今回お話をうかがった小山暁子さんは、契約する企業や大使館、ホテルのラウンジ、カフェなどで、主にビジネスパーソンに教えているフリーランス日本語教師のパイオニアです。フリーランスの日本語教師として、学校に属さずに教える方法についてお話しいただきました。
日本語教師になる気なんて全くなかった。ただ友人を負かしたくて通い始めた養成講座
ーー日本語教師になるきっかけはなんだったのですか?
英会話喫茶のマネージャーをやっていた時に、アルバイトで働いていたアメリカ人留学生とルームシェアをしていました。彼女は当時早稲田大学に通っていたのですが、ホームステイ先の門限が厳しくて嫌になり、私のところへ転がり込んできたのです。彼女は日本語の宿題の分からないところを私に聞くんですが、答えは教えられても「どうして?」と聞かれるとうまく説明ができませんでした。
そんなある日彼女が大学で教えてもらった日本語の文法を得意気に説明してくれたんです。その出来事はネイティブの私にとってとても悔しいもので、彼女が学校に行っている間に日本語教師養成講座にこっそり通い始めました。私が日本語教育を学び始めたきっかけは、「日本語教師になりたい」なんて立派なものではなく、「彼女を負かしたい」という気持ちからなんです。
ーー言語は得意だったのですか?
特に得意だったということはありません。公立の中学・高校で、普通に教科として英語を学習してきましたが、住んでいたのが横田基地の近くで、周りには外国人がたくさんいるような環境でした。
私が高校の頃は、1ドルが360円くらいでした。英語が少しできると、横田基地内でベビーシッターなどのアルバイトができました。バイト代はドルで計算して円で払ってくれるので、普通にアルバイトをするよりはるかに良かったんです。近所の教会の日曜学校で開かれる無料の英会話教室には半年ほど通いました。英語が身近にある環境でもありましたね。
そこそこの成績は取っていましたが、学校の英語の授業は特に面白いと思ったことはありませんでした。日本語教師は語学が好きな人が多いんですが、私は語学が好きでも得意でもないので、その点は語学好きの先生方とは少し違うと思います。
日本語教師の養成講座が終わっても、特に日本語教師になろうと思っていたわけではなかったんですが、当時知り合った総合語学学校の院長に校内に英会話サロンを作りたいから、そこでマネージャーをやらないかと誘われました。利益は出ないだろうからやめたほうがいいと言って断りましたが、後日、その学校にある企業から日本語研修の問い合わせがあった時に、私が呼ばれたんです。それが日本語教師として教えた最初ですね。
教えることの常識を疑い、「お客様」第一に
ーーフリーランスの日本語教師に必要なこと、大切なことはなんですか?
不安定であることを怖がらない人はフリーランスでやっていけると思います。やはり大学や学校で専任として勤めたほうが、安定すると思います。しかし、教え方もですが、学校のルールを守りながらでは自由が限られてきます。それを窮屈だと思いながらも、安定をとって働くか、もしくは不安定というリスクを覚悟して、思い通りにフリーランスとして働くかですね。
私が心がけていることは、常識を疑うことです。学校では教える順序があって、先生方はきちんとその通り教えているでしょう。しかしフリーランスの私にとって、日本語を学習したいと私のところへ来てくれる人は「学生」ではなく「お客様」クライアントなのです。
日本語教師はサービス業だと信じているので、クライアントの欲しいものを最短の時間で提供できるようにします。例えば、簡単な会話はなんとかできるけれど、ひらがな・カタカナも読めない人が、日本語でプレゼンテーションをしたいと言ってきた場合、学校では漢字もできないのに無理でしょうと決めつけてしまいませんか。でもプレゼンはローマ字しか読めなくてもできるようになります。目の前のこの人ができる方法を見つけるのは私の大切な仕事であり、日本語という道具でやりたいことは何かからコースデザインする点が一般的なクラス授業とは違うんじゃないかと思います。
また、クライアントが減った時に安易に授業料を下げないことは大切だとフリーランスを目指す人には伝えています。基本的に、フリーランスはクライアントのところへ行って授業をします。そのため、その前後の移動時間や準備時間も考えなければいけません。フリーランスとしての収入で生活していくことを考えると、安易に値下げをすることは自分で自分の首を絞めるということになるんです。素晴らしい教師なのに自分で授業料を下げ、この世界から去っていった仲間を多く見てきました。フリーランスでやっていくということは、営業、交渉、請求、集金まで、学校でそれぞれの担当の方がやってくれることをひとりでこなさなくてはならないということです。収入面では、学校の給料と変わらないならフリーランスにならないほうがいいと思います。
ひらがなではなくカタカナから教えていく
ーー教えるにあたって心がけていることはなんですか?
