2021年、日本語教科書『できる日本語』は10周年を迎えました。この10年の間に、『できる日本語』は多くの日本語教育機関で採用され、国内外で大きく広がりました。多くの日本語学習者や日本語教師に受け入れられた背景には、そのコンセプトが日本語教育の大きな方向性と合致したことがあったからではないかと思います。今回は、改めて『できる日本語』の開発の背景、特徴、シリーズ構成などをご紹介しながら、これまでの成長の軌跡と将来的な展望を含めて、『できる日本語』教材開発プロジェクトリーダーの嶋田和子さん(アクラス日本語教育研究所代表理事)にお話を伺いました。
コロナ禍で問われる日本語教育に対する姿勢
――『できる日本語』の話に入る前に、現在の日本語教育の状況について伺いたいと思います。2020年から引き続き2021年もコロナが収束せず、海外からの留学生の入国も、一部を除いて制限されたままです。そんな中、多くの日本語教育機関は何とか耐え忍んでいるわけですが、嶋田さんは今の状況をどう捉えていますか。
コロナ禍に限らず、東日本大震災など、これまで日本語教育はさまざまな困難に直面してきましたが、その度に関係者の努力と工夫で大きな危機を乗り越えてきました。基本的に危機というのは、別の見方をすればいろいろと新しいことを始めるチャンスでもありますので、私はそれほど悲観的には捉えていません。
――嶋田さんの前向きな姿勢にはいつも勇気づけられます。コロナ禍において目に見えて変化したことに、オンライン授業の普及があるように思います。
日本語教育機関や日本語教師は、今のコロナ禍の状況下で二極化しているように思います。この状況はコロナが収束した後も、あまり変わらないのではないかと思っています。
――それはどういったことですか。
一つはコロナ禍において、日本語教師としての自分自身の在り方や学習者との関わり方、授業の内容そのものをもう一度見つめ直そうという方向性。もう一つは、オンラインツールの「使い方」など、表面的なことばかりに目が行ってしまう方向性です。
――嶋田さんはオンラインツールやオンライン授業については、どのようなスタンスなのですか。
オンラインツールは便利なものですし、テストの実施やアンケート集計などにはとても向いているところもあります。日本語教師の労力が随分と削減されますし、私もミーティングなどでコロナ以前からzoomを使っていました。授業においても、「オンラインだからこそできる授業」も存在します。ですので、after/withコロナ時代は、対面とオンラインとそれぞれの特徴を生かして、授業を行うことが大切だと思っています。
――しかし、オンラインツールの「使い方」ばかりに目が行ってしまっていることを危惧されているわけですね。
オンラインツールの便利さを活用することと、日本語教師としてのあり方や日本語の授業の中身を改善することは別の次元の話だと思っています。オンラインであっても、いやオンラインだからこそ対面授業よりも日本語教師は授業では黒子に徹するべきですし、学習者との対話を大切にすべきだと思っています。もしオンラインの便利さを追求するあまり、授業の中身がおろそかになってしまうようなことがあったとしたら、それは本末転倒だと思います。何のためにそのツールを使うのか、それによって学習者の学びをどのように促進できるのか、教師は絶えず自問する必要があると思います。
――とても大切な視点だと思います。
10年間の日本語教育の大きな動きと『できる日本語』
――改めてですが、『できる日本語』が生まれてからこの10年間に、日本語教育ではどのような変化があったのでしょうか。
大きな動きとしては、CEFR(ヨーロッパ共通参照枠)を参考にしたJF日本語教育スタンダードが2010年に国際交流基金から発表になったことがあります。JF日本語教育スタンダードでは、A1~C2の6段階にレベルが設定され、それぞれにおいてCan-do statement(何ができる)が記述されました。
――JF日本語教育スタンダードが出たのは、『できる日本語』とほぼ同時期、まさに「できる」という点で共通していますね。
しかし、それに先立つ20年も前から、アルクはアメリカからACTFL-OPI(Oral Proficiency Interview)を導入し、私もその中で、トレーナーとして試験官(テスター)の養成に関わってきました。『できる日本語』開発の背景には、実はこのOPIの考え方があります。
――OPIは学習者のプロフィシェンシー(言語運用能力)を評価するインタビューテストですね。
インタビューにおいては、教師には学習者に寄り添い、そして学習者を社会的存在として捉える姿勢が必須になります。そのために、各評価レベルにおいて、学習者の行動目標を明確にし、何ができるのかを明らかにする必要があります。インタビューや振り返りの中で教師は大きく成長するのですが、私自身もカリキュラムの見直しや教材開発に関心を持つようになりました。そうして生まれたのが『できる日本語』なんです。JF日本語教育スタンダードが発表以前から、私たちはいち早く、アルクのお声がけにより校内で『できる日本語』の開発・施行・改善に着手していました。
――日本語能力試験の改定があったのもこの時期ですね。
日本語能力試験でもコミュニケーション能力を測ることが今まで以上に重視されるようになりました。受験者向けには「日本語能力試験Can-do自己評価リスト」が公表され、どのレベルであれば何ができるのかが明示されるようになりました。
――この10年は日本語教育において、まさにエポックメイキングな時期だったんですね。そしてそのバックグラウンドにはOPIやCEFRがあったわけですね。
日本語教師の養成という点では、2018年に文化庁から「日本語教育人材の養成・研修のあり方(報告)」が出され、翌2019年にはその改定版が出されました。日本語教師に求められる資質・能力を、知識、技能、態度の3つ分けて整理していますが、この中で「社会とつながる力を育てる技能」という観点が明確に記されています。
――「社会とつながる」というのは、まさに『できる日本語』の考え方と合致するところですね。『できる日本語』は学習者が自分を伝える、あるいはお互いに伝え合う対話力を大変重視しています。また、各課のトピックは初級、初中級、中級と上がるにしたがって、学習者の身の回りからより社会的なテーマへとスパイラルに広がっていきます。「社会とつながる力を育てる技能」という観点が開発当初から意識されていましたね。
本年2021年に文化庁から出された「『日本語教育の参照枠』二次報告―日本語能力評価について―」では、言語教育観の柱として、日本語学習者を社会的存在として捉える、言語を使って「できること」に注目する、多様な日本語使用を尊重する、の3つの柱が提唱されました。『できる日本語』では、ここに挙げられている「社会的存在として捉える」ということを、当初から大事にしてきました。『できる日本語』では、OPIのプロフィシェンシーの考え方に基づいて各課の行動目標(Can do statements)を設定し、場面・状況や関係性を大切にした実践をめざしています。
――これまでの10年間の日本語教育の流れ、その起源にOPIやCEFRの考え方があること、そしてこれからの日本語教育が目指す方向性と『できる日本語』のコンセプトが合致していることがよく分かりました。ありがとうございました。
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