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日本語教師プロファイル福澤克巳さん―異文化理解はそんなに簡単なものじゃない

今回ご紹介するのは、ベトナム・ホーチミン市在住23年のフリーランス日本語教師の福澤克巳さんです。日本語学校での勤務を経て、現在はフリーランスとして活動しつつ、大学や企業でも教えているそうです。福澤さんにベトナムでの日本語教育の変遷やこれから取り組みたいこと、ベトナムで教えたい人へのアドバイスなどについてお話を伺いました。

瓢箪から駒でベトナムへ

――日本語教師になったきっかけは?

大学時代にテレビ番組で、地唄舞を学んでいるドイツからの留学生が「日本はいろいろな物を世界に輸出しているけれど、文化は輸出していないですね」と言っているのを見ました。そうか、では自分が輸出できる文化は何だろうと考えた時に、やはり言葉じゃないかと思ったんです。さらに新聞で、フランスで日本語ブームが起きているけれど、日本語教師が足りないという記事を読んで、日本語教師になりたいという思いが芽生えました。もう30年近く前ですから日本語教師という職業がまだ一般的ではない頃です。

その後、養成講座に通い、半年後にその学校で非常勤として教え始めました。教え始めてからは悪戦苦闘の連続でしたね。先輩方に教わったり教師用手引書を見たりして、なんとか授業をこなしていきました。
教師になって3年目に韓国企業の日本語研修で3か月間韓国に派遣されました。8人のビジネスパーソンに朝9時から5時まで、週5日間みっちりと研修を行うというプログラムでした。ここで教師としてかなり鍛えられたと思います。単に文法や会話を教えるだけでなくカリキュラムを作ったりテストを作ったりしなければなりませんでしたから。

――ベトナムへ行くことになったのはどうしてでしょうか。

ベトナムへ行ったのは1998年です。その時は学校の常勤講師になっていました。その学校はベトナム・ホーチミン市にある「さくら日本語学校」と提携関係にあって、毎年日本人講師を派遣していました。ところが、ちょうどその年は行ける候補者がいなかったんです。それを教務主任とベトナムの担当者が話している時に、たまたま私が通りかかり、教務主任が冗談で「福澤さん、行く?」って聞いてきたんです。「いいですよ、お金を出してくれるなら。でも1年で帰してくださいね」。
まさに瓢箪から駒という感じでベトナム行きが決まりました。

ベトナムでの教師生活

――「さくら日本語学校」ではどのような仕事をしていたんですか。

あらゆることをやりました。授業は初級、中級、上級、ビジネスクラス、そして教師養成も。さらにコースデザイン、クラスの設定なども行いました。
その頃、ホーチミンの日本語学校ではほとんどが文法訳読法を採用していましたが、「さくら日本語学校」はオーディオリンガルメソッドを採用し、直接法で教える学校の嚆矢でした。「さくら」に行けばすぐに日本語が話せるようになるということで評判を呼びました。他の学校に比べ、日本人教師と日本人ボランティア(「あしなが育英会」からボランティアで派遣された日本人学生)の数が多かったということも人気の理由でした。

しかし一方で、企業向けのクラスは苦戦していました。学習者が直接法に馴染んでいなかったからかもしれません。それで学校の営業担当者とともに企業に対する営業活動のほうにも力を入れていきました。企業クラスはやはり収入が大きいですから。学校の収入が増えて、派遣されている日本人講師だけでなく、ベトナム人講師の待遇も上がればよいと考えていました。
そんな活動を頑張るうちに期限の1年が来てしまったので、教務主任には、あと2年いさせてくださいとお願いし、派遣が延長されることになりました。教えるだけではない仕事が面白くなっていたんです。

――それから2年経っても日本へは帰らなかったのですよね?

実は、ちょうど2年経つ頃にベトナム人女性と結婚しまして。それまでは日本の学校にも籍があった形でしたが、その後は「さくら日本語学校」の専属となりました。ここに7年間勤めた後、独立してフリーランスとなりました。

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ベトナムの日本語教育の移り変わり

――フリーランスとなってからはどのように仕事をしていたのですか。

まずは自宅で塾を始めました。当時はホーチミンの日本語学校では日本語能力試験の1級、2級(現在のN1、N2)レベルのクラスはあまり開かれていなかったので、そこを中心にしました。ベトナムの決まりで個人だと広告が出せないので、集客は口コミでした。また、飲み屋で知り合った会社の社長に頼まれたりして(笑い)、その会社にも教えに行ったりしていました。
数年前からは大学でもクラスを持って教えていますが、今ではこちらがメインになりつつあります。

――20年以上に渡って、ベトナムでの日本語教育を見てきていると思うのですが、どのような変化がありましたか。

大きく変わりましたね。2000年代にはホーチミンに小さな日本語学校、日本語教室がそれこそ雨後の筍のようにできたのですが、2010年代になると潰れるところが増えていきました。その理由はベトナムで多くの私立大学が設立され、大学が日本語教育に乗り出したことです。それまでは大学の数も少なく、大学に行ける人が多くなかったので、日本語学校を卒業した証明は就職に有利ということがありましたが、今や大学にとって代わられました。さらに大学間でもレベルの差ができてきたので、大学で学ぶだけでは足りない人が日本に留学するといった形で、ベトナムの日本語学校は素通りされるようになりました。ですから今後、日本語学校は厳しい状況になるんじゃないかと思います。

