【Merry Christmas】子ども向け商品大特価セール実施中! 【Merry Christmas】子ども向け商品大特価セール実施中!

検索関連結果

全ての検索結果 (0)
ベトナム人介護職員に聞くー日本語、仕事、将来の夢

人出不足の介護現場では、外国人職員が活躍しているところが少なくありません。山梨県甲州市にある社会福祉法人光風会は10年以上前から積極的に外国人人材を受け入れています。実はアルクでは現在、介護の日本語を学ぶ教材を開発していて、光風会にはさまざまなアドバイスをいただいています。教材はベトナムでも使っていただく予定で、光風会のベトナム人職員の方々にもご協力いただいています。今回は、光風会で働くベトナム人介護職員3人に、来日前の日本語研修から将来の夢までを聞きました。※最後に動画もあります。ご覧ください。

写真は左から、チュオン、リーさん、フィンさん

グェン・ヒュー・チュオンさん

27歳、ベトナム・ハノイ出身。EPA(経済連携協定)介護福祉士候補として2016年5月来日。2016年8月から光風会に勤務。2020年1月に初めて介護福祉士国家試験を受験。日本語能力試験N2合格。


ファム・ティ・リーさん

26歳、ベトナム・フンエン(ハノイ近郊)出身。EPA介護福祉士候補として2017年5月来日。2017年8月から光風会に勤務。日本語能力試験N2合格。

グェン・ミン・フィンさん

28歳、ベトナム・バクザン(ハノイ近郊)出身。EPA介護福祉士候補として2016年5月来日。2016年8月から光風会に勤務。2020年1月に初めて介護福祉士国家試験を受験。日本語能力試験N2合格。

来日前は毎日8時間、1年間日本語を学ぶ

編集部:皆さん、ベトナムで看護大学を卒業してから、EPA(経済連携協定)のプログラムに基づいて日本に来られたのですね。

ファム・ティ・リーさん(以下リーさん):私は病気などで苦しんでいる患者さんの助けになりたいと思って看護の道を選び、看護大学を卒業してからは、フンエンにある日系企業の工場内のクリニックで働きました。フンエンには日系企業がたくさんありますが、働いているのはベトナム人が多く、日本語を使う機会はありませんでした。私は以前からEPAのプログラムを知っていて、クリニックで半年働いた後、プログラムに参加しました。

グェン・ヒュー・チュオンさん(以下チュオンさん):私は大学在学中に友人からEPAプログラムの話を聞いて興味を持ったので、卒業してすぐに面接を受け、参加しました。大学の友人たちは、卒業後にクリニックで働く人もいましたが、看護とは違う仕事に就く人も多かったですね。

グェン・ミン・フィンさん(以下フィンさん):私の友達は、病院に就職したり、看護の先生になったりした人も多かったです。私は卒業2カ月後EPAプログラムに参加しました。

編集部:EPAプログラムでは日本に来る前にベトナムで1年間日本語を勉強しますね。

フィンさん:そうです。リーさんはハノイですが、チュオンさんと私はフンエンで勉強しました。

リーさん:介護職の人だけを集めたクラスで、毎日8時間、日本人とベトナム人の先生に教わって日本語の勉強をしました。日本語能力試験は7月と12月の年2回あり、私は2015年12月に勉強を始めて翌年の7月にN3に合格しました。これに合格しないと日本に行けないので、皆一生懸命勉強します。N3に合格したら次はN2を目指してまた勉強します。最初は聴解が難しいと思ったけど、日本人の先生と話していると慣れてきます。勉強が進んでくると、読解のほうが難しいと感じるようになりました。

チュオンさん:私は2014年12月に勉強を始めました。やはり毎日8時間勉強して、翌年の12月にN3に合格しました。日本語の勉強でもっとも難しいと思ったのは漢字ですね。N3で700字くらい覚えるのですが、大変です。漢字が読めないと読解ができませんから、とにかく何度も書いて覚えるようにしました。

フィンさん:私はチュオンさんと同期なので、同じく2014年12月に勉強を始めました。N3は翌年の7月に受ける予定でしたが、試験でトラブルがあり、9月に行われた試験で合格しました。皆さん同じだと思いますが、私もやっぱり漢字が大変でした。何度も繰り返し見て、書いて覚えるのですが、どうしても忘れてしまうんです。苦労しました。

日本で働き始めた当初は日本語の会話に苦労した

編集部:皆さん無事にN3に合格して日本に来たわけですが、日本や仕事先に不安はありませんでしたか。

フィンさん:日本に来る前に、ベトナムで日本の介護施設とのマッチングがあります。そこで行先を決めるのでそんなに不安はありませんでした。でもこっちは夏は暑いし冬は寒いし、雪が降れば交通が混乱するし、ちょっと大変なところはありますね。

