留学生だけでなくビジネスパーソンにも教えてみたいと思う日本語教師の方も多いのではないでしょうか。今回の「日本語教師プロファイル」では、キャリアの初めからビジネスパーソンや、その家族に日本語を教えてこられた白崎佐夜子さんをご紹介します。現在はジャパンオンラインスクールの講師として、主にビジネスライティングについて指導されているという白崎さんに、日本語教師としての歩みや大切にしていることなどを伺いました。
社会人1年生からダブルワーク
――日本語教師になったきっかけについて教えて頂けますか。
きっかけといえば高校生の時と大学生の時にアメリカに留学してESL(English as a Second Language)に触れたことですね。特に高校3年で留学した時は、実は英語にちょっと自信があったのですが、行ってみると何にもできなくて打ちのめされました。でもそこで第二言語としての英語を教えるシステムに助けられたんです。それで、こういったことをできるという面で日本語教師の仕事に興味を持ちました。
大学3年から4年にかけて留学した時には、その時期に日本に戻っても一般的な就職活動は無理だと分かっていたので、アメリカから帰国後、就職活動はせず法律事務所でアルバイトを始めました。大学の専攻は法律学でした。そして日本語教育にも興味を持っていたので、夏休みを利用して日本語教師養成講座の420時間集中講座を受けました。その年の日本語教育能力検定試験も受験して合格しました。
大学卒業後は、アルバイトしていた法律事務所にそのまま就職しました。ただ、小さい事務所だったので私が日本語教育の勉強をしていて、検定試験にも合格したことも上司は知っていたんですね。私は若気の至りというか、やりたいことは両方やってみたいと思って、事務所の上司に、9時5時は法律事務所で働きながら、朝と夜だけ日本語を教えてみたいんですと言ったら、OKしてくれたんです。それで会社の近くにあった日本語学校で早朝と夜のプライベートレッスンを受け持たせてもらい、ダブルワークの生活を始めました。
今、思うとこんな未熟者に「いいよ」と言ってくださった法律事務所の上司と日本語学校の先生には本当に感謝しています。
――同時に二つの職種を新人から経験できたというのも、なかなか無い貴重な体験ですね。
はい、これはもし大きな企業に就職していたら、できなかっただろうと思います。
日本語教師としての将来のために、一旦日本語教師を離れる
――その生活はどのぐらい続けたのですか。
3年ぐらいですね。朝と夜は四谷や溜池山王あたりの外資系企業でプライベートレッスンをして、昼間は法律事務所で事務の仕事をする毎日でした。
その後、結婚を機に大阪に引っ越すことになってしまったんです。
それでも上司が大阪の法律事務所を紹介してくださり、企業派遣のプライベートレッスン専門の日本語教育機関にも登録して、東京にいた時と同じような生活を始めました。ただ、しばらくして法律事務所の方は辞めて、日本語教師一本の生活になりました。
その後、夫の仕事の都合で東京に戻り、以前勤めていた日本語学校で、また教えることになりました。プライベートレッスンやクラスレッスンも経験し、専任にもなりました。
日本語教師になって10年目ぐらいでしょうか。ずっとビジネスパーソンへの日本語教育を行ってきましたが、自分自身のビジネス経験が少ないことで教師として行き詰まりを感じてしまったんです。教えている方には、企業の経営陣や社長さんもいらっしゃいました。そういう方に教える時に自分はビジネスを知らないという気持ちが強くなりました。
その時、30代前半だったので、ここでやらないとダメだと思い、日本語教師の仕事は一旦辞めて会社で働こう!と決心しました。
――せっかく日本語教師としてのキャリアを築いてきたのに、ずいぶん思い切った行動ですね。
周りには結構止められましたけど。でも私自身は日本語教師の仕事はずっと続けていこうと思っていたので、そのためには必要なことだと思っていました。
就職したのはヨーロッパから靴を輸入している商社でした。小さい会社だったので、ここで「会社とは」「組織とは」ということを徹底的に叩き込まれました。それが、今に生きていると思います。ただ通訳をしたり日報を書いたりという業務の中で、なぜか新入社員研修の担当となり、また教えるという仕事をすることになりましたが。
ゼロビギナーとして言葉を学んだブラジルでの経験
――その後、日本語教育に戻るのですか?
