるだけじゃない教師になりたい

――日本語教師を目指したきっかけを教えてください。

私は日本語教育専攻なので、きっかけって難しいんですけど。高校生の時、進路を決める際に教職に興味があり、海外や文化的背景がいろいろある人にも興味がありました。それから家族に身体障碍者がいたので、マジョリティにとっては普通のことがそうじゃない人には困りごとになるだろうなという思いが小さい頃からありました。そんなことから日本語教育を学びたいと思いました。その頃、日本語教師ってあまり一般には知られていなくて、面白そうとも思いました。

――大学で日本語教育を学ばれて、大学院にも進学されたんですよね。

はい。ただ大学院で勉強していくうちに、ちょっと進路を間違えちゃったかなと思うことがありました。私、日本語教育史が専門なんですよ。言語政策や言語教育ってすごくイデオロギーに影響を受けやすいもので、一つ間違えると抑圧する側になる可能性もある仕事だって感じ、大丈夫なのか?私?って。

でも大学時代に岡崎敏雄先生の授業でパウロ・フレイレの「被抑圧者の教育学」をかじり、問題提起型の学習をその中で知りました。学生の中には、日本語教師はただ日本語を教えればいいという人と、いやそうじゃないという人たちがいて、すごい議論になっていました。私の立場は後者で、一応「教育」という名前がついている以上、教育者でありたい。日本語はツールとしても重要なんだけど、日本語を教えるだけじゃない日本語教師になりたいと最初から思っていました。

履歴書に書ききれないほどいろいろな経験を

――大学院の後はどうされたんですか。

大学の先生の紹介でタイの大学に日本語を教えに行きました。1994年のことです。当時、日本で一般的だった教科書はタイの現場に全然合っていませんでした。それで国際交流基金の専門家の先生や現地の先生とも協力して会話の教科書と中級の教科書を作りました。今にして思えば結構頑張ったんですよね。私がいた大学は観光地にあったので、観光客に名所への行き方を説明するとか、有名なお寺などの説明をするとかそんな内容を盛り込みました。タイには3年ほどいました。

――タイから帰国されてからは?

仕事を探しましたが、本当になかったんですよね。求人自体も少なく、面接までこぎつけても、採用に至らないことばかりで。ようやく、つくばにある私立大学の留学生別科に非常勤講師の職を得ました。ただそれだけでは食べていけないので、ここが教職の使いどころだ!と高校の現代文の非常勤講師もやっていました。

――日本語教育機関の掛け持ちはよく聞きますが、高校との掛け持ちというのは珍しいですね。

そうですか?今まで日本語教育とあんまり関係ないと思って履歴書にも書いていないんです。いろいろ転々としていて履歴書に書ききれないので。

その後、体調を崩してしまいまして、環境を変えようと都内の新しい日本語学校の専任になりました。ただそこも2年であえなく閉校。だから私、専任の経験が2年しかないんですよね。

それから結婚、出産があり、産後6か月で復帰して専門学校の非常勤になりました。実はそこで、後に「こんぶの会」を一緒にやることになる内田さんと出会いました。内田さんは教務主任でした。さらにもう一人のメンバーの吉田さんもその専門学校に入ってきました。

そこの専門学校も学生数の減少でコマ数が減ったことなどから日本語学校の掛け持ちやプライベートレッスンをいろいろするようになりました。

自分自身のアンラーンと「日本語教師こんぶの会」立ち上げ

――「こんぶの会」はどうして立ち上げることになったんですか。

ある日本語学校からうちで働きませんかとお誘いがあり、そこで教えることになりました。専門学校の同僚だった内田さんからの誘いでした。

また、ちょうど同じ頃に、ある養成講座の教材作成者に募集に応募したんです。日本語学校でベテラン教師が経験だけに頼って若手を指導するという場面を目の当たりにし、私は理論的な背景をしっかり持つことはすごく大事じゃないかと思っていました。そこに採用してもらうことになったのですが、これがやっぱり大きな転機になったと思います。私自身は一応日本語教育専攻で大学院にも行き、日本語教育学会にも所属していたんですけれど、ちゃんとキャッチアップできていなかった。90年代の半ばで知識がストップしてすっぽり抜け落ちていることに気づき、これはまずい!恥ずかしいことだと思いました。自分の担当チャプターを書くのにたくさん本を読み、調べて、それが私自身のアンラーンになったと思います。

それから日本語学校の方でも勉強会をやりましょうとなったのですが、何かの都合で流れちゃったんです。それで内田さんと学内で勉強会ができないんだったら、外でやろうと。そこから「こんぶの会」がスタートしました。

――よく聞かれる質問かもしれませんが、なぜ「こんぶの会」という名前に?

