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トルコでようやく気がついた、普通の日本語教師にできること

インドネシアで3年、中国で3年の楽しい日本語教師生活の後、アジアを飛び出した私が次に目指した国はトルコでした。そこで待っていたのは今までと少し雰囲気の違う学生たち。すべての学習者がやる気にあふれているとは限りません。教師が教室でできることとは何かを考え、試行錯誤したトルコ日本語教師生活の記録です。(編集部 奥山)

前回の記事:新しい未来に向けて今考えたい、海外日本語教師生活の始め方

大陸横断、アジアとヨーロッパの境目へ

2011年9月中旬、私は関西空港を離陸した機内にいました。搭乗カウンター前で自己紹介をしたばかりの男性の先生が同じ飛行機に乗っています。日本語教師になって初めての日本人の同僚です。また、数日後には東京から女性の先生が私たちを追いかけて到着する予定になっていました。私たち3人が新任教師として向かう先は「アジアとヨーロッパの架け橋」トルコです。

インドネシアで日本語教師として出発し、続いて中国に渡った私にとって、トルコは三番目の国になります。日本語教育の中心はやはりアジアで、日本語教師の募集も中国、韓国、台湾、ベトナム、タイがほとんどです。アジア以外の地域で「これは」と思うような求人を見つけるにはよほどこまめに情報をチェックしている必要があります。しかし、運がよかったのか、中国生活3年目の終わりが見えて「できれば次はアジア以外の地域で」と考えていた私の目に「トルコ共和国」の文字が飛び込んできました。このとき書類を送ったのはここだけでしたが、書類審査、電話面接ともに問題なく採用が決まり、帰国してビザの準備ができるとすぐに出発の日が迫っていました。

中国ではアイドルだったのに

トルコに赴任したとき、私は日本語教師歴7年目に突入しました。ベテランとまでは言えないものの、さすがに「まだ経験が少ないので…」では済まされない時期です。しかし、トルコではいろいろな意味でそれまでと勝手が違っていました。その中でも一番違うと感じたのが学生です。アジアの国々は地域によってそれぞれ違いはあるものの、先生を敬う文化が根強く、まだまだ日本を憧れの国、夢の国と考える傾向があるので、学生は素直で、授業はコントロールしやすいと言えます。トルコ人もアジア人的な要素は多分に持っていて、日本からトルコに来た人の目にはトルコの学生は「親しみやすく、礼儀正しい」と映ります。しかし、通算6年どっぷりとアジアの空気に浸っていた私には、トルコ人の学生はよくも悪くも現代的でした。一緒に赴任した女性の先生も以前中国にいた方で、何かのときにぽろっと「私、中国ではアイドルだったんですよ!」と言っていました。つまり、トルコは私たちが無意識に期待していた中国的な「熱烈歓迎」ではなかったわけです。

教師全般、特にネイティブ語学教師にありがちな自分が優秀であるかのような錯覚、一種のスター気分が覚めるというのは、教師としての成長につながる貴重な体験であると思いますが、同時にそれなりの精神的ダメージを受けるものです。インドネシアや中国のように、勉強熱心な学生もそうでない学生も「センセイ、センセイ」と慕い、一生懸命こちらの話を聞いてくれる状態に慣れていた私にとって、次第にトルコの教室は「なんだかうまくいかないな」「難しいな」と感じることが増えていきました。

私はあと何回休めますか?

日本語学科では出席を厳しくしていました。何回休むと試験が受けられなくなるというルールがあり、学期の最初にそのことを告知してあります。学生も心得たもので、ちゃんと数えながら欠席しています。しかし、学期が終わりに近づくと、自分が何回休んだのかわからなくなってきて、「先生、私はあと何回休んでもいいですか」と聞きに来る学生がいました。「あと2回ですね」と答えようものなら、ちゃんと2回欠席します。欠席を有給休暇のようにとらえ、「全部休まないと損」だと思っているようでした。

