日本語の文法というと一般的には「きっちりした」イメージがあると思います。しかし、実は言語にはそのような「きっちりした」側面ばかりだけではなく、実は「いい加減な」側面もたくさんあります。それはまるで、人間の複雑さそのものを反映しているかのようです。この度『いい加減な日本語』(凡人社)という刺激的なタイトルの本を上梓した堤良一さん(岡山大学)に話を聞きました。
海外で日本語を教えたいと思い日本語研究の道へ
――『いい加減な日本語』という本のタイトルがユニークですね。
ありがとうございます。
――一般的に文法と言うと、「堅苦しい」「難しい」というイメージがあり、日本語教師や日本語教師を目指す人、例えば日本語教育能力検定試験を受験するような人の中でも、どちらかというと苦手にしている人が少なくないように思います。
私が日本語教育や文法研究の道に入り始めた1990年代ぐらいまでは、確かにそのような印象が強かったと思います。私の目から見ても、当時の日本語学、言語学の分野は、精緻な観察と分析によって、その文が自然か不自然かに白黒つけようとしていたかのように見えました。
――「白黒つける」と本のタイトルの「いい加減な」は正反対に見えますね。まず、堤さんが、いつ頃から日本語教育に関心を持つようになったのかを教えていただけますか。
大学は大阪外国語大学(2007年に大阪大学に統合)で、ポルトガル・ブラジル語学科で学びました。もともと海外に行くことが好きでしたし、専攻がポルトガル語だったということもあり、当時から海外へ頻繁に行っていたのですが、現地でたまたま日本語を教えている人に会ったんですね。それで、「日本語教師になって、海外で暮らすのもいいなぁ」と漠然と思ったのがきっかけです。
――海外で生活する手段として、日本語教師に興味を持ったわけですね。
それで、大学院へ行って本格的に日本語教育の勉強をしたいと思い、たまたまアルクの『月刊日本語』の大学院特集の記事を見ていたら、何と自分の大学に日本語教育の大学院のコースがあることを初めて知ったわけです(笑)。
――灯台下暗しですね。
その後、大阪外国語大学の修士課程、さらに博士課程に進みました。もともと、ことば自体が好きでしたし、特に言語のメカニズムに関心を持っていましたので、日本語の文法を研究するようになったわけです。
横断的・縦断的に日本語を見て分かったこと
――その頃は、文法研究もいわゆる構造的な面からの精緻な研究が盛んだったと思いますが、そこから堤さんの関心が、今回の「いい加減な」といった方向に移っていったのは、なぜですか。
日本語を世界の言語と比較対照したり、日本語の歴史をたどっていったりする中で、ことばというものは文法ルールに則ったきちっとしたものばかりではなく、また固定的なものばかりではなく、実はころころと変わっていったり、楽な方向に引きずられていったりするものである、特に日本語にはそういう「いい加減な」面が見られるのではないかということに気づいたからです。
――例えばどのようなことでしょうか。
私の研究テーマの一つでもある指示詞は、言語の中でもとびっきり「いい加減な」存在だと思います。自分の頭の中にあるものや人のことを言うときの指示詞は、現代の日本語ではアですが、昔の日本語ではソでした。
「そうだ 京都、行こう。」というJR東海の有名なキャッチフレーズがありますね。この「そうだ」の「そう」が指すものは何だと思いますか?
――「そう」の前に何もないので、、、場面指示とも文脈指示とも言い難いですね。
そう、指示詞なのに何を指しているのかが分からないという、まさに「いい加減な」存在なんです。その一方、フィラーの研究をしていると、「アノー」「ソノー」「エーット」などには、それぞれニュアンスや話し手の態度の違いが現れていることが分かります。そのような、「いい加減」と「きっちり」が混在しているのが、いかにもことばの使い手である人間の実態を象徴しているように思えるのです。
コミュニケーションから文法を捉え直す
――指示詞の他には、堤さんの研究テーマはどのようなところですか。
博士論文は指示詞で書いたのですが、そこから、フィラー、談話、コミュニケーションと研究テーマが広がっていきました。本書では、自分がこれまで研究者として考えてきたことを分かりやすく伝えたいと思いました。また、ここ10年ぐらい大学生の卒業論文指導もしているのですが、卒論の中で面白いものを社会に還元して多くの人にも見てもらいたいと思い、発展させた形で本書の中で紹介しています。
――文法研究というと、日本語教育能力検定試験などでは、ヴォイス、テンス、アスペクトなどといった、個別の文法事項がよく問われます。
もちろん、そういった研究は今でも続いています。それに加えて近年では、相手とのコミュニケーション、特に話し手の感情や相手の印象など、文法に影響を与え得るさまざまなファクターも合わせて考えるようになってきています。産出された文が文法的に正しいか正しくないかというだけでなく、それが相手にどのような印象を与えるのか、どのように受け止められるかといったようなことですね。
――文法研究の扱う領域が広がっているのでしょうか。
例えるなら、文法の骨格に当たる部分は変わらないと思います。ただ、その周りに当たる部分はいろいろと変化するし、外部からさまざまな影響を受けます。そこが、ある種「いい加減な」部分でもあるわけですが、「いい加減な」部分があるために人間はうまくコミュニケーションができるという面もあります。骨格はベースになるところですのでもちろん大切ですが、それに加えて、その周りで描かれるさまざまなことばの形や事象を文法研究の観点から捉え直したのが本書です。
――日本語教師の皆さんには本書をどのように読んでもらいたいですか。
学習者は日々、さまざまな日本語に触れていますので、日本語教師はできるだけ幅広く言語を捉えられるといいと思います。そうすることで、「こういうときにはこのように使う」といった説明もできると思いますし、日本語学習者から質問されたらその理由を説明することもできるでしょう。また柔軟に文法を見て、考える姿勢があるといいと思います。日頃からことばに対して敏感になり、さまざまなことに疑問を持つような癖を付けるといいですね。
――本書には、そのような日本語について考えるヒントがたくさん散りばめられていますね。文章も堅苦しくなく、時折出てくる堤さんのキャラクターのイラストもいいですね。
そのあたりは、凡人社の担当編集者のお力だと思います。大学の学生に本書を見せたら、中身は見ることなく、イラストだけ見て「かわいい~~」と言ってました(笑)。
――中身も非常に読みやすいので、これから日本語教師を目指す人から興味を持って読んでいただけると思います。また、大学生や大学院生にとっては、本書の中に新しい研究テーマのヒントがいろいろと隠されているようにも思いました。本日はありがとうございました。
堤 良一(つつみ・りょういち)
岡山大学学術研究院社会文化科学学域(文学系)准教授。京都市生まれ。大津市出身。大阪外国語大学大学院言語社会研究科博士後期課程修了、博士(言語文化学)。著書に『現代日本語指示詞の総合的研究』(2021年、ココ出版)、『談話とプロフィシェンシー』(2015年、鎌田修・嶋田和子・堤良一(編)、凡人社)など。
『いい加減な日本語』
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