今回の日本語教師プロファイルは、茨城県日立市にある日立さくら日本語学校校長であり教務コーディネーターでもある松浦みゆきさんです。松浦さんには2020年と2021年の年末年始座談会でもコロナ禍での日本語学校の現状についてお話しいただきました。松浦さんにこれまでのキャリアを振り返っていただくとともに、地方の日本語学校、および日本語教育者ができることについて示唆に富むお話を伺いました。
海外で受けた親切を私もお返ししたい
――日本語教師になったきっかけを教えてください。
学生時代は特に日本語教師になろうといった考えはありませんでした。結婚後、夫がオーストラリア赴任になったので、一緒についていき、そこで出産と子育てをしました。メルボルンから2時間ぐらいのところにある町で、日本人もそんなにたくさんおらず、現地の方にいろいろ助けてもらったんです。皆さん、私にも分かる英語で話しかけてくれました。いわゆる「やさしい日本語」の英語版ですね。外国でまわりの方にお世話になったので、帰国後、私も何か恩返しがしたいと思いました。それで国際交流ボランティアやホストファミリーをしました。せっかく身につけた英語を忘れたくないという動機もあったと思います。
そうやって外国人と友達になると日本語を教えてほしいという流れになりました。でも挨拶や決まったパターンの会話なら教えられますが、この言葉とこの言葉の違いは何? みたいなことになると難しくて。日本人なのに答えられない! と思いました。どうやったら日本語って教えられるの? と思っていたところ、たまたま新聞でアルクのNAFL日本語教師養成プログラムを見つけたんです。それで早速勉強を始めたら面白くて、はまってしまいました。
その頃国際交流で知り合ったフィリピンの方が日立に日本語学校があると教えてくれました。あなたは教えるのに向いているから絶対、日本語の先生になった方がいいよって言ってくれて。私は日本語学校って東京にはあるけど日立にはないと思っていたんですが、彼女が電話番号まで調べてくれて、電話してみなさいって。それでその学校に電話をかけ、理事長にお会いしました。まだ通信で日本語教育の勉強中だったのですが、ちょうど先生が足りない時期だったのか、そこで生活者のプライベートレッスンを担当することになりました。
学習者に励まされて日本語教育能力検定試験合格!
――その日立の学校が日本語教師としてのスタートだったわけですね。
はい、学生数60名ほどの小さな学校で中国からの就学生が中心でした。ここでは非常勤として12年教えました。教師の数も少なかったので声がかかれば何でもやります!という感じで就学生だけでなく、ビジネスパーソン、高校生、小学生なども教えました。実は私、恥ずかしながら日本語教育能力検定試験に2回落ちているんです。1回目は何も知らずに受けて不合格、2回目は人生で一番勉強したっていうくらい勉強したんですが、たぶんあと1点くらい足りなくて落ちてしまったんです。それで、もういいやって思ったのですが、ちょうどその頃教えていたニュージーランドの方が日本語能力試験の1級(現N1)に挑戦していて、僕もあと1点で2回落ちたけど、僕はもう1回受けると言ったんです。合格のために英語教師のビザから留学生のビザに変えて勉強に集中するって。それを聞いて、じゃあ私も!と思い、受験して合格しました。
学習者の顔が見える範囲で丁寧な教育をしていきたい
――その後、水戸の学校に移られたそうですが。
はい、日立の学校の同僚が水戸の日本語学校で教務主任になって、私を誘ってくれたんです。それで、その学校で専任教師になることになりました。 2010年に水戸の学校に移った翌年に震災。学生は本当にゼロになりました。その頃はなんだか学校の掃除ばかりやっていました。そのうちビザを持っていた学生は少しずつ戻ってきましたね。水戸は福島に近いせいもあって、学生数は完全には戻りませんでしたが。 それから前任の教務主任が退職することになって私が教務主任になりました。2014年ごろからベトナムやネパールの学生が増え始め、今までのやり方では通用しない、もっと非漢字圏の学生にも分かりやすい方法を考えなければと思って作ったのが、『中級日本語文法を教えるためのアイデア集』(ココ出版)*1の元になる教材です。でも本として世に出るまでに8年もかかってしまいました。
―今、校長を務めていらっしゃる日立さくら日本語学校は、いつからでしょうか。
私自身はずっと日立に住んでいますので、水戸に通うのがちょっと辛いなと思っていて、日立に新しい学校ができることは知っていました。ただ、どんな設立母体なのか分からないところがあって、二の足を踏んでいたのですが、元の学校の卒業生に、この学校の理事長に会ってみてほしいと頼まれて。水戸の学校は学生数も200名以上いて、教師の数も多かったんです。でも私は大きなところよりも、学生も教師も顔の見える範囲でやりたいという気持ちがありました。学校を立ち上げた理事長も専任の先生たちもみんな日本語教育が初めての人ばかりで経験者を求めていました。それでお引き受けすることにしました。2019年のことです。校長という立場になったので募集にも関わるようになってベトナムやネパールに面接に行きました。その学生たちが、さあ来日という時にコロナで入国できなくなってしまって。この辺りの事情は年末年始座談会でもお話ししましたね。この学生たちは2020年11月にようやく入国できました。
地域と留学生とのつながりを作る
――コロナ禍の2021年、学生たちのアルバイトが減るというような状況はなかったのでしょうか。
うちはもともと介護の専門学校に行きたいという学生が多く、介護施設でのアルバイトは決まっていました。ですからアルバイトが減るということはありませんでした。