私の出身大学のメーリングリストのグループ名が「わかめ会」でした。内田さんと二人で名前を考えていた時、「わかめ」よりもうちょっと使い勝手がいい「こんぶ」の方がよくない?こんぶなら魚の隠れ家にもなるし、だしも取れるしそのまま料理にも使える、いろんな意味でいいかもと。

「こんぶの会」は、最初からワークショップという形をとっています。高名な方の講義を拝聴して、ということはありません。こだわっているのは誰かに教えてもらうのではなくお互いに考えること。これまで自律学習、評価法、漢字の教え方等いろいろなテーマを扱いましたが、今年のテーマは「キャリア」です。キャリアをテーマにしたワークショップを3回予定していて、5月にキャリア第1弾をやりました。第2弾は6月です。

養成講座で大切にしていること

――現在は養成講座でも教えられているのですよね。

はい、教材作成を担当した養成講座で2017年から実技と理論を担当しています。小規模な養成講座ですが、他の講座との差別化という点で言えば、すべての講師が日本語教育の現場経験があることです。例えば音声学であっても、現場から見た音声、文法も現場から見た文法というのを重視しています。これは講座長の考えで、私も共感しています。

もう一つの特徴は、理論の中にも実習があることです。例えば「日本事情」をやるなら「日本事情」の授業を受講生に実際にやってもらいますし、「評価法」であればルーブリックを作ってもらいます。「試験法」の授業では、実際に自分でテストを作り、学生にテストを受けてもらい採点までします。インタラクティブな学びを重視しているので講義形式にはせず、タスク達成型にしています。実技の時間が200単位時間以上あることもお勧めできるポイントなんです。

トルコ姉妹を支援

トルコ姉妹の料理店にて。こんぶの会・内田さん、ジェミニ・磯部さんと

――日本語教師としての活動だけでなく、最近は「トルコ姉妹の料理店」支援活動もされているようですが。

はい、内田さんから「ジェミニ」というボランティアグループを紹介されました。ここは埼玉に住むトルコ出身(主にクルド人)の女性たちのためのオンラインの日本語教室です。その代表者に私自身以前一度会っていたことも分かり、ボランティアで日本語支援を始めました。すると分かってきたのは、彼女たちが抱えている問題は、教科書で一から日本語を学んでいくことより、日本社会とのつながりを作るということだったんです。

昨年の「移民・難民フェス」に今、支援をしている姉妹が呼んでもらって料理を作ることになりました。彼女たちは自分たちが普段作っている料理が売れるとは思っていなかったようなんですが、そこであっという間に売り切れてしまった。自分たちが作る料理にはこんな価値があることに気づいたんです。それで市役所に行って、いろいろ聞いたりしたんですが、彼女たちは仮放免なので利益を得る仕事をしてはいけないんです。それで私たちが支援しようと。入管に隠れてやるのは嫌だったので、内田さんと私が食品衛生責任者の資格を取り、彼女たちに料理を作ってもらい、売れた収益を私たちが寄付する形にしたんです。

――食品衛生責任者の資格まで取って、というのはなかなかできることではないように思いますが。

私、卒論も「インドシナ難民への日本語教育」だったのですが、困っている人がいたら、なんとか関わっていけたらいいなという思いがたぶんあったんですよね。

――これからやっていきたいことはありますか。

「こんぶの会」の内田さん、吉田さんとともに今年、会社を立ち上げました。「一般社団法人グローバルサポートセンター」です。ここでは日本人、外国人に分けず、困りごとを抱えた人をサポートできればと考えています。またサポートのサポート、たとえば外国人を教える日本語学校が抱えている困りごと、ボランティア団体が抱えている困りごとなどにも、私たちが持っている日本語や在留資格などの知識や経験を使いながらアプローチしていけたらと思っています。会社なので収益化も目指していますが。

自分の普通は他人の普通じゃないことを忘れないで

――これから日本語教師になる人になにかアドバイスはありますか。

日本語教師はハードルが低い職業だと思うんです。誰でもなれるし、誰でもなっていい。自分の経験がどこにどう役立つか分からないし、無駄がない職業だと思います。ただ、そこに必要なマインドセットはあるんじゃないかと思って。ごく当たり前のことなんですが「自分の普通は他人の普通じゃない」ということは頭に入れておいてほしいです。また学び続ける覚悟があるかは重要で、私自身のテーマでもあります。

養成講座受講中の人には、今、養成講座で学んでいることも未来永劫続くわけじゃない。科学は日進月歩だし、いろいろ新しい考えも生まれてくる。それによって自分もどんどん変わっていくということを伝えたいです。経験だけからものを言うのは勘弁してくれと言う気持ちですね。そういう人にはなってもらいたくないです。

「日本語教師こんぶの会」 https://kombunihongo.amebaownd.com/

取材を終えて

年齢も得意分野もバラバラな「こんぶの会」の3人ですが、「こんぶの会」は中村さんにとってすごく大事なもので、ストレス発散の場でもあるそうです。議論もするけど、だべりの中から新しいアイデアが生まれてくることもあるとおっしゃっていました。なんでも話せるフラットな関係というのは羨ましくもありました。

取材・執筆:仲山淳子

流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。6年前よりフリーランス教師として活動。

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