【Merry Christmas】子ども向け商品大特価セール実施中! 【Merry Christmas】子ども向け商品大特価セール実施中!

検索関連結果

全ての検索結果 (0)
日本語教師プロファイル下郡麻子さん―学習者と対峙するのではなく寄り添う存在でいたい

今回の「日本語教師プロファイル」にご登場いただくのは、歌う日本語教師として知られるヴィヴィアン先生こと、下郡麻子さんです。日本語を教える際に大事にしている姿勢や、歌を通して日本語を伝える授業、これからやって行きたいこと、そしてずっと続けているゴスペルグループでの活動についても、大変示唆に富むお話をお聞きすることができました。

私じゃなきゃだめな場所を探して

――日本語教師になったきっかけについて教えて頂けますか。

実は高校生の頃はシスターになりたいと思っていました。何か、人の役に立ちたい、サポートをしたいという気持ちが根底にあったのかもしれません。ただ、カトリックの学校でしたが、担任のシスターに「あなたは違うんじゃない?」と言われ、すぐに諦めました。同じ頃、高校の恩師に「あなたじゃなきゃだめという場所が絶対にこの世の中にあるから、それを探す旅を楽しみなさい」という言葉をもらい、それがずっと心に残っていました。

大学に進学した時、初めてそこに日本語教育コースができたんです。自分が話している日本語を教えるってどういうことだろうと興味を持って、受講してみました。そして21歳の時、韓国に行きました。1987年のことで、まだ日本語の歌など日本の大衆文化の放送は禁止されている時代でした。韓国外国語大学の日本語科を訪問した時、そうやってメディアで日本語が禁止されているにも関わらず、一生懸命日本語を勉強している学生たちがいて、日本について熱く語ってくれたんです。そこで、もしかしたら私が役に立てる場所がここにあるんじゃないかと思いました。

日本に帰国して、確か雑誌の「日本語ジャーナル」だったと思いますが、巻末にあった日本語学校のリストに片っ端から電話をかけました。なんでもいいので、日本語教育機関というところに身を置かせて欲しいとお願いしたんです。そうしたら週に1回教えてみますかと言ってくださった学校がありました。それで大学4年生の時から、その学校で教え始めました。

――それが日本語教師としてのデビューなんですね。

様々な学習者に教えた経験が糧に

――それからは、ずっと日本語学校で教えていたのですか。

いえ、その学校でしばらく専任として教えていましたが、その後結婚、出産があって続けられなくなってしまいました。でも、すごく仕事はしたかったんです。学校を辞めるまでの数年間の経験が自分にとってすごく刺激的で、日本語を教えることを止めてしまうのは嫌だなぁと。それで、車で行ける範囲に横浜の「いちょう団地」*1があったので、そこに日本語ボランティアとして毎週通うようになりました。そこにはベトナム難民の方や、中国残留帰国者の方が多くいました。

また、それだけでは満足できず、静岡の実家近くの教会でボランティアを募集していると聞いて、子どもを連れて新幹線で静岡まで通いました。日本語を教えている間は子どもを実家で預かってもらって。

その当時、オンラインレッスンなんてありませんでしたから、もしあれば絶対に飛びついていたと思いますね。その後、紹介していただいてプライベートレッスンをしたりしていました。

30代半ばになって、子育ても落ち着いたので日本語学校の非常勤に戻りました。そこは最初に教えた学校とだいぶ違って、正直言うと日本語学習に熱心でない学生もいたんですね。最初の学校は苦学を覚悟してでも、どうしても日本で学びたいというエリートの方々でした。向学心もとても高く私自身も影響を受けました。しかし、今回の学生たちは…。

私はそんなクラスの担任になることも少なくありませんでした。でも、それが結構楽しかったんです。同僚からは、猛獣の口に自ら頭を入れてしまうムツゴロウ先生に倣って、「ムツゴロウ」と呼ばれていました。どうも、そんなタイプだったみたいです。

――そういう学生たちに接するコツというのはあるのでしょうか。

対峙しないということでしょうか。常に横にいるというか。

例えば頭ごなしに「なんで学校に来ないの?」じゃなくて、「今、何が楽しいの?」って聞くとか。

この人だったら話してもいいかなと思ってもらえるまでの時間を大事にしていました。どうしても教師対学生だと、上下関係だったり距離が生まれたりするので、学生にとって「日本で知り合った人、もしかしたら理解してくれる人」になろうかなと思っていました。これは今でも変わっていません。

そのように接していたら、学生たちも少し変わってきて、勉強はしないんだけど、授業中ずっと日本語でしゃべっているんです。(笑い)

