今回の「日本語教師プロファイル」でご紹介するのは、愛知県星城大学留学生別科の講師林エミさんです。台湾での日本語教師デビューから現在に至るまでの歩みや、ご自身のキャリアに関する考えなどについてお話を伺いました。また所属機関で新しい教科書を導入した際の経験談は皆さんの参考になるのではないでしょうか。
日本語教師を目指しながら、中国語を専攻したわけは
――日本語教師を目指したきっかけを教えてください。
高校生の時に海外で働く女性のドキュメンタリー番組を見まして、その中に日本語教師の方がいたんです。それで「あ、これをやろう!」と思いました。進路指導の時間に担任の先生に日本語教師になりたいって言ったら、国語教師と誤解されて、じゃあ、教育学部だねと。その時は、あれ?日本語教師って国語の先生じゃない気がすると思ったんですけど。
――日本語教育や日本語教師がまだあまり認知されていない時代ですかね?
そうですね。1992年ごろの話です。なぜか私の担任が他のクラスの先生に私の進路希望について話したらしいのですが、偶然その先生の奥様が日本語教師だったんです。ラッキーなことに、先生の奥様に「日本語教師になりたい女子高生がいるなら会ってみたい」と言われ、お会いする機会をいただきました。その時にいただいたアドバイスが、日本語教師を雇う会社の人は日本語教育の知識や技術よりも外国語能力を重視する。だから語学力を身につけなさいというものでした。今の私なら、日本語教師になりたい高校生にそのアドバイスはしないと思いますが。
それで、外国語をやらなきゃと思って大学で中国語を専攻しました。ただ、副専攻で日本語教育の授業も取ることができました。一番初めの日本語教育の授業は日本語文法でした。それがあまりにも面白くて「日本語ってこんなにシステマティックなんだ!」と感動したのを覚えています。副専攻でしたが、結局専攻と同じぐらい日本語教育の授業も取りました。
台湾で日本語教師になる
――台湾に行かれたのはどうしてでしょうか。
偶然から始まったことなんです。大学で日本語教育の授業を受けていた時、隣に遅刻してきた学生が座りました。知らない学生でしたが、既に配られたプリントを見せてあげたり、ペアワークをしたりしたんです。授業が終わって、ランチに誘われたので、一緒に食事したとき、卒業後どうするの?って聞かれて。「日本語教師になりたいけど、職がないからどうしようかと思ってる」と答えたら、「私の友達が今、台湾で教えてるよ。確か、その学校、教育実習も受け入れてるって言ってたよ。連絡してみたら?」と言われたんです。
それで、ほいほい連絡して、4年生の時に教育実習という形で台湾へ行きました。しかも初めは