第二言語習得研究という言葉を聞いたことがある方は多いと思います。日本語教育能力検定試験にもよく出題されますし、研究発表のテーマなどにもよく取り上げられます。外国人が第二言語として日本語を習得する時、何がどう影響するのか、教え方によって習得の度合いは変わるのか、第一言語(母語)との習得の違いはあるのかなど、第二言語習得研究は日本語教師にとって必須の内容です。先頃、『改訂版 日本語教育に生かす第二言語習得研究』を上梓した迫田久美子先生に、第二言語習得研究の魅力や最新の動向についてお話をうかがいました。
第二言語習得研究は「いい教師」になるためのパスポート
――そもそも日本語教師にとって第二言語習得研究を学ぶ意味は何でしょうか。
日本語教師であれば、あるいはこれから日本語教師を目指している方であれば、誰もが「いい日本語教師」になりたいと思っているのではないでしょうか。では「いい教師」とは何でしょうか?
――うーん、教え方がうまいとか、知識が豊富とかでしょうか。
もちろんそれも大切でしょう。でも指導法や日本語学の勉強の前に、「学習者についての勉強」が実は大事なんです。つまり目の前の一人ひとりの学習者をよく観ることです。学習者のことをよく知る、よく理解することです。学習者によって日本語を学ぶ目的もニーズも能力も違います。であれば、それによって教え方や必要な知識も違ってくるはずです。
――学習者の使う日本語もよく観るということでしょうか。
そうですね。残念ながら、学習者は日本語教師が授業で教えたようには日本語を覚えていないし、使っていないことも多いんです。実際の学習者は教えられたルールよりも固まりで覚えたり、1つの表現ばかりを多用するなど、自分なりのルールで日本語を使っています。教師はその学習者の使用している日本語のルールや実態を知ることが大切なんです。
――迫田先生はこれまで一貫して第二言語習得の研究に携わってこられたわけですが、第二言語習得研究の歴史について簡単に教えていただけますか。
第二言語習得研究は外国語教育の分野から始まりました。1940~50年代の行動主義心理学や構造言語学を背景にした対照分析研究、1960~70年代に発展した誤用分析研究、そして1970~80年代の中間言語研究と、およそ10年おきに大きな潮流が起こりました。その中で、チョムスキーの普遍文法理論や、クラッシェンのモニター・モデルなど、さまざまな習得理論・モデルが提唱されてきました。やがて、それらはFocus on Formなど、第二言語習得の研究成果をどう教育現場に生かすかという方向に注目が集まっていったと思います。
――日本語教育能力検定試験にもよく出てくるところですね。2000年代以降はどのように発展していったのでしょうか。
2000年代に入ると、まず理論の構築や検証をするような研究が増えていきました。それに伴いコーパス言語学も盛んになっていきました。また、文法研究から社会言語学や語用論などのコミュニケーション研究へと関心が移り、最近は脳科学やAI(人工知能)の観点を用いた研究なども盛んになってきました。一方、第二言語を扱う教育現場の拡大とともに、地域の生活日本語、国内の年少者教育、介護・看護の日本語、ビジネス日本語、海外の子供の継承語などと研究領域も多様化していきました。
――まさに、あらゆる日本語教育の現場が第二言語習得研究の舞台になっているんですね。特に最近話題になっていることはありますか。
COIL(コイル)、CLIL(クリル)、反転学習といった言葉は聞いたことがありますか。いずれも最近、注目を集めている学習方法・様式です。COILは(Collaborative Online International Learning)の略で、海外の連携大学と交流を行い、問題を共有し、協働してその解決に取り組むオンライン学習のことです。また、CLILは(Content and Language Integrated Learning:内容言語統合型学習)の略で、文字どおり教科やトピックなどの「内容」と「言語」を融合して学ぶ教育方法です。反転授業は自宅でオンライン教材を学習して知識を事前に学び、対面教室では知識の定着を図るために、ドリル学習や練習などをおこなう教授学習様式のことです。
――ICTを活用した新しい教育の方法がどんどん生まれているんですね。
外国語が上手になるにはどうしたらいい?
