今、非常に注目されている職業、「日本語教師」。「年齢に関係なく働ける」「今までの人生が強みになる」「自分らしいワークスタイルを選べる」――第二の人生に日本語教師を目指す方も増えています。定年目前で会社を辞めて、3年間タイで日本語を教え、現在は帰国して日本語教師として活躍している仲野睦子さんに、タイでの生活や現在の仕事について伺います。
仕事をしながら日本語教育の学習を始めた仲野さんが、検定試験に合格しタイの日本語学校へ就職するまでのお話は「前編」をご覧ください。
キッチン付きにしたけれど…
タイのバンコクに着いた私は住まい探しを開始しました。タイの日本語教師の月収は25,000~45,000バーツ(約87,500~157,500円)。日本の基準から考えると少ないような気がしますが、タイでは大卒の初任給が15,000バーツ、コンビニの時給が40バーツが相場ですから、生活するには十分困らない金額です。
少し高くてもキッチン付きの住まいにしたいと思っていたので、日本語学校の担当者から日本人向けの不動産業者を紹介してもらい、「15,000バーツまで出すので、キッチン付きで学校から30分以内の所で探してください」とお願いしました。
しかし、日本人が多く住む地区の相場は最低でも20,000バーツとのこと。そこで、日本人居住区から外れたプラカノンという町のコンドミニアムを紹介してもらいました。家具&キッチン付き、共有のプールとジムまであって17,000バーツ。17階の部屋からの眺望を見て即決しました。
こうして、ステキなコンドミニアムで憧れの海外一人暮らしが始まる・・・はずでしたが、日本語学校の授業が始まってみると、プールやジムで過ごすどころか、キッチンに立って料理する時間もない忙しさ。おまけに40バーツも出せば屋台でおいしい料理が食べられるので、自炊する方が高くつく始末。キッチン付きでなくてもよかったかも・・・。
NAFLのテキストが役立った
タイの日本語学校での仕事が始まり、私は「みんなの日本語」の初級クラスと「ビジネス日本語」の中級・上級クラスを担当することになりました。週6クラスでしたが、学習者の進度やコース期間、学習内容がばらばらなので、それぞれのレベルに合わせた教案を用意することの大変さを思い知りました。
主に『みんなの日本語』というテキストを使っていましたが、教え方の手引き書を見ながらなんとか教案を作っても、教案チェックをする先輩先生に、「これじゃ4時間もちませんよ」「この言葉は未習語ですよ!」と注意され、へこみながら書き直し・・・。
どんな人もそうだと思いますが、教師になりたてのころは、授業の何倍もの時間を教案や教材作りに費やします。平日は授業前の準備と授業後の宿題やテストの採点などで忙しく、教案を作る時間の余裕はありません。そのため週2日の休みの日は、朝から晩まで部屋にこもって1週間分の教案を作りました。
日本で懸命に勉強したアルクの「NAFL日本語教師養成プログラム」の2冊のテキスト、「日本語の文法・基礎」と「日本語の文法・応用」はバンコクでも役立ちました。実際に教え始めてからもう一度この2冊を読み返すと内容が「腑(ふ)に落ち」、実践の大切さを実感しました。
「経験を積めば楽になる、今は修行だ!」と自分に言い聞かせながら、海外暮らしを楽しむ余裕もなく、最初の3カ月が過ぎていきました。テキストの1課から最後の課まで一通り授業をし、同じレベルのクラスを何度か教えているうちに、だんだんポイントがつかめてきました。
親切で優しいタイの学生たち
タイも他の国と同様、日本のアニメや漫画が好きで日本語を始める学習者が多いです。
ちょうど私が行ったときは、日本でも流行したゲーム「ポケモンGO!」が大人気で、日本語学校でも、文を作らせると「ポケモンGO!は面白いです」など、必ずポケモンGO!を入れる学生がいたり、隣のクラスの学生が「先生のところにポケモンがいます!」と教室に入ってきたりして楽しんでいました。