――日本語学習者自体は増えているんですよね。

はい、2018年には17万人を超えています。日本の会社と取引をするベトナムの会社や日系の会社にとって日本語人材は重要ですし、重宝されます。例えば日系の会社で経理担当者を採用する時、経理+日本語のスキルがあれば給料は3倍近くになるようです。

――ご自身は今、どんな授業をしていますか。

塾と企業の他に大学の日本学科でディスカッションのクラスを担当しています。ニュースの発表をしたり、「まるごと」(「まるごと 日本のことばと文化」:国際交流基金オフィシャル日本語コースブック)を使って意見の発表をしたりします。ベトナムの学生は決まった型通りに書いたり話したりすることは得意なのですが、型から離れて自分の言葉で組み立てることに慣れていないので、そんなトレーニングをしています。
ただ、このクラスはもともと対面のクラスですが、ホーチミン市にコロナ感染者が1名出たせいでオンラインになってしまいました。ベトナムはコロナの感染予防に、大変厳しいんです。

ベトナムで教えるには異文化理解も必要

――日本に留学しているベトナム人学生も大変多いのですが、ベトナム人に教える時に知っておいたほうがいいことはありますか。

漢語ですかね。ベトナムも元々漢字を使っていた国なので漢越語があります。日本語の漢語と意味は同じですし、発音もとても近い。例えば「砂漠」はベトナム語で「サマク」、「開幕」は「カイマック」です。ベトナム語の語彙に日本語の語彙と意味も発音も近いものがあると知るだけで、語彙学習がぐっと楽になるし、それがわかることでどんどん言葉が増えていくんです。しかしそのことを教えていない教師が多いので、私が学生に教えるとみんな「本当ですか?」ってびっくりします。
もう一つは「よ」「ね」「か」などの終助詞です。これらはベトナム語にも同じようなものがあるので実はそんなに難しくはありません。
逆に作文は、小さい頃から決まった型通りに見栄えよく書くことが良しとされ、叩き込まれているので、自分の言葉で自由に書くということは苦手かもしれません。その点の指導には注意が必要です。

――ご自身でこれからやっていきたいことはありますか。

ベトナムに住むベトナム人のための日本語教育を確立したいです。それをもって後進の指導にあたっていきたいと考えています。特にこれから日本語教師になりたい若いベトナム人を対象に指導していきたいですね。フリーランスの立場だとなかなか難しい点もありますが、現在計画中です。最近ではFacebookでベトナム人のための日本語学習ページ(ベトナム人のための日本語学習ページ:https://www.facebook.com/thayfukuzawa/)も開いています。

――ベトナムで教えてみたいと思う日本語教師の方もいらっしゃると思います。そんな方に何かアドバイスをお願いします。

現在ベトナムでの日本語教育の中心は大学です。大学で教えるには労働許可証(ワークパーミット)を取る必要があるので、その条件をしっかり確認したほうがいいです。例えば4年制大学卒であること、大学の専攻、副専攻、または日本語教師養成講座を修了していること、日本語を教えた経験があることなどです。
教えることに関して言うと、ベトナムの人はとても素直なので、教えやすいと思います。私はベトナムで教えていて、「困った」ということはあまりないのです。ベトナムはご存知のように社会主義国ですが、ホーチミンは、比較的自由でのびのびしていて、時々社会主義国であることを忘れてしまうほどです。
ただ、そうは言っても異文化理解というのはそんなに簡単なものではありません。日本人は相手を傷つけないために正直でいようとします。しかしベトナムでは相手を傷つけないために嘘をつくこともあるのです。例えばこんなことがありました。私がレストランに食事に行った時、料理の中に髪の毛のようなものが入っていたので、店員さんに注意しました。しばらくして店員さんが戻ってきて、こう言いました。「料理長に確認しましたが、あれは髪の毛じゃありませんでした。だから安心してください」。わかりますか。この発想の違い。

私も異文化理解という点では何度も痛い目を見てきました。ですから、そういったことを頭に入れておけばベトナムでの生活も充実したものになるのではないかと思います。
もう一つホーチミンについて付け加えると、ここは南国のせいか冗談好きの人が多いです。日本人から見るとちょっといい加減に見えてしまうかもしれませんが、それも魅力の一つですから。

取材を終えて

福澤克巳さんは、実は私の元同僚で、ここに書いた韓国での日本語研修に一緒に行った仲です。日本語の文法や教え方について熱く語り合ったことが懐かしく思い出されます。現在はSNSを通して繋がっています。福澤さん自身もTwitterなどのSNSを、初めはフリーランスとしての宣伝に使っていましたが、現在は日本語教育についての発信にも使っているということです。

取材・執筆:仲山淳子

流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。5年前よりフリーランス教師として活動。

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