インターネットやコンピューターの技術が目覚ましく発展してきている現在、さまざまな分野でITやICTの技術が活用されており、教育業界も例外ではありません。日本語教育においても、ICTの利用が叫ばれて久しいですが、現実において「養成段階」からそのような知識を身に付けるような日本語教員養成課程は少ないのではないかと思います。今回は当校、セントラルジャパン日本語学校の日本語教員養成課程におけるICT関連の科目を中心に、日本語教育とICTの関わりについて書いてみようと思います。(柏谷涼介)
日本語教員養成課程の「ICTと教育」という科目
当校の日本語教員養成課程では「ICTと教育」という科目を設定し、日本語教育実践で使える知識やスキルを合計21単位時間学習してもらうことになっています。450単位時間中の21単位時間なので、それなりのボリュームがあります。
また、教育実習科目ではかならずプレゼンテーションソフトを使用した授業を行います。そのため、受講生にはMacBookを無料で配布しています。
この「ICTと教育」で扱う主な内容は以下の通りです。
・ICTを使った教材、授業例の紹介
・Macの基本的な操作
・Keynoteの基本的な操作
・初級の授業の教材を作ってみよう
・かんたんな音声教材を作ってみよう
・かんたんな動画編集をしてみよう
・LMSを使ってみよう
・授業準備の効率化
・デザインと教育効果
・・・など
これらの内容を学習し、また教育実習内でも効果的なICTの使い方などをフォローアップしていきます。
20年前の日本語教育の現場と現在
私が日本語教師として働き始めた20年ほど前には、「ICT」のようなものは日本語学校の現場に限っては、ほとんど使われていなかったように思います。現在はパソコンとプロジェクターがあれば済むようなことも、紙のカード、ホワイトボードに貼る紙、CDとデッキ(カセットテープも現役でした)、ブラウン管のテレビなどを使っていました。これらを手際良く使うためのスキルも求められていました。私は字が絶望的に下手なのでできませんでしたが、ワープロソフトを使わず、手書きのプリントを作っている先生も大勢いました。その他、インターネット上の日本語学習のためのリソースなどはほとんどなかったと記憶しています。
現在は多くの日本語教師がさまざまなICTを駆使して授業を行っています。今回のコロナ禍の影響でZOOMを使い始めた、という方も多いと思います。さまざまな現場で、ICTを活用した多様な実践が行われていますが、それらがそれこそインターネットを通じて簡単に知ることができる時代になっています。
文化庁の示す、「養成段階」に求められるスキル
ここで文化庁の「日本語教育人材の養成・研修の在り方について(報告)改定版」における「養成段階の日本語教師に求められる資質・能力」からICTに関係のある部分を見てみようと思います。
(「日本語教育人材の養成・研修の在り方について(報告)改定版」P.24 表1より)
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/kokugo/kokugo_70/pdf/r1414272_04.pdf
◆日本語教師【養成】に求められる資質・能力
知識
【2 日本語の教授に関する知識】
(5)学習者の学習過程を理解し、学習者に応じた内容・教材(ICTを含む)・方法を選択する上で必要となる知識を持っている。
この部分でははっきりと「ICT」という言葉が使われています。そしてそれを「選択する上で必要となる知識」を持っている必要があります。つまり、いろいろな内容・教材・方法を知っている必要があり、かつ、その中でICTを使った教材についても、「養成段階」で知っておかなければならない、ということです。
技能
【1 教育実践のための知識】
(3)学んだ知識を教育現場で実際に活用・具現化できる能力を持っている。
(4)学習者に応じた教具・教材を活用または作成し、教育実践に生かすことができる。
【2 学習者の学ぶ力を促進する技能】
(8)学習者が多様なリソースを活用できる教育実践を行う能力を持っている。
ここの部分には直接「ICT」と書かれているわけではありませんが、「知識を教育現場で具現化する」ためには、ICTの知識や技術は非常に役に立つと私も実感しています。私も論文や書籍を読んで理論的な知識を得て、それをヒントにして授業例を「妄想」することがありますが、それらを具現化するにはコンピューター等が非常に有益です。また、現在は教材を「作成」する場合は、デジタルのものを作成することが多いと思いますし、「多様なリソース」も、インターネット上に多く存在しています。
これらを活用するためにはICTの知識が不可欠であり、そしてこれらが今まさに「養成段階」で求められている時代ということです。ただ、現在養成課程でICT関連の科目を勉強しているところは少ないように思います。新しい教師の採用面接で聞いても、養成課程ではパワーポイントすら使わない形式で実習を行っていた方がほとんどです。もちろん現場に入ってから自分で学ぶこともできるのですが、新人の教師にとって「授業の準備」に加えて「ICTの勉強」もするのは、かなり負担になると思います。そこで養成段階から基本的なICTの使い方を伝えて、実際の現場に入ってからの負担を減らしたいという思いから、「ICTと教育」を取り入れることにしました。
では、どこまでできればいいのか
ではICTに関わる知識や技能を養成課程終了の段階で「どの程度」持っていればいいのでしょうか。もちろん「多ければ多いほどいい」「高ければ高いほどいい」のですが、勤務校の日本語教員養成課程では、最低限以下のようなスキルが身に付けばいいと考え、養成課程に取り入れています。
①プレゼンテーションソフトの効果的な使用方法が分かる
②LMSの仕組みが分かる
③簡単な音声編集、動画編集ができる
④情報収集の方法が分かる
