2022年から日本語教師の勉強を本格的に始めよう、日本語教師としてデビューしてみようと、今から計画を立てていらっしゃる方も多いと思います。ここでは、これから日本語教師を目指す人向けに、改めて「何のために日本語を教えるのか」について考えてみたいと思います。(編集部)
外国語を学ぶのはコミュニケーションのため
「何のために日本語を教えるのか」「日本語教師は何を目指すのか」――この答えは、日本語教師それぞれにあると思います。また、日本語教師一人一人が、必ず一度は自問する問いであるとも言えます。
参考までに、日本語教育を外国語教育の一つと捉えた場合、一般的に学校での外国語教育の目標がどのように定められているのかを見てみましょう。例えば、「高等学校学習指導要領(平成30年告示)」の「外国語」科目の目標は以下のように定められています。
外国語によるコミュニケーションにおける見方・考え方を働かせ、外国語による聞くこと、読むこと、話すこと、書くことの言語活動及びこれらを結び付けた統合的な言語活動を通して、情報や考えなどを的確に理解したり適切に表現したり伝え合ったりするコミュニケーションを図る資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1)外国語の音声や語彙、表現、文法、言語の働きなどの理解を深めるとともに、これらの知識を、聞くこと、読むこと、話すこと、書くことによる実際のコミュニケーションにおいて、目的や場面、状況などに応じて適切に活用できる技能を身に付けるようにする。
(2)コミュニケーションを行う目的や場面、状況などに応じて、日常的な話題や社会的な話題について、外国語で情報や考えなどの概要や要点、詳細、話し手や書き手の意図などを的確に理解したり、これらを活用して適切に表現したり伝え合ったりすることができる力を養う。
(3)外国語の背景にある文化に対する理解を深め、聞き手、読み手、話し手、書き手に配慮しながら、主体的、自律的に外国語を用いてコミュニケーションを図ろうとする態度を養う。
簡単にまとめると、「4技能能力を向上させることで、外国語によるコミュニケーションスキル・態度を養ったり、外国語でさまざまな情報を得たりすることができるようになること」のようになると思います。
「(旅行先で、あるいは外国人の友達と)英語で聞いたり話したりできるようになりたい」「(趣味や仕事で)英語の読み書きできるようになりたい」など、一般的に日本人は、おおよそこのような目標のために英語などの外国語を学んでいると思います。外国語で流暢にコミュニケーションできるようになりたい、それによって交友関係や趣味・仕事の幅を広げたいというのは、ごく一般的な外国語を学ぶ動機でしょう。
これは、海外(学習者の母国)で日本語を学んでいる人たちの動機にも通じるところがあると思います。国際交流基金が2018年度に実施した「海外日本語教育機関調査」の結果の中に、「日本語学習の目的」に関する質問項目がありました。この中の「学校教育以外(主に社会人向け)」の人たちの中で特に多かった回答は以下の5つです。日本人が外国語を学ぶ目的に近いようにも見えます。
・日本語そのものへの興味
・アニメ・マンガ・JPOP・ファッション等への興味
・日本への留学
・将来の仕事・就職
・日本への観光旅行
文化審議会国語分科会が示した言語教育観
2021年10月、文化審議会国語分科会は「日本語教育の参照枠」を発表しました。その中に「3つの言語教育観の柱」というものが示されています。これは、主に日本国内で日本語教育を行うにあたっての基本的な考え方を示しており、「何のために日本語を教えるのか」「日本語教師は何を目指すのか」を考える上でも、大いに示唆に富むものです。
1、日本語学習者を社会的存在として捉える
学習者は、単に「言語を学ぶ者」ではなく、「新たに学んだ言語を用いて社会に参加し、より良い人生を歩もうとする社会的存在」である。言語の習得は、それ自体が目的ではなく、より深く社会に参加し、より多くの場面で自分らしさを発揮できるようになるための手段である。
2、言語を使って「できること」に注目する
社会の中で日本語学習者が自身の言語能力をより生かしていくために、言語知識を持っていることよりも、その知識を使って何ができるかに注目する。
3、多様な日本語使用を尊重する
各人にとって必要な言語活動が何か、その活動をどの程度遂行できることが必要か等、目標設定を個別に行うことを重視する。母語話者が使用する日本語の在り方を必ずしも学ぶべき規範、最終的なゴールとはしない。
ここには日本の高等学校における外国語教育とはやや異なる考えが示されているように思います。その違いは、学習者がその言語(日本語)を外国語(Japanese as a foreign language)として学ぶのか、第二言語(Japanese as a second language)として学ぶのかの違いに起因しているように思います。
第二言語としての日本語教育
外国語として学ぶ場合と第二言語として学ぶ場合の違いは何でしょうか。
それは、学習者が母国にいながら目標言語(日本語)を学ぶのと、学習者が目標言語が使われている国・地域(つまり日本)に生活して目標言語(日本語)を学ぶ違いになります。
第二言語として学ぶ場合、学習者は目標言語が使われている国・地域で生活・仕事・学習をしています。日本で第二言語として日本語を学ぶ学習者は、日本語を使って買い物をしたり、役所や病院へ行ったり、会社へ行って仕事をしたり、学校へ行っていろいろなことを学ばなければなりません。一方、外国語として母国で日本語を学ぶ場合は、教室を一歩出れば、当然のことながらそこでは日本語を使う必然性はありません。
日本で第二言語として日本語を学ぶ学習者は、日本語が理解できなければ社会的にさまざまな不利益を被る可能性があります。欲しいものが買えなかったり、役所や病院で必要な手続きや受診ができなかったり、会社や学校でもいろいろと困ってしまうでしょう。逆に、日本語ができることによって、さまざまな可能性が広がることも考えられます。
しかしながら、日本語ができる・できないに関わらず、また日本人であれば外国人であれ、我々が生きる社会が、誰もが社会参加・自己実現が阻害されない場でなければならないことは言うまでもありません。日本語学習者をかけがえのない社会的存在として捉え、一人一人が社会参加する上で必要な日本語ができるようになること、そしてそうした日本語を学べる機会が提供されることの大切さを「日本語教育の参照枠」は示しています。
また、その時の日本語を「母語話者が使用する日本語の在り方を必ずしも学ぶべき規範、最終的なゴールとはしない」と規定しているのも重要なポイントです。外国語学習者は得てしてネイティブの話す外国語を「お手本」としてしまいがちです。これはアウトプットのスキル向上においてはある程度必要なことですが、第二言語学習者がネイティブのように目標言語が使いこなせるようにはなることは難しいものです。むしろ、多様な日本語を尊重し、使用する日本語によって不利益を被らないようにすることが、受入側に求められる態度ではないかと思います。
「日本語教育の参照枠」の「3つの言語教育観の柱」の意味を改めて噛みしめながら、「何のために日本語を教えるのか」「日本語教師は何を目指すのか」を、改めて考えてみたいと思います。
高等学校学習指導要領(平成30年告示・文部科学省)
https://www.mext.go.jp/content/20211102-mxt_kyoiku02-100002620_1.pdf
海外日本語教育機関調査(国際交流金)
https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/result/dl/survey2018/text.pdf
日本語教育の参照枠
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/93476801_01.pdf
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