実は日立市は人口が減り続けていて、市としても外国人留学生に長く住んでほしいという希望があります。また学校側も地域に貢献できる人材を育てて、地域の活性化を図りたいという理念もありました。それで市と共同のさまざまな活動が行われています。
例えばスクールボランティアもその一つです。コロナになってから小学校では各教室を消毒しなければならないので、先生たちの負担が増えているのですが、それを留学生がお手伝いするという有償のボランティアです。それから竹林の整備というボランティアもありました。竹は放っておくとどんどん広がってしまうのが問題なのですが、高齢化によって竹林のケアができなくなっている。それを若い力持ちの留学生たちが、筍を掘って、整備のお手伝いする活動です。学生たちは筍を一杯もらって喜んでいました。他にも庭の重い物を動かすとか粗大ごみを捨てるなどのお手伝いもありました。学生たちは、フードバンクでお米などをいただくのもうれしいのだけれど、自分たちが体を動かすことで地域の役に立つことができるのもうれしいようでした。介護保険で賄えないようなこまごましたことを留学生がお手伝いして地域の方に喜ばれているんです。
日本語学校も地域に貢献を
――日本語ボランティアの養成講座も長く続けられていると伺いましたが。
はい、これは最初の日立の学校にいた時からやっているので、もう15年ほどになります。日本語学校の先輩から引き継ぐ形で始めました。1年に1回、3時間10回の養成講座と、3時間4回のブラッシュアップ講座です。日立市には三つの日本語ボランティアグループがあるのですが、それらが共同で開催し、市の国際交流協議会が後援する形となっています。始めたころは子育てを終えた主婦の方が多かったのですが、最近は男性も増えてきました。近くに日立製作所があるので、現役の頃に海外赴任していた方で、定年後に外国人の支援をしたい方などです。
――日本語ボランティアの課題などはありますか?
日立市だけでなく全国の日本語ボランティアの方の高齢化が問題になっていると思うのですが、特に運営面ですね。教えることはいいのだけれど、何年かすると運営の当番が回ってくる、それが嫌で去ってしまう方も多いようです。
そこで考えたのですが、日本語学校がボランティア教室の運営も助けるプラットフォームになったらいいのではないかということです。日本語学校なら事務スタッフもいますし、教える内容のコースデザインもできます。地域に住む外国人をサポートするのはボランティアの方や日本語教師だけではありません。スーパーの店員さんもバスの運転手さんも市役所の方も、そういう方々と外国人をつなぐ仕事ができるのが日本語教師ではないかと思ったんです。日本語教師なら、今挙げたような方々に「やさしい日本語」の講座や、外国人とはこんなところですれ違いが起きるよということも教えられます。
そんな考えから、日立さくら日本語学校では、地域に開かれた学校を目指しています。いつもはボランティア講座の会場を市に借りているのですが、先日は学校を使いました。ボランティア養成講座の受講者の見学もいつでもOKですし、教材を見に来たり、教え方を聞きに来る方もいらっしゃいます。ボランティアの一人で元は会社の人事課にいたという方には日本語学校で進路相談のサポーターになっていただいたり、面接の練習相手になっていただいたりもしました。
日本語学校って、悪いニュースもあったりして、地域でちょっと何をやっているところなんだ?と色眼鏡で見られがちなところがあるので、そうではなく日本語学校も地域貢献していきますよというところを見せられたらと思っています。
――それはとてもいい考えですね。日本語学校の社会的認知度も上がるでしょうし。
若い人も日本語教師を続けていけるように
――これからやっていきたいことはありますか。
私は周りの人や学生に恵まれて日本語教師としてラッキーだったと思っています。ですから今はこの業界に恩返しがしたいと考えています。若くて真面目で優秀な人が経済的なことなどで業界を去ってしまうのをとても残念に思っていました。日本語学校が地域の日本語教育のプラットフォームになって雇用も生み、若い人がちゃんとやっていけるような道が作れたらいいなと思います。そのために自分ができることは何かなぁと考えています。
――これから日本語教師になりたい人に一言お願いします。
私はずっと日本語学校で教えてきたので、日本語学校で働く人に対しての言葉になりますが。ほとんどの留学生は、日本語学校を経て大学や会社など日本社会に出ていきます。留学生にとっては、彼らの人生の中で、お金もない、言葉も分からない、一番カッコ悪い2年間なんです。だからこそ忘れられない時間になる。その時期に寄り添っていられること、その後の人生もずっと追っていけること、これが日本語教師の醍醐味です。先日も「あいうえお」から教えた元学生が社長になりましたって挨拶に来てくれたんですよ。うれしかった。そんな経験ができるのが日本語教師の仕事です。
取材を終えて
日本語学校が大好きだとおっしゃる松浦さん。最近はオンラインレッスンやフリーランスで教える方も増えましたが、日本語学校には、また日本語学校の良さがあると、お話を聞いて再認識しました。日本語学校が地域社会に貢献できるプラットフォームになり得るというお話にも感銘を受けました。日本語学校関係者の皆さんに是非その一歩を踏み出してほしいと思います。
取材・執筆:仲山淳子
流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。5年前よりフリーランス教師として活動。
*1:『中級日本語文法を教えるためのアイデア集』(ココ出版)https://cocopb.com/books/978-4-86676-028-5/
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