まずはレディネス・ニーズインタビューをして、その方の家族構成からペットの名前まで警察の取り調べのようにならないよう、できる限り詳細に相手の情報を聞き出します。その人がわかってくると、どんな日本語が必要か見えてくるので、レッスン時に役立つんです。レッスンが始まってからの雑談から得た情報も合わせ、レッスン時に入れていくと、相手もイメージが湧きやすく身につくのも早くなります。
一人ひとりに一番有効な勉強法をカスタマイズしながら進めていきますが、10名くらいで行うグループレッスンでは、共通点を探すのに苦労することがありますね。
日本語学校ではひらがなを教えてからカタカナを教えるんでしょうが、私はたいていカタカナから教えます。カタカナは、それだけで意味がわかるからです。ひらがなの場合、街や電車で目にするのは漢字の送り仮名や、接続詞、文末の「です」「ます」などですね。ひらがなだけ読めるようになっても意味がわからないので、単にストレスになるばかりだと言われたことがあるからです。
また、時間的なこともあります。学校では多いところで週に20時間習うんでしょうが、私とのレッスンは週に2、3時間時間しかありません。学習者本人がモチベーションを上げ、自主的にどんどん勉強してくれるようにカタカナも趣味の道具や用語で覚えてもらいます。この人が「今」日本語を使ってやりたいこと、必要なことに着目し、まずはそれをひとつ達成してもらいます。それに加えて、会社でよく使う外来語を覚えてもらいます。それらを初級レベルの文に入れても、同僚との簡単なミーティングに参加するくらいできるようになります。特にエンジニアが使うのはほとんどがカタカナで書かれる外来語です。その方の好きなものや必要なものを選ぶと、習得も早いですね。ミーティングで自分の意見を1つ言えて同僚に褒められたりすると「次はこれ」と学習意欲が上がってきます。
テキストに関しても、母語での解説があるものがいい、フルカラーがいい、イラストや写真多目がいいと、人によって好みが違いますよね。だから、こちらで数種類用意し、その中から選んでもらうようにしています。自分で選んだもののほうがモチベーションアップに繋がるからです。
ーービジネスパーソンは忙しい方が多いと思います。学習可能期間が短い場合にはどうされていますか?
以前、あるグローバル企業の創設者から、日本支社を作りたいので3日間だけレッスンを受けたいという依頼がありました。これが私にとっての最短期間のレッスンです。まずは彼が何を学ぶべきか考えました。滞在中に大勢の前で話す機会があるだろう、他の企業トップと会う機会もあるだろうから、「挨拶」で使う日本語が必要になります。また、彼の趣味を聞くと、料理が趣味だから合羽橋で買い物をしたいと言われました。そうなると、買い物の時に使える日本語が必要になります。こういった感じで、日本滞在中に使える日本語に集中して教えました。期間が短くても、クライアントの欲しいものを最短で提供するという原則はかわりません。
教え子たちの頑張り、成功する姿が嬉しい
ーー日本語教師をしていて苦労したこと、やっていてよかったと感じることはありますか?