①の「プレゼンテーションソフトの効果的な使用方法」についてはどのような形態、どのような科目でも汎用性、応用性が高く、必須のスキルだと思っています。単純なところで言えば、写真や板書のスライドへの置き換えが考えられます。どのような形態や科目であっても、文を出したり写真やイラストを見せて理解を助けたりすることは、まず間違いなく行われていると思います。それらをスライドに置き換えるだけでも、板書の時間が省略でき、コミュニケーションの練習など本当に時間をかけるべき部分に使える時間が増えます。他にも漢字の書き方を自動で再生させておき、その間に教師は机間巡視をして個別指導をする、などのテクニックにも使えますし、動画などを使って題材を提示することもできます。また、デジタルであるため、保管や同僚との共有も容易に行えます。
②の「LMSの仕組み」については、養成課程の中でLMSを運用し、そこで課題を提出してもらったり、教師とのやりとりを行ったりしています。使っているLMSはGoogle Classroomという非常にシンプルなものですが、実際に受講生が「classroom上の学生」として使う中で、使い方を学んでいくことができます。例えば、ワークシートを作成し、在籍している学生に一斉にコピーを配布したり、同じドキュメントを共有して、同時に編集したりなど、さまざまな使い方を「学生」として体験できるので、それをそのまま日本語学習の実践の場に応用することができます。もちろん教師としての使い方も講座内でフォローしていきます。最近は新型コロナウイルスの影響でオンライン授業が増えていますが、「非同期型」のオンライン授業のプラットフォームとして使うこともでき、まさにタイムリーなスキルではないかと思います。
③の「簡単な音声編集、動画編集」についても、既存の教材でやろうとしていることができない場合に、簡単に自分で教材を作ることができるので非常に便利です。また動画編集は、学習の「成果物」を作るのに非常に役に立ちます。実際に学習の一環として、学習者にCMやミュージックビデオ、架空のニュース番組などの作成の活動を行ってもらい、その後、私がその編集などを行ったことがあります。
④の「情報収集の方法」については、Googleアラートなどを活用し、新しい情報が入ってくるような方法を伝えています。講座の中では新しい情報を適宜伝えていきますが、講座が修了しても自分で情報を収集できるスキルを身に付けておかないと、「講座で学んだことが絶対」という固定されたビリーフを持ってしまうことにつながりかねません。またこのスキルは日本語教育の方法だけでなく、昨今動きの激しい在住外国人等にまつわる情報などを収集することにも役立ち、日本語教師としての広い視野を養うためにも必要であると考えています。
もちろんこれ以上のこと、これ以外のスキルもあるのですが、この4つができるようになるだけでも、かなり実践の幅が広がると思っています。
逆に特定の学習アプリケーションなどを深掘りすることは行っていません。なぜならそれらの仕様は日々変化し、扱った内容が来週にはすでに変わっている、などの事態が起こり得るからです。もちろん多様なものを紹介はするのですが、それらについて詳細な使い方などを講義で扱うことは避けています。
受講生からは「本当に基礎的なことから教えてもらえるので、パソコン関係のことに不安があったけどよかった」という声も聞かれますし、私が実践例を紹介することで、いろいろなヒントになるという意見も頂いています。
また、受講生同士で効果的な使い方なども共有し合っているようです。
ICTは誰でも使えるようになる
では、今まで全くICTを扱った授業をしていない教師はどうすればいいのでしょうか。
いつからICTを取り入れればいいのでしょうか。
私の好きな漫画に「ベルセルク」という漫画があるのですが、その中で主人公が剣術の稽古をする少年に対して、「それともお前、何十年も修行して達人にでもなるのを待ってから戦場に出るつもりか」と話す場面があります。実際の漫画の文脈はちょっと違うのですが、この言葉は「ICT」に対して、「できるようになってから使おう」と考えている方に是非伝えたい言葉です。
「使いこなせるようになってから授業に取り入れる」のではなく、「取り入れながら覚えていく」方がいいと思います。「上手になってから」「よく知ってから」と思っていると、使い始めるタイミングがどんどん遅れていきます。使い始めなければ、使えるようにはならないからです。
プレゼンテーションソフトにしろ、ZOOMのような遠隔会議システムでも、あるいは暗記や復習のためのアプリであっても、現在はかなり多機能化しています。初めからそれらの機能全てを使いこなす必要はないと思っています。本当に限られた使い方でもいいので始めることが大切です。
プレゼンテーションソフトであれば、今まで拡大コピーしてホワイトボードに貼っていた写真や、マーカーで板書していた例文をプロジェクターなどで見せるところから始めればいいと思います。そういう小さな、ごく簡単なところから始めてみることが重要なのではないかと思います。
よく「私はICTが苦手だから」という人がいますが、「知らない」あるいは「上達が遅い」人がいるだけで、「できない人」というのは存在しないと思っています。使えば必ず使えるようになっていきます。
おそらく日本語教師のみなさんは日本語学習について「できない学習者などいない」と信じて実践を行っていると思います。それと同じように「自分もできる」と思ってみてはどうでしょうか。結局のところ、ICTを使うかどうかの本質は、「ICTの問題」ではなく、学習者のために工夫や自己研鑽できるかどうか、という問題ではないかと最近は思っています。この気持さえ持ち続けていれば、変化していく時代とともに自分もブラッシュアップし続けていくことができるのではないかと思います。
執筆/柏谷涼介
現在はセントラルジャパン日本語学校(名古屋市)主任教員。日本語教育歴約20年。
日本語教師を始めたきっかけは「なんとなく」。
主に日本国内の外国人留学生への日本語教育を行うかたわら、東海地域の外国人市民のための日本語教育の支援や、日本語ボランティア向けの講座などの活動も行っている。
文化庁届出受理済みの日本語教師養成講座の講師も担当。ICTとの関わりは、10年ほど前に初代iPadが発売されたころ、「なんかかっこいいから授業に取り入れた」のが始まり。
二児の父。愛犬家(毎朝5時から散歩)。最近はコンピューターを使って音楽を制作、ネット上で音楽活動も。
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