チュオンさん:私たちの年は、ベトナムから180人日本に来ました。毎年増えているようで、リーさんのときはもう少し多かったんじゃないですか。

リーさん:そうですね。私が来たのはチュオンさんたちの次の年ですが、 200人くらいでした。

チュオンさん:今はもっと増えて、240人くらいになっていると思います。

編集部:日本で働き始めて、苦労したことはどんなことですか。

フィンさん:買い物などはスーパーマーケットがありますし、生活で不便を感じたことはありませんが、来てすぐのころはあまり日本語が上手ではなかったので、会話が難しかったです。利用者さん(介護を受ける方)や日本人職員の話している内容が聞き取れなくて困ることがありました。わからないときはメモをしておいて、先に日本に来て働いているベトナム人の先輩に聞いたりして、半年くらいでようやく慣れてきました。

チュオンさん:私もやっぱり最初は会話が大変でした。介護施設の利用者さんはお年寄りばかりなので、歯のない人や入れ歯の人もいて発音がはっきり聞き取れないことがあります。そして、利用者さんは時々、自分の気持ちが混乱した状態でお話しになることがあります。いろいろなことを一度に言うのですが、内容がなかなか理解できないときは困りました。あとは方言ですね。甲州弁を聞き取るのが難しいです。利用者さんだけでなく日本人職員も甲州弁を使うのですが、慣れないうちは何を言っているのかわからなくて。最近はようやく甲州弁も少し理解できるようになってきました。

リーさん:私も甲州弁は苦労しました。日本に来てすぐN2を取りましたが、ずっと標準語で日本語を勉強してきたので、方言は聞いたことがなく、最初は何を言っているのかわからなかったです。フィンさんやチュオンさんなど先輩に通訳してもらいながら覚えていき、1年ぐらいかけてようやく理解できるようになってきました。そのほかに私が苦労したのは報告書です。宿直の翌朝は報告書を提出しなければならないのですが、文を書くのは大変です。慣れないうちは日本人職員にお願いしたりしましたが、少しずつ自分で書くようにしていき、だんだん書けるようになってきました。

チュオンさん:たしかに、私も報告書には苦労しました。今はパソコンを使いますが、最初は手書きだったので、ほかの人が書いたのを読むのも大変でした。わからないときは日本人職員に直接聞くようにしましたが、皆さんしっかり教えてくれました。

編集部:介護の仕事のどんなところが大変で、どんなところにやりがいを感じますか。

フィンさん:大変なのは宿直です。朝8時半から、途中に休憩や睡眠を挟んで翌朝8時半まで施設にいます。だいたい月に4回くらい回ってきて、私だけではなくて皆大変ですが、頑張ってやっています。

施設の利用者さんは、いろいろな病気を抱えていたり、身体の状態もさまざまです。具合が悪くて歩けない利用者さんがいたとき、皆で協力して少しでもよくなるようにと思って頑張っています。そして歩けなかった利用者さんが歩けるようになったとき、とても嬉しい気持ちになります。

チュオンさん:ゆとりのある日はいいのですが、忙しい日は大変ですね。職員の少ない日などはとても忙しいです。でも利用者さんは皆良い方で、いつもにこにこと優しく接してくださいます。そんなふうに優しくしてもらうと、私もとても楽しい気持ちになるんです。それが一番いいところだと思います。

リーさん:利用者さんに「こうしてほしい、ああしてほしい」と言われても、できることとできないことがあって、対応に苦労しました。でも最近は慣れて、だいぶ上手に対応できるようになってきました。自分で買い物ができない利用者さんに頼まれた物を買ってきて渡すとき、とても感謝してくれるんです。それが嬉しいですね。また年に1、2度あるレクリエーションや日帰り旅行では、一緒に買い物などをすることもできます。そんなときは本当に嬉しそうにしてくれて、私も嬉しくなります。

介護福祉士、日本語能力試験N1合格を目指して勉強を続ける

編集部:皆さんは国家資格の介護福祉士の取得を目指しているわけですが、その勉強はいかがですか。

フィンさん:実は私はつい先週試験を受けたばかりなんですが、結構難しかったです。入浴介助や排泄介助など、基本的なことは簡単なんですが、試験範囲には医療にかかわる部分も含まれていて、そこはすごく難しいです。専門用語も多いです。施設で、介護福祉士の勉強会と日本語の勉強会が週に1回ずつあって、それに参加し、1年前からは甲府の学校にも通って勉強しています。過去問題は4年分くらい解いてから試験を受けました。

チュオンさん:私も先週受けました。本当にすごく難しい試験で、私はあまり勉強が得意ではないので苦労しました。とにかく出題範囲が広くて全部を勉強するのも大変だし、勉強したとしても覚えきれないんです。ふりがな付きの問題用紙も用意されているのですが、読めても意味がわからなければしょうがないですね(笑)。受験のチャンスは2回あって、もし今年がだめでも来年また受けることができますが、来年受からなかったら帰国しなければなりません。

