前回は「目的」「目標」「手段」を把握した上で授業を展開しよう!というお話でした。なぜ「目標」を意識することがそんなに大切なのでしょうか。今回は、そうしなかったが故の失敗談をご紹介しようと思います。(執筆:望月雅美)
失敗例1:楽しい授業が良いに決まっている⁉
みなさんは、どんな授業が「良い授業」だと思いますか。
教師になったばかりの頃の私は「良い授業=楽しい授業」と答えていたと思います。授業中に学習者から笑いが起こり、「先生の授業はおもしろいです」と言われたら最高!と思っていました。(「おもしろい」にはいろいろな意味がありますね。今思えば、「興味深い」という面白さではなく「滑稽な」という意味で「おもしろい」と言われていたのかもしれません……)
とにかく、学習者がワイワイできるゲーム性の高い活動はないかと、そればかり考えていました。そして、ゲームで盛り上がった次の日の授業でのこと。学習者からのこんな反応に、ようやくこのままではいけないと気づいたのです。
―昨日は何を勉強しましたか。
―きのうは……ゲームをしました!
学習者は前日のゲームを楽しんでくれたわけですが、彼らの口から前日に勉強した内容が出てくることはありませんでした。私はゲーム性の高い活動という「手段」に夢中でした。その結果、「楽しい授業をする」という私の目標は達成されたものの、「日本語を学ぶ」という学習者の目標はどこかに行ってしまっていたわけです。
失敗例2:「日本に来るのは大変だったんです」
目標を見失った「楽しくない授業」の失敗例もあります。
中級後半の作文授業でのことです。チームティーチングで、私の時間では前の担当教師が教えた内容についての作文を書くことになっていました。私はテーマを伝え、「質問があったら聞いてくださいね」とだけ言って用紙を渡しました。しばらくすると、一人の学生が少しイライラした様子で言いました。
―先生、授業はしませんか。
私は戸惑いました。正直に言うと、時間内に作文を書かせればよいという言葉を鵜呑みにして、それ以上のことは考えていませんでした。私の目標はただ「作文を全員に提出してもらうこと」だけでした。その学習者は続けて言いました。
―私は日本語をたくさん勉強したいと思って日本へ来ました。日本に来るのは大変だったんです。ここで書くだけですか。今日は何も教えないんですか。
この言葉は今でも肝に銘じています。私の授業では何も学べないと思わせてしまったこと、実際何も学べなかったであろうあの時間に、私は大切なことを教えてもらいました。
足りなかったものは…
もちろん、これはゲーム性の高い活動や作文授業が悪いという話ではありません。どちらの例にも足りなかったのは、授業のゴール―学習目標の設定です。
学習内容に関する「○○を使えるようになる」「○○を使って×の場面で△△ができる」という目標を少しでも意識していたら、目標達成に向けたゲームになるようにやり方を変えることができたはずです。活動中には使ってほしい日本語を学習者から引き出すように心がけたでしょうし、みんなが間違っていることがあれば盛り上がっていてもゲームを止めて修正したでしょう。活動後に学んだことを確認する時間をとれば、次の日に「ああ楽しかった!」だけでなく「○○を勉強した!」という答えも返ってきたはずです。
作文も同じです。どんな点に注意して、どんな内容で、どんな構成で書かれた作文を目指すのか。成果物がイメージできていたら、ただ「書いて」と言うだけでなく、最初の指示の出し方から変わっていたでしょう。
最後にもう1つだけ、失敗談にお付き合いください。これは半分成功した例です。
失敗例3:ただ「やって」と言った場合の成果物
シャドーイングという練習方法があります。音声の後を影(シャドー)のようについて口真似をしていく方法です。きちんと意図が分かって練習すれば、発音が良くなるだけでなく発話力や聴解力の向上にもつなげることができます。
はじめてシャドーイングを宿題に出したとき、シャドーイングのやり方を説明した後、私はこんな指示を出しました。
―では、例を聞いてたくさん練習してくださいね。シャドーイングをして上手にできたと思ったら、録音して私に送ってください。
その後、ある学習者から送られてきた録音は、言い間違いも言いよどみもないものでした。指示通りたくさん練習したのだと思います。ただ、スロー再生したかのように非常にゆっくりで、まるでお経のように平坦な話し方でした。これではただ読んでいるだけで、シャドーイングの効果はありません。私はもう一度宿題を出しました。今度は2つのことに気をつけるようにと指示を出しました。1つは、例と同じ速さで話せるように練習すること。もう1つは、例のイントネーションをよく聞いて真似をすること。そして、特に気をつけてほしい発音をいくつか練習し、宿題としました。
2つの提出物は雲泥の差でした(私のワークショップに参加していただいた方にはお聞かせした通りです。びっくりですよね)。恐らく、学習者自身がその違いに一番興奮していたと思います。
「できた姿」をイメージして
シャドーイングの宿題では、学習者は1回目も2回目も教師の指示にしっかり従っていました。違ったのは教師の指示の出し方です。ただ「やって」と言った場合と、「●●と×に気をつけてやってみよう」と言った場合では取り組み方が変わります。
市販の教材は非常に良くできていて、教材をなぞれば授業を進めることができます。しかし、そこに落とし穴があるような気がします。学習者に何ができるようになってほしいのか、そのページが終わった後の学習者の姿をイメージしてみましょう。それが目標になります。イメージ通りの姿になるためには何に気をつけたらいいでしょうか。気をつけること、目標に向かう注意点が決まったら指示の出し方を考えます。どう言えば指示が伝わるか、学習者のレベルに合わせて、慣れないうちはセリフのように書き出してみるといいでしょう。
目標が定まっていれば、ただ「はい、やって」とは言わないでしょう。目標に向けて声かけができていたら、授業後「ああ、楽しかった」だけで終わることも「先生は授業をしてくれなかった」と言われることもないと思います。
今回は恥ずかしいやら申し訳ないやら、いろいろな思いがめぐる失敗談でした。次回は最終回です。「学習目標で広がる授業のバリエーション」です。学習目標から授業の展開をいろいろ考えてみましょう。
執筆:望月雅美
さまざまな日本語教育機関でこれまで8~88歳の日本語クラスを担当。現在埼玉大学日本語教育センター非常勤講師兼諸々。著書に『日本語教師の7つ道具シリーズ1授業の作り方Q&A78編』(大森雅美名義、共著)『どう教える?日本語教育「読解・会話・作文・聴解」の授業』(共にアルク)などがある。音楽と笑いと自然を愛する3児の母。
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