タイは非漢字圏ですので、漢字が苦手な学生やだんだん授業が難しくなって挫折してしまう学生もいましたが、学生たちは穏やかで優しく、新米先生の授業でも一生懸命、理解しようとしてくれました。私がタイに来たばかりでタイ語も分からないと知ると、親切にいろいろと教えてくれます。屋台の注文の仕方からお薦めの観光地まで、私になんとか日本語で伝えようとする姿に、教師として励まされました。
「観光客」としてではない、バンコクでの生活
バンコクでは一年を通して気温が25度以上あります。私がタイで暮らし始めた10月でも最高気温は33度くらいありました。授業の始めに「今日は暑いですね」と言うと「今日は暑くないです。4月には40度になります」と学生に突っ込まれ、一年に数回の20度を切る日には「寒い、寒い」と言う学生に「寒くないです。すずしいです」と私が突っ込む・・・。このようなやりとりは、日本語教師のあるあるネタですね。
雨季には大雨で冠水して駅まで行けなくなったこともあり、東南アジアならではの気候に驚くこともありましたが、それも面白い異文化体験でした。
次第に授業に慣れてくると、休みの日に近所を散歩する余裕も出てきて、バンコクの暮らしを楽しめるようになりました。日本人居住区から離れた場所に住んだおかげで、旅行のときには知らなかった下町の雰囲気を感じられたのがよかったです。
また、英語も全く分からない近所の市場のおばちゃんや食堂のおじちゃんが、身振り手振りで何とか伝えようとしてくれた結果、「話さないけど顔見知り」という人がたくさんできました。海外で外国人として暮らすことは、非常に楽しい経験でした。
ゆとりも大切と考え帰国
授業には慣れてきたものの、複数のクラスを担当している限り、長期間の帰国や旅行はできません。学校の休みはソンクラン(タイの正月)と日本の正月くらいで、その時期に高い航空券を買って帰国しても、3、4日しか日本にいられません。
もうそんなに無理をしなくてもいいんじゃないかと考え、日本語学校を退職し時間の融通の利くオンライン日本語教師を始めました。しばらくバンコクでオンラインの仕事を続けていましたが、娘が出産したのをきっかけに昨年5月に帰国しました。
辿り着いたオンライン日本語教師の仕事
現在のオンラインレッスンは、「ネット会議システム」を使い、画面上のボックスに映るお互いの顔を見ながら、同じく画面上の教材に沿って授業を進めていくスタイルで行っています。ほとんど日本語ができないレベルからビジネスレベルまで幅広い学生に対応しなければいけないので大変ですが、マンツーマンなので学生に合わせたレッスンができます。
授業数は週5~15回と、時期によってばらつきがありますが、私の方では「年2回長期の休みを取りたい」というわがままを認めてもらっているので、授業数にはこだわらないことにしています。海外旅行のために1カ月休むこともできるので、今の私にとっては都合の良い働き方です。
最近、週に1回、駐在員とその家族のための日本語レッスンも始めましたが、このような仕事も私に合っていると思います。バンコクで教えていたころの忙しさに比べると、今はずいぶんとのんびりした毎日ですが、ライフステージに応じて働き方が選べるのも日本語教師という仕事の魅力です。
日本語教師を志し、一念発起して5年。苦労もありましたがそれ以上に楽しみや喜びがありました。学生のニーズに応えるためには、常に自分をブラッシュアップしていかなければなりませんが、それも良い学びのチャンスだと思っています。今後も自分らしく日本語を教えていくつもりです。
おすすめの教材
NAFL日本語教師養成プログラム
「NAFL日本語教師養成プログラム」は日本語教育について学ぶための総合教材です。国際交流に興味がある方、外国人の役に立ちたい方、経験やスキルを生かして一生の仕事を見つけたいと思っている方々が、日本語教師として国内外で活躍していただけるよう、必要とされる基礎的な知識や教養が詰まっています。
文:仲野睦子
研修会社の営業事務職を23年。検定合格を機に退職して日本語教師としてタイへ。帰国後はオンライン日本語授業の講師として個人指導を続ける。趣味は格安海外旅行。10年間の東南アジア通いの後、最近はヨーロッパにも足を延ばし、安くて快適な穴場を開拓中。
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