――ところで、このような第二言語習得研究は詰まるところ「どうやったら第二言語を習得できるのか」、平たく言えば「どうしたら外国語が上手になるか」という古くて新しいテーマにつながると思うのですが。
私は日本語教師になる前は小中学生の子供たちに英語を教えていたのですが、自分の経験からも外国語は決して楽しては習得できないと思っています。「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」という言葉を聞いたことはありますか。
――いいえ、それは誰の言葉ですか。
剣豪・宮本武蔵が書いた『五輪書』にある言葉です。武術の上達には、千日、万日の稽古を繰り返す、つまり何かを自分のものにするためには、ふだんの練習を繰り返し続けることが必要だということです。心理学の分野ではこれをリハーサルと言います。
――学び方によって、何か違いは出てきますか。
自然環境の下で習得した人と教科書だけで勉強した人の違いは、言葉に場面が結び付いて学習しているかどうかです。教科書はどうしても場面と切り離されてしまうので、それを補うためには映像教材やe-learningなどの手法を積極的に取り入れていくといいと思います。そして何より大切なのは継続ですね。成功するための秘訣は「成功するまで諦めないこと」です。
――継続するためには動機付けやモチベーションの維持なども大切になってくるわけですね。こうしてみると外国語学習に近道はないというのは、昔も今も考えは変わらないようですね。
はい、そう思います。それでも第二言語習得研究で最近になって分かってきたことは、人間の認知能力には限界があるということです。人間は忘れるし、一度にあれもこれも覚えられない。言語知識と実際に言葉を使うことは言語の処理方法が違うんです。そういった前提を日本語教師は踏まえなければならないと思います。
――そもそも、その外国語を習得したかどうかはどうやって測るのでしょうか。
学習者の習得の度合いを測る指標として最近注目されているのがCAF(カフ)研究です。これは、Complexity(複雑性)、Accuracy(正確性)、Fluency(流暢性)の頭文字を取ったものですが、環境によって三つの指標のうちのどこがどのように伸びるのかが、最近の研究で少しずつ分かってきています。例えば、目標言語圏に留学すると流暢性が伸びるとか、ゆっくり考える時間があると複雑性は伸びるが、正確性は必ずしも伸びるとは言い切れないなどです。ただ、複雑性も正確性もそれらの伸長は何を分析対象とするのかによっても結果が変わることが推測されるため、すぐに明確な結論を示すことは難しいと思います。
第二言語習得研究を志す若手研究者に伝えたいこと
――第二言語習得研究の今後の課題は何でしょうか。
最近危惧しているのは、研究に十分な時間をかけていないパイロット的な研究が増えているのではないかということです。若手研究者の中には、就職や昇進を焦って業績数を気にして、文献研究やデータの考察を十分に行っていない研究が見られるように感じます。
――非常に大事なご指摘だと思います。
例えば、日本語の第二言語習得研究に見られる多肢選択問題やアンケート調査など、学習者自身の言語使用をよく観察した上での設問ならいいのですが、中には言語学や日本語学の用法、つまり日本人の規範的な日本語文法を基盤に設問を考えて調査する研究もあり、それでは学習者の日本語習得のメカニズムを解明することは難しいかもしれません。
最初にお話ししましたが、学習者は教師が教えたようには日本語を覚えていないかもしれないし、教師が考えているのとは違うルールで日本語を考えているかもしれないのです。過去の研究事例ですが、指示詞「この・その・あの」の選択も、ある学習者から「『時』の前に付くのは『その』じゃないんですか?」と言われ、「その時」を固まりとして使っていることが分かったり、ある学習者は、有対自他動詞(「決める・決まる」など)も一方の形式ばかり偏って使うなどの傾向が観察されたりして、学習者は日本人の規範的な使い方とは違う場合もあることが報告されています。ですから、学習者がどのように日本語を使っているのかをよく観察してからテストやアンケートの設問を考えることが重要だと考えています。
――「学習者の文法」に基づいて研究を進めるということですね。
はい、そうです。第二言語習得研究は、学習者が第二言語(外国語)を習得する際にかかわるさまざまな現象を科学的に研究していく学問領域です。規範的な日本語を基盤に考えるのではなく、コーパスや言語データを観察しながら、学習者の視点に立った彼らの日本語の分析を心がけてほしいし、私自身もそうありたいと思っています。
――最後に、今回上梓された『改訂版 日本語教育に生かす第二言語習得研究』の改訂ポイントについて教えてください。
旧版は多くの方に読んでいただき、実に13刷を数えました。今回の改訂では、旧版の「初心者にも分かりやすい」「豊富なエピソードが盛り込まれている」という良さを生かしながら、巻末の関連キーワード・関連用語を整備するとともに、本日お話ししたような旧版が出てから18年の間の第二言語習得研究をめぐる新しい動きを加筆しました。
――多くの日本語教師の方や日本語の習得研究に興味のある皆さまに読んでいただきたいと思います。本日はありがとうございました。
迫田久美子(さこだ・くみこ)
広島大学森戸国際高等教育学院特任教授・副理事、国立国語研究所日本語教育研究領域客員教授
広島県生まれ。広島大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。専門は第二言語習得および日本語教育。主な著書は『中間言語研究―日本語学習者における指示詞コ・ソ・アの習得—』(渓水社1998)、『日本語学習者の文法習得』(共著 大修館 2001)、『日本語学習者コーパスI-JAS入門―研究・教育にどう使うか―』(共編著 くろしお出版 2020)、『改訂版 日本語教育に生かす第二言語習得研究』(アルク 2020)など、多数。
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