また、学生は日本に行く機会にかなり恵まれていました。研修旅行、交換留学などのプログラムがあり、全国日本語スピーチ大会で優勝すれば副賞は日本旅行でした。ところが、それが当たり前の状況ではありがたみがなくなるもので、「今年は出ません」「また来年にします」という学生が目立ちました。卒業までには半分以上の学生が何からの形で日本に行くことができるので、「何が何でも」という気持ちが欠けていたような気がします。インドネシアで、全国で何名かに日本留学の奨学金が出ることになり、校内選考試験をしたとき、ほとんど全員、「いや、あなたはまず進級できるかどうか…」という人まで受けに来たことを思い出しました。いかにもインドネシアらしいのんきなポジティブさとどちらがいいかは何とも言えませんが、トルコの学生には、もっと若さと勢いを見せてほしいと常に感じていたことは確かです。

普通の教師にできること

インドネシアや中国では「日本人の先生」が存在すること自体が学生のモチベーションになっていました。「いい先生」「すごい先生」という周りからの評価がいつのまにか自己評価にもなっていたと思います。「新しい日本人の先生?ふーん」という雰囲気のトルコで、試行錯誤の末に私が得た一番貴重なものは、「自分はごく普通の日本語教師だ」と受け止められたことです。普通の教師だからこそ、毎日の授業を振り返り、悩み、努力します。うまくいかなかったり、自己満足になってしまったりしたこともあるけれど、トルコではとにかく思いつくことを試していました。

「先生、この前の授業のアニメ、私はインターネットで探しました。全部見ました。」

授業の後そう言ってきたのは、隣国トルクメニスタンからの留学生でした。聴解や会話の教材で日本のアニメやドラマを使うこともよくありますが、みんながみんな喜ぶわけではありません。彼もアニメには興味がない人でした。そういうこともあって、特にアニメを選ぶときには「現代の普通の日本人の生活が見える設定」であることを基準にしています。このときのアニメは内容的に大人でも楽しめるものを選んでいたので、他の学生より少し年上であった彼の気持ちに響くものがあったのでしょう。

限られた授業時間の中でできることはわずかです。カリスマ教師でもない普通の日本語教師の私がたくさんの優秀な学生を育て上げるなんてことはできません。できることは当たり前のことを確実にすること。まずは予定された授業をきっちり行うこと、そして、もしかしたら学生が興味を持つかもしれないヒントをできるだけ多く提供すること。学生があまり見ないタイプのアニメやドラマを見せたり、学生にCM動画を作って発表させたり、たまには関西弁を教えたり、その程度のことです。トルクメニスタンの学生はこのヒントが当たったひとつの例です。成績は常に低空飛行を続けていた彼ですが、無事卒業し、母国に帰って日本語教師になりました。国費で日本語教師研修のために東京に来ていた彼に再会できたときはうれしかったです。

とにかく教壇に立つこと

教師が授業内に提供する日本語学習や日本を知るためのヒントは、授業が終わった後それを忘れてしまうか、少しでも次につなげるかは学生次第です。99%は忘れてしまうと思って間違いないでしょう。トルクメニスタンの学生の例で言っても、授業で見た一つのアニメが彼の日本語学習にそれほど大きな影響を与えたとは思いません。ちょっと面白いと思って、字幕付きで見ただけのことでしょう。けれど、そうした小さなことの積み重ねが国内外の「普通の先生」たちが日々行っていることなのだと思います。それは、学生の日本語能力を飛躍的に伸ばすことはないかもしれません。しかし、学生たちをドロップアウトから引き留めるものは、目には見えにくい、毎日の積み重ねなのではないでしょうか。トルコの日本語教師生活も2年を過ぎてようやくそのことが腑に落ち、私は毎日の目標を「とにかく今日も教壇に立つ」と決めました。

さらに時間は流れ、私はトルコを去ることを決めました。最後の授業の後、教員室に戻ると学生がやって来ました。他の学生とお別れの挨拶をしている間は姿が見えなかった男の子3人です。目を真っ赤にして、みんながいるところでは言えませんでしたが、今までありがとうございました、と。まったく勉強せず何度も留年した3人組でしたが、きちんと自分の気持ちを伝えに来る礼儀正しさは持っていたんだなと、長い間トルコに対して抱えていたわだかまりのようなものが消えていくのを感じました。普通の日本語教師ができることはただ教壇に立つこと、授業をすること、それを積み重ねること。その結果がどうなるのかはずっと後になってみないとわからないのかもしれません。真冬の風の中、深夜バスに乗ってイスタンブールに向かい、私はトルコに別れを告げました。

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