歌の力を日本語教育に

――ヴィヴィアン先生と言えば、「歌」の授業なのですが、それについて教えて頂けますか。

はい、幸いカリキュラムをある程度自分の自由にできる学校で教えているので、例えばテストが終わった時などに活動として入れています。歌の授業というと、文法学習のために歌を使う、例えば「ましょう」を勉強したから、「ましょう」の出てくる歌を、等と考えられるかもしれませんが、それはやったことがないんです。それだと歌う楽しさが消えてしまうと思って。

私が大切にしているのは、まず日本語の音を感じてもらうこと。日本語特有のプロソディーと日本語の歌のメロディーはやはり合っているんです。日本語の音を取り入れるのに音読もいいですが、歌ならもっと楽にできるように思います。またせっかく歌うなら発音もきれいになりたいという思いが学生自身のなかから出てきます。

もう一つは「クラスづくり」ですね。同じ歌をみんなで歌うだけで一緒に何かをやったという気持ちになれるという効果があります。他には歌詞の読解をするということもあります。例えば「膝を抱えてる」という歌詞があったら、どんな情景なのか、どうして膝を抱えているのかをイメージしてもらうとか。

実は今、TikTokを撮ろうということになっていて。そうするとTikTokだから動きがなきゃと学生たちが言いだして、ここからフレームインして、とか、もうワンテイク撮らせてとか、話し合いも勝手にしています。私は彼らのレベルに合わせて歌を選ぶだけで、あとは要らないって感じですね。(笑い)

――ヴィヴィアン先生自身もゴスペルグループ「横浜ファンキーシンガーズ」のメンバーとして定期的にライブもこなされていますが、その活動が日本語教師としてのご自身に与える影響はありますか。

はい、まずスキル的に言うと、2時間のライブのMCはすべて私がやっているので、そこは日本語の授業と影響しあっているかもしれません。MCでは話したいことだけ決めてシナリオは書きませんが、授業でも細かい教案は書かずに学生の様子を見ながら行うところは共通しています。その日のライブ・授業で何かを持って帰ってほしい、誰かの気持ちのお役に立てればいいなと思っています。

また個人としては、仕事とは別の活動を持っているのは大きいです。自分の自信にもなりますし、私という人間の大事な要素です。

今までやってきたことでペイフォワードを

――さらに「日本語で元気になろう おしゃべり会」も企画されているんですよね。

そうですね。これは直接にはコロナ禍がきっかけですが、アルバイトをしていない学生は日本人と触れる機会、喋る場所が圧倒的に少ないことがずっと気にかかっていて、何かそういう場所を作れないかと思っていたんです。アルバイトをしている学生にしても、自分のことを語り合う機会はそうそう無い。それでオンラインで同じ世代の外国人と日本人が気楽に話せる場を提供したいと思いました。娘にも手伝ってもらってインスタグラムなどで募集したんです。それで今までに3回ほど実施しました。当日、私は部屋を作るだけであとは自由に話してねという形ですが、レギュラーのメンバーの人たちがリアルでも会いたいということでオフ会の企画もしているようです。これも小さな一歩ですが、もう少し世代も広げてやって行きたいと思っています。

――他に、これからやっていきたいことがあれば教えてください。

そうですね。私は今まで日本語教育機関で教えてきて、学生たちを専門学校なり大学なり次の場所へ行かせることがゴールだったのですが、実は私たちのゴールって彼らのスタートだったんです。彼らにとっては、そこからが本番で、今まで培ってきた日本語力、コミュニケーション力が果たして実戦で使える道具になっているのか、そこへの意識が私自身薄かったと思いました。彼らが卒業後どのような形でこの社会にいるのかを日本語教師の目線で見ていなかったんです。ですから、これからは彼らの次の場所を知る仕事をしたいと思っています。働いている姿を取材するようなことをイメージしています。

そうすれば逆に教育機関のほうで、こういうことができるんじゃないかってことも見えてくる気がします。

それで、できれば良い例を出したいですね。ネガティブな情報はたくさんあるし、それも重要ですが、努力してうまくいっている例もあるはずなのですが、見えてこないんですね。そういう例を世の中に見てもらいたいと思っています。

ブランディング、そして学習者に寄り添うこと

――これから日本語教師になりたい人、まだ経験が浅い人に対して何かメッセージをお願いします。

まずはブランディングですかね。あなたじゃなきゃだめな場所を見つけてください。それには自分を知るということが大切になります。私は、これを持っていると言える何かがあるといいと思います。

もう一つは、外国人と日本人がお互いを認め合って共存する社会を考えて指導することです。日本語学校という狭いプールの中の意識でなく、学習者が広い海へ出ていくことをイメージして、どうすればこの先、その学習者が生きやすいかを考えることができればいいなと思っています。

