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未来に生きる日本語教材 Vol.3

私たちが母語を習得し、自由に読んだり書いたりできるようになるまでには、家づくりと同様に、目には見えない土台づくりの期間があります。就学前の子どもたちに目を向けると、そのことがよく分かります。クレヨンをにぎって夢中で塗り絵をしたり、ハサミやのりを使って工作したり、お友だちとごっこ遊びをしたり......。一見すると日本語教育とは何の関係もないように思えますが、こうした積み重ねが指先の巧緻性やコミュニケーション能力の発達につながり、やがては「読む・書く・話す・聞く」という言葉の活動を支える土台となるのです。

0歳から多言語環境で育つ子どもたちが増えつつある今、日本語教育の出発点とも言うべき「年少者」を対象とした教材のあり方が模索されています。そこで今回は、多様な専門家や行政と連携しながら、新しい年少者向け日本語教材の開発取り組む川崎直子さんに、お話を伺いました。

なぜ小学校入学前に「日本語教育」が必要なのか?

ー 川崎さんは、愛知産業大学で日本語教育の指導・研究にあたりながら、地域でも一般社団法人かにえ子ども日本語の会(愛知県海部郡蟹江町)という実践の場をお持ちです。小・中学校のみならず、保育所や幼稚園でもプレスクール(就学前教育)の支援活動をしているそうですね。

はい。幼児を対象に日本語の活動を始めたのは、12年前の2008年からです。はじめは年長児のみでしたが、保育所からの要望を受け、2011年からは年中児向けに「プレ・プレスクール」も開始しました。現在6か所の町立保育所と、1か所の私立幼稚園で実施しています。

ー プレスクールを始めたきっかけは?

会を発足した当初は、小学校と中学校の子どもたちにボランティアで日本語支援を行っていました(2004年〜)。来日したばかりの子が多かったので、「日本語に触れたことがないのだから、学校の勉強についていけないのは当たり前。日本語さえ強化していけば、学校の勉強もついていけるようになるだろう」という認識でした。

しかし、年齢相応の発達が見られない子が珍しくなく、「どうやら日本語の問題だけではなさそうだ」と気づきました。

ー そこで、小学校入学前の「発達」に着目したのですね。

はい。言葉と発達の関係について理解を深めるため、「蟹江町平成20年度輝来都かにえ・協働まちづくりモデル事業」にエントリーして、子育て推進課と協働で、プレスクールを開始しました。

当時、日本語教師が保育の場に立ち入るのは一般的ではなかったので、「小学校に入ってからで良いのでは?」と首を傾げられたものです。しかし、日本語が分からず不安を抱えていたであろう外国ルーツの子どもたちが喜んで取り組む姿に、周囲も次第に理解を示してくれるようになりました。

現在は、毎年6月に保育所の所長さんたちと会合を持ち、外国ルーツの子が入園してきた時点で、各家庭の言語と家族のバックグラウンド等の情報を提供してもらって、子どものことをなるべく把握しておきます。年中児に上がって日本語指導の必要性が生じたときに、円滑にサポートできるよう準備しておくのです。

ー それは家庭にとっても心強いですね。

日本では、就学前の言葉の教育は「家庭」に一任されがちです。しかし近年、家庭内言語はとても複雑化しています。保護者の母語を含む多言語を使う家庭もあれば、日本語が母語ではない保護者が、家庭内で片言の日本語を使っているケースもあります。

問題は、保護者が日本語を理解できないと、一番大切な時期に、保育や発達のサポートを受けられないということです。また、日本で生まれ、日本語中心の環境で育った子どもは、日本語が母語(第一言語)になる可能性が高いですが、複数の言語をバランスよく習得しないと、どの言語も年齢相当に発達していない「ダブル・リミテッド」の状態になってしまうリスクもあります。さらに、同時進行で保護者の母語を継承・維持していかないと、親子でコミュニケーションを取れなくなる可能性も出てくるのです。