よかったと感じるのは、私は人間が好きなので人を相手にする仕事ができているということです。例えば大使や著名人など、フリーランスの日本語教師をしていなければ出会えなかったであろう方々と会えたり、ニュースの裏側やその国の常識や慣習が聞けたりすることは楽しいです。最高に嬉しい瞬間は、かつての教え子、クライアントが、日本語を武器に人生を成功させたり幸せになったりしたことを知ったときです。
5年前に来日したブラジル人の女性は、母国で結婚したご主人とはポルトガル語で話していたので、来日時はまったく日本語ができませんでした。ブラジルではネイリストをしていたんですが、英語もできないし勉強も苦手な自分は日本では何もできないと、劣等感を抱えていました。実際はとても賢い女性です。テキストの選択を任されたので、絵を描くことが好きな彼女のことを考えイラストの多いものを選び、辞書を買う代わりに、彼女には自分で「絵辞典」を作ることを勧めました。1年くらい経つとひらがなやカタカナはもちろん、300ほどの漢字も覚えました。
できれば日本でもネイリストとして働きたいという彼女の夢を知ってから、ネイルサロンにお客さんが来た時を想定したロールプレイも多く入れていきました。初めは自分を卑下していた彼女も、日本語ができるようになると自信がついて、今では六本木に自分のサロンを持つまでになりました。それが来日5年以内に実現できたんです。学校のクラスで日本語を学んでいたら、初級から始めて段階を踏んで進んでいくはずです。そうなるとまだまだ夢は遠いものだったでしょう。
「日本語ができないから…」と諦めている人の夢や目標を引き出すと、そこにフォーカスして教えることができ本人のモチベーションも上がって、上達に拍車がかかるんですよね。
レッスン料は値下げせずに乗り切り、「これが私の仕事」と思えるようになった
ずっと順風満帆に日本語教師をやってきたわけではありません。学校を辞めてフリーランスになった時にも、バブルが弾けてクライアントが激減した時にも、周りからは「どうするの?」と心配されました。学校で働く専任教師なら生活の保障があると思いますが、フリーランスという立場では、その日から収入が断たれるのですから。最大の危機は東日本大震災です。帰国する人だけでなく、日本にとどまっている人も緊急事態に日本語どころではありません。当然のことですよね。15組いたクライアントが翌週にはひとりになっていました。しかし私はどちらかというと楽天家なので、ダメになったらスーパーのレジ打ちでもやろうかと考えていました。諦めなんかじゃなく、スーパーの中で働けば、これまで知り得なかった仕事の流れや、どんな言葉が頻繁に使われているかわかる、そうしたら将来スーパーやコンビニで働く人に教えるときに役立つなんて、すごくポジティブに捉えていましたね。若いころからの経験でピンチはチャンスという考えが身についているんだと思います。
結局心配されながらも、周りの日本語教師がレッスン料を値下げして生徒を募集する中、私は一切値下げをしませんでしたが、私のことを心配した海外に住む昔のクライアント、現在の友人たちが連絡をくれ、仕事を紹介してくれたんです。今のクライアントも、ありがたいことに90%以上が紹介で繋がった方々です。
日本語教師になるつもりなくこの世界に飛び込んだ私が、職業を聞かれて「フリーランスの日本語教師です」と答えられるようになったのは15年以上たってからなんです。
小山暁子(こやま・あきこ)
フリーランス日本語教師。銀行員、役員秘書、店舗経営を経て、パナリンガ日本語教師養成講座、および、NAFL日本語教師養成プログラムを受講。その後日本語学校、総合語学学校など複数校で非常勤、主任教師として従事。1987年にフリーランスの日本語教師として独立後は、日本企業、外資系企業や大使館と契約し、ビジネスパーソン専門でプライベートレッスンやグループレッスン、新人研修などを教えている。2014年からは、東京都内の会場で月に1、2回日本語教師対象のセミナー『サタラボ』を主宰。
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