イスラム教徒が日本で「自分らしく」生活しようとするとき、文化や宗教などの違いからさまざまな困難が生じます。イスラム教徒が日本の生活においても「自分らしく」ふるまえることを支えるため、という視点から日本語を教えることを考えたとき、教室活動の目標はどんなものになるでしょうか。福岡市で、文化庁委託事業「生活者としての外国人」のための日本語教育事業を受託し設置された教室の事例からお伝えします。NPO多文化共生プロジェクト代表の深江先生によるコラムです。
日常生活における小さな望みを実現するために
福岡市内で生活するイスラム教徒の人数は、福岡モスクの関係者によると、現在、約2000人です。国籍は、インドネシア、マレーシア、バングラデシュ、パキスタン、シリア、エジプト、など多様です。イスラム教徒は、聖典『コーラン』に基づいた宗教上の行動規範があり、日常生活でそれを実践します。
代表的な行動規範としては、1日5回の礼拝、出してはいけない体の部位がある、口にできない原材料がある、などです。しかしこれらの行動規範を、日本の地域社会で実践しようとしたとき、さまざまな障壁を生みます。次のエピソードをご覧ください。
チョコレートが買えない
Iさん(インドネシア人、女性)は、スーパーでチョコレートを買おうとした。原材料に乳化剤の記載があったが、乳化剤の原材料が植物性か動物性かは分からなかった。Iさんはチョコレートが食べたかったが、乳化剤の原材料が動物性であったら食べることができないため、買うことあきらめた。
エピソードから分かることは、Iさんにはチョコレートが食べたいという日常生活上の小さな望みがあり、そこに、乳化剤の原材料が分からないという壁が生まれたということです。もしこのとき、Iさんがそのチョコレートのメーカーに乳化剤の原材料について問い合わせをすることができれば、Iさんはそのチョコレートを買えたかもしれません。そしてここに、Iさんにとっての日本語学習の必然性が生まれます。
Iさんが自分の小さな望みを実現するためには、メーカーに問い合わせて、乳化剤の原材料を問い合わせなければなりませんが、このようにイスラム教徒が日常で小さな望みを実現するためにどのような行為が必要かを整理したものが表1です(行動規範は個人差があるため、全てのイスラム教徒に該当するものではありません)。
表1 日常の小さな望みを実現するための行為例
地域の日本語教育の目標とは?
表1の「日常の小さな望みを実現するための行為」を見ると、「原材料を尋ねる」「塩を頼む」「飲めないことを伝える」など、その行為は、ことばを用いてなされることが分かります。つまり、イスラム教徒が日常生活で自分の小さな望みを実現するためには、日本語で他者に表1のことがらを伝えていかなければなりません。例えば、表1の食事①なら「この料理の材料に豚肉が入っていますか」、食事②なら「天つゆのしょうゆにアルコールが入っていますか。塩をお願いします」という表現をイスラム教徒は学ぶ必要があります。
そして、ここであらためてイスラム教徒にとっての日本語学習の目的を考えてみると次のようになります。日本で生活するイスラム教徒は、自分の国では当たり前にできていたことが当たり前にできない環境に置かれます。自分の国で当たり前にできていたこととは、レストランで自分の好きなものが食べられることや、病院で安心して診察を受けることです。大切なことは、レストランで「好きなものが」食べられることで、病院で「安心して」診察を受けられることです。つまりレストランで何でもいいから食べるのではなく、病院で我慢して診察を受けるのでもなく、自分に適したものを選べなければなりません。そしてこれらの望みを実現するために必要な日本語を学ぶことが学習の目標となるのです。
イスラム教徒が日本で生活する中で、自分らしくいられるように自分の思いや考えを伝え、行動していく。私たちは、このような目標を基にこれまで教室活動を行ってきました。そしてこの目標は、日本で生活し始めた外国人が、自分らしくいられるように自分の思いや考えを伝え、行動していく、と言い換えることができます。ここには、地域の日本語教育の新たな目標があるのではないでしょうか。
執筆/深江 新太郎(ふかえ・しんたろう)
「在住外国人が自分らしく生活できるような小さな支援を行う」をミッションとしたNPO多文化共生プロジェクト代表。大学で歴史学と経済学、大学院で感性学を学ぶ。珈琲屋で働きながら独学で日本語教育能力検定試験に合格し日本語教師に。学校法人愛和学園 愛和外語学院 教務長。
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