常に寄り添う形で、伴走者であれということでしょうか。

「それは日本じゃだめだよとか、日本人はそういう考えはしないよ」ではなく、「あ、そういう考えもあるんだ」という気持ちになることで、外国人と共存する社会ができていくと思うので、まずは日本語教師から。日本語教師がそういう考えを理解する最初の日本人になってほしいと思っています。

取材を終えて

下郡さんは『日本語学習者のための読解厳選テーマ25+10 初中級編』(にほんごの凡人社)の著者の一人でもあります。そのMC力を買われて、著書紹介のセミナーでは講師としてお話しされています。初級が終わった学習者が、試験対策でなく、楽しく読める教材、そこから話し合いにも繫げられる教材がほしい!という思いから作ることになったそうです。ヴィヴィアン先生の講演も歌も是非聞いてみたいです!

取材・執筆:仲山淳子

流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。6年前よりフリーランス教師として活動。

*1:横浜市と大和市にある神奈川県最大の公営住宅。1979年に大和市に「大和定住促進センター」が開設され、ベトナム・ラオス・カンボジアの難民を受け入れたことから、外国人で「いちょう団地」に入居する人が増えたと言われている。

関連記事


日本語教師プロファイル神 恵介さん―日本語教師は面白くて“濃い”仕事です

日本語教師プロファイル神 恵介さん―日本語教師は面白くて“濃い”仕事です
今回「日本語教師プロファイル」にご登場いただくのは、日本語学校「新世界語学院」の校長であり教務主任でもある神恵介さんです。日本語教師になった経緯から、これまでのあゆみ、そして校長として目指すビジョンについてお話しいただきました。さらに、ロングヘアーに髭という日本語教師らしからぬ見た目(すみません!)についてもお聞きしてしまいました。

今後の日本語教育を見据えたカリキュラムのつくり方②ーコースフレームワークとモジュールボックス

今後の日本語教育を見据えたカリキュラムのつくり方②ーコースフレームワークとモジュールボックス
カリキュラムを一から構想するとき、具体的にどこから手をつければいいでしょうか。カリキュラム編成の考え方はわかったけれども、作業手順がわからない、ということもあるでしょう。そういう場合にぴったりの方法が「令和45年度 文化庁委託「日本語教育の参照枠」を活用した教育モデル開発事業【留学分野】」で日本語教育振興協会チームによって開発された「コースフレームワーク」と「モジュールボックス」というツールを利用する方法です。具体的な使い方を見ていきましょう。(竹田悦子・内田さつき/コミュニカ学院)

今後の日本語教育を見据えたカリキュラムのつくり方①-「日本語教育の参照枠」を手がかりに

今後の日本語教育を見据えたカリキュラムのつくり方①-「日本語教育の参照枠」を手がかりに</strong>
現在、認定日本語教育機関の申請を控え、「日本語教育の参照枠」に沿ったカリキュラム編成と言われても、どこからどう手をつければよいのか不安に感じていらっしゃる先生方も多いのではないでしょうか。教務主任や専任教員としての経験はあっても、これまで、前任者から受け継いだカリキュラムを、若干の手直しだけでほぼ踏襲してきたという場合や、新規校の主任を引き受けることになった場合など、自分で一から新たなカリキュラムを立てた経験がなく、途方に暮れている方もあるかもしれません。そんな先生方の心が少しでも軽くなるように、どこから始めればいいのか手がかりがつかめるように、いくつかの点から考えてみたいと思います。  (竹田悦子・内田さつき/コミュニカ学院)

日本語教師プロファイル田中くみさんー自分の強みを活かして自分に合った働き方を

日本語教師プロファイル田中くみさんー自分の強みを活かして自分に合った働き方を
今回「日本語教師プロファイル」でインタビューさせていただいた田中くみさんは、Language Plus Oneの代表として、日本語教育のみならず、キャリア教育や外国人への就職支援にも取り組んでいます。最近では学習アドバイザーの資格も取られたそうです。これからの働き方として、特定の組織に属さないフリーランスを考えている方に参考になるのではないでしょうか。

ベトナムにルーツを持つ子どもたちが気づかせてくれたこと―多様な言語・文化的背景を持つ子どもたちとともに学ぶ、これからの学校(2)

ベトナムにルーツを持つ子どもたちが気づかせてくれたこと―多様な言語・文化的背景を持つ子どもたちとともに学ぶ、これからの学校(2)

日本語も日本文化もわからないまま、家庭の事情等で来日し、日本の学校に通う子どもたち。その学習にはさまざまな支援が必要です。子どもたちの気持ちに寄り添い、試行錯誤を続ける近藤美佳さんの記事、後編です。