いずれにしても、複数の言語を同時に習得させるには、支援者も保護者も正しい知識とかなりの根気が必要です。小学校入学後の困り感は多種多様で、日本語教育でカバーできることなのか、発達支援が必要なのか、判断できない場面も多々あります。理想は、妊娠中からさまざまな分野の専門家が子どもの言葉と発達の状況を把握しておき、複数の言語で子どもを育てる家庭をサポートする連携体制を整えることが大切だと思います。

発達の困り感が、あってもなくても楽しめる教材を

ー家庭内言語。発達の特性。母語の定義。目標とする言語レベル......。今後の移住予定も関係してきますね。就学前の言語や発達が、その後の日本語教育と深く関わっていることがよく分かりました。川崎さんのプレスクールやプレ・プレスクールでは、具体的にどのような活動をしているのですか?

小学校入学前までに、少なくともすべてのひらがな・1〜20の数字、自分の名前の読み書きができるようになることを目安として、当会オリジナルの教材に取り組んでいます。

ー「たんけんたい」シリーズですね!

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イラストは川崎さんが勤務する愛知産業大学のデザイン学科の学生さんが担当。「幼稚園教諭をしている学生さんのお母様にもご協力頂き、一緒に語彙を選びました」。(川崎さん)

はい。助成金や教育GP*1、研究費を活用して、これまでに全6冊開発

「くらふとたんけんたい」は、ひらがなを学習する前に楽しむワークシート集です。運筆を支える指先の巧緻性を育むため、鉛筆・ペン・クレヨン・消しゴムなど様々な筆記用具に慣れたり、はさみ・のり・テープなど、工作で使う道具にも親しめる内容です。

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家庭によっては、ペンはあっても、鉛筆や消しゴムを常備していないというケースが意外とあります。以前、プレスクールで子どもが字を間違えたときに消しゴムを使ったら、「先生、何これ!魔法!?」と驚かれて、消しゴムの存在も知らなかったのかと軽いショックを覚えました。

「すうじたんけんたい」(現在は「かいものたんけんたい」に移行)と「ひらがなたんけんたい」は、オリジナル教材の第一弾として開発したものです。日本の小学校では、げた箱も机も、自分の名前はすべてひらがなで書いてありますし、教室のプレートも「1ねん2くみ」など、数字で書かれていますので、小学校生活に支障が出ないよう、入学時に求められる日本語を、一つの目安としています。「ひらがな...」には、親子のコミュニケーションが少しでも増えればと、イラストの下に保護者の母語を書く欄も設けました。

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ー 「がっこうたんけんたい」には、日本の小学校の生活ルールや習慣が、分かりやすく紹介されています。

上ばきに履き替える、子どもたちが掃除をするなど、外国ルーツの子たちにとって珍しい習慣が日本にはいくつもありますからね。

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ー こうしてみると、確かに、入学前に知っておかないと困ることが、たくさんありそうです。

保育所や幼稚園を経験していない場合、こうした生活習慣や、それに関する日本語をまったく知らないまま、小学校に入学してくる外国ルーツの子もいるのです。

「かいものたんけんたい」は、数の数え方(1〜20)や語彙の分類(やさい、くだもの、さかな、おかし)を学ぶとともに、買い物ごっこを通してコミュニケーションを楽しめる構成になっています。

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ー これらの教材に取り組む中で、個々の発達の特性が見えてくる部分もあるでしょうね。

言葉や発達のアセスメントは一朝一夕にはできませんし、支援の必要性については、専門家であっても判断が難しい問題だと思っています。

しかし、小・中学校の日本語支援の現場は待ったなしです。そこで、今できることとして、発達の困り感があってもなくても楽しめるユニバーサルな教材の開発を目指しています。