いや、それが今度は夫の転勤でブラジル・サンパウロに行くことになりました。今までずっと仕事をしてきたのに、ブラジルではいろいろと制約があって仕事をすることができなくなり、結構、自由もなかったんですね。それで、じゃあ、これまで全く勉強したことがないポルトガル語の検定試験を受けてみようと思いました。そうすれば日本語ゼロビギナーの気持ちを体験することができると思ったんです。
ポルトガル語の検定試験はレベルに関係なく同じ形式で、会話と作文でした。マークシートの文法問題などは一切ありません。文法の細かい使い方ではなく、要点を理解して、どれぐらいアウトプットできるかを見られるのです。
これをゼロレベルから必死でやったことは、日本語教師としての成長につながったのではないかと思っています。
――その後、日本に戻られるわけですね。
そうですね。会社員になったこととブラジルに行ったことで日本語教育とは6年ほど離れてしまいました。それで住む場所や状況が変わることで、職場を離れなければならなくなるのはこれ以上したくないと思い、現在のジャパンオンラインスクールに所属することになりました。長く仕事をしたいと思っているので、どこからでも教えられる、時間の自由がきくという点で、オンラインスクールは最適だと思いました。
――オンライン授業の経験はあったんですか。
いいえ、初めてでした。そして特にPCが得意なわけでもありませんでした。でも、こちらの学校では、授業をするまできちんと研修をしてくださって、いきなりポンと放り投げられるようなことはありませんでした。また失敗をしたときも、原因ははっきりさせた上で、「じゃ、次!」という感じなので、本当に働きやすくて助かっています。普段直接会って話をすることはできないのですが、社長も教務主任も常にきめ細かくサポートしてくださって、ここでも上司に恵まれたなと感じています。
教師とのメールのやり取りが実践になる
――現在は、ビジネス文書の添削を仕事とされているんですよね。
はい、はじめはオンラインで会話や文法の授業などもやっていたのですが、ある時の企業研修で文書の添削を担当させていただく機会があり、それから続けています。しばらくは授業と添削の仕事を並行してやっていましたが、現在は添削の仕事だけです。
――そうですか。具体的にどのように指導するのですか。
まず学習者から文書が添付ファイルで送られてきます。それを、私の場合はプリントアウトして添削し、PDFにしてメールで送り返すのですが、その時に文書のポイントなどコメントを書いて送ります。内容はビジネスに十分なライティングの基礎だったり、報告書だったり、いろいろです。
これ、実は添削の指導だけではなく、私とメールのやり取りをすることで、外部の人間との連絡を実践的に練習できるという面もあるわけです。ここで気をつけていることは、まず日本語の文書の基礎的なことを守るということ。たとえば、句読点だったり、改行だったり、体裁が整っているかなどです。文法的な間違いを細かく指導するよりも、こちらの方が重要だと考えています。
もう一つは、企業研修ですから、研修担当者の目線も少し含まれるということでしょうか。例えば提出日を遅れた時に、一言注意を添えるなど。ただの添削ではなく、ここに一言あればコミュニケーションがスムーズにいく等は伝えてきたいと思っています。学習者が実際の現場に出た時に、困ることがないよう、まず私がストッパーになりたいのです。
――著書も出されたのですよね。
はい、『10の基本ルールで学ぶ 外国人のためのビジネス文書の書き方』(スリーエーネットワーク)です。実は、もともとジャパンオンラインスクールには文書を添削する際のマニュアルがあって、それに私が添削から気づいたことのコメントやメモを入れていたんです。それがだんだんまとまってくると出版に挑戦してみたくなりました。それで社長に話したら、じゃあ出版社に相談してみるよと背中を押してくださったんです。ですから、私の完全オリジナルというわけではないのですが、マニュアルの基礎を作られた教務主任も認めてくださったことで形になりました。この本をもとに、使い方のセミナー(2022年7月30日の「サタラボ」)も実施することができました。
ビジネスライティングのスペシャリストを目指して
――これからやっていきたいことを教えてください。
やはり、ライティング研修に関わる仕事を極めていきたいです。これまで1000件ぐらい添削をしてきたと思いますが、5000件ぐらいはやりたいです。添削の世界はやればやるほど奥深いと感じていますので。そしてできたら、文字コミュニケーションについての練習問題集を作ってみたいと思っています。
――これからビジネスパーソンに教えてみたい方に何かアドバイスをお願いします。
日本語教師として強みを持つことは大切だと思います。ですから、自分に足りないな、ここは弱いなと思うところは、そのままにするのではなく、強化しておいた方がいいと思います。それは、まわり道に見えるかもしれませんが、長い目でみればかならず将来につながると思っています。
そして周りにいる先輩方がたくさんアドバイスを下さいますから、それを聞いて、いただいたチャンスを活かしていくことでしょうか。
取材を終えて
穏やかな話し方の白崎さんですが、大学卒業後、いきなりのダブルワークや、将来を見据えての転職など、相当ガッツのある方なのだなぁと感じました。そして日本語教師といっても、教室で学生に教える仕事だけではないことを知ることができ、大変興味深かったです。オンラインスクールの講師であることも含め、日本語教師の一つの働き方として参考になるのではないでしょうか。
取材・執筆:仲山淳子
流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。6年前よりフリーランス教師として活動。
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