リーさん:私は来年1月の試験を目指して勉強しています。フィンさんとチュオンさんが言うとおり、本当に難しいです。皆で集まって先輩に教えてもらいながら頑張っています。また日本語能力試験のN1も目指していて、そっちの勉強もあります。去年受けたのですが落ちてしまって……また頑張りたいと思っています。

編集部:皆さん仕事をしながら勉強も頑張っているのですね。では、これからの目標、将来の夢を教えてください。

リーさん:私は来年、介護福祉士の国家試験を受け、合格したらそのまま日本に1年くらい残って働き続けたいと思っています。そしてその間に日本で結婚できたらそのまま日本で働き続けたいと思いますが、もし結婚のチャンスがなかったら、ベトナムに帰って結婚します(笑)。

チュオンさん:近い目標では、来年の1月までにN1を取りたいと思っています。そして、介護福祉士だけでなく、准看護師の資格を取得したいんです。准看護師の受験資格としてもN1が必要なので、まずは日本語をしっかり勉強しなければなりません。

フィン:私もチュオンさんと同じでN1を取って、准看護師の資格を取得したいと思っています。でも将来は、日本にずっといるとベトナムの両親が困ってしまいますから、日本でしっかり勉強して資格をとったら、ベトナムに戻って向こうの病院で働きたいと思います。そして、同じように介護福祉士を目指す後輩の指導をしたいと思っています。

―― 最後に、アフターファイブや休日の楽しみ、そして将来の夢を話していただきました。URLをクリックして動画もご覧ください。

チュオンさん

「私はグェン・ヒュー・チュオンと申します。チュオンと呼んでください。私は毎日、仕事が終わったら、自分の楽しみなことは、ギターをひくことです。そして、走ることです。将来は、社会に対して役割を持てる人になりたいと思います。よろしくお願いします。」

www.youtube.com

リーさん

「皆さん、こんにちは。私はファム・ティ・リーと申します。リーと呼んでください。私は今、介護士として働いています。毎日、仕事が終わってから、本を読んだり、テレビを見たり、休みの日に友だちと一緒に遊びに行きます。日本の観光地の知らないところに行きたいと思います。私の将来の夢は、帰国してから、日本で勉強したことを使って、ベトナムが発展するために仕事をしたいと思います。」

www.youtube.com

フィンさん

「こんにちは、私はグェン・ミン・フィンと申します。私は毎日、仕事が終わったら、出かけたいですね、友だちと一緒に出かけたいですね。買い物に行くとか、それから旅行に行くとか。ときどき行っていますね。私の将来の夢は、日本に来て、いろいろ勉強したいと思いますけど、ちゃんと勉強したら、将来ベトナムに戻って、この専門で働きたいです。」

www.youtube.com

―― 皆さん、どうもありがとうございました。

(構成:国崎理恵)

関連記事


ベトナムにルーツを持つ子どもたちが気づかせてくれたこと―多様な言語・文化的背景を持つ子どもたちとともに学ぶ、これからの学校(2)

ベトナムにルーツを持つ子どもたちが気づかせてくれたこと―多様な言語・文化的背景を持つ子どもたちとともに学ぶ、これからの学校(2)

日本語も日本文化もわからないまま、家庭の事情等で来日し、日本の学校に通う子どもたち。その学習にはさまざまな支援が必要です。子どもたちの気持ちに寄り添い、試行錯誤を続ける近藤美佳さんの記事、後編です。


ベトナムにルーツを持つ子どもたちが気づかせてくれたこと―多様な言語・文化的背景を持つ子どもたちとともに学ぶ、これからの学校(1)

ベトナムにルーツを持つ子どもたちが気づかせてくれたこと―多様な言語・文化的背景を持つ子どもたちとともに学ぶ、これからの学校(1)
国内の小中学校では外国籍、外国にルーツを持つ子どもたちが増え続けています。子どもたちへの日本語教育の重要性がようやく注目され、母語・母文化継承についても少しずつ認識されるようになってきました。

木村宗男と平和のための日本語教育

木村宗男と平和のための日本語教育
2024年4月より日本語教育機関認定法が施行され国家資格「登録日本語教員」制度が開始されます。戦後の日本語教育の歩みの中でも大きな転換点をむかえ、とりわけ、日本語教員養成は新たなフェーズに入ったと言えるでしょう。一方で、現代の地球社会には、環境や災害、紛争、感染症など、多くの危機的な問題が横たわっていて、日本語教育や日本語教師に求められる役割を広い視野で考えることも求められています。今回は、戦中・戦後に日本語教育に従事し、日本語教育学会の設立や教員養成に寄与した木村宗男に着目し、その活動と志向された平和のための日本語教育をご紹介します。