ー 「たんけんたいシリーズ」を原点に、「発達障害・特別支援教育」の視点を取り入れた教材の開発を続けていらっしゃるのですね。

現在、小学校低学年の日本語教材と特別支援教育の教材分析の結果をもとに、日本語指導の現場で使う教材開発に取り組んでいます。

多様な専門家との連携が、日本語教育の未来を開く

ー「言葉」と「発達」の到達目標を、どのように設定するのか。何を「障害」と考えるのか。それは、社会、家庭、そして一人ひとりの人間観にもよるのではないでしょうか。

そうですね。私たちは、小学校6年生になっても九九ができない、一年生で習う漢字が書けない、繰り上がり・繰り下がりができない子どもたちにも、たくさん出会ってきました。しかし、教科学習の到達度が周囲と違うだけで「障害」とは言い切れません。また、できないことばかりに注目するのではなく、できることに焦点を当てて、「この子が将来どんな人生を送りたいのか」を一番に考えていきたいと思います。

大学で特別支援教育について学び始めた頃、「一番嬉しかったこと」をテーマに話し合った日の出来事が忘れられません。

私は、日本語支援者としての経験から「日本語を教えてきた子どもたちが漢字を書けるようになったこと」と発表したのですが、同じグループにいた女性は「自閉症のわが子が、5歳になって初めて『おかあさん』と言ってくれたこと」と発表したのです。

その一言を聞いたとき、発達障害と特別支援教育について、しっかり学んでいこうと覚悟が決まりました。日本語教育の知識しかなかったら、いつまで経っても「あ」を書く練習ばかりさせていたかもしれません。

眼球運動がうまくいかないと黒板の字が書き写せないということも、特別支援教育を学ぶ中で、はじめて知りました。今では、日本語支援の現場でビジョントレーニングの教材を使うこともあります。

ー 日本語教育と発達支援教育は、重なり合う部分が大きい分野なのですね。

2018年12月と2018年1月「多言語環境で育つ子どもの発達障がいとことばの問題」というテーマでシンポジウムを開催したところ、特別支援学校の教員、愛知県教育委員会特別支援教育課、児童精神科医、発達障害の研究者、特別支援教育支援員、臨床心理士の方々とつながることができました。

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2020年1月の第2回シンポジウムでは、児童精神科医の高橋脩先生による講演も(写真右)。

外国ルーツの子どもたちを含むすべての子どもたちが、教育を受ける機会を同等に得られるよう、私たち日本語支援者が、必要に応じてさまざまな専門家にリファーする(つなぐ)ことが大切ではないかと思います。

連携の広がりとともに、多様な子どもたちに対応できる日本語教材が増えていくことを願います。このたびは、貴重なお話をありがとうございました。

こちらこそありがとうございました。

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川崎直子(かわさき・なおこ)

【学歴】

米国カリフォルニア州立工科大学ポモナ校卒業

南山大学大学院外国語学研究科修士課程修了 修士(日本語教育)

南山大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了 博士(言語科学)

【職歴】

米国カリフォルニア州East San Gabriel Valley Japanese Community Gakuen、三重大学留学生センター・国際交流センター、愛知産業大学留学生別科等を経て、現在愛知産業大学短期大学国際コミュニケーション学科日本語教育コース准教授

【社会活動等】

一般社団法人かにえ子ども日本語の会代表理事、支援教育専門士、岡崎市国際化推進委員会委員長、蟹江町総合計画審議会委員

【最近の著書】

平成29年4月「外国につながる「困り感」のある子どもの指導に関して」『ことばと文字』第7号,くろしお出版

平成29年11月『日本語教育への道しるべ』第1巻~第4巻,監修・執筆,凡人社

【その他】

「地域社会活動等支援奨励賞」(個人)、「愛知県多文化共生推進功労者表彰」(団体)、「第50回博報賞 国語・日本語教育部門奨励賞受賞」(個人)受賞

*1:大学における学生教育の質の向上を目指し、文部科学省が個性・特色のある優れた取組「Good Practice」を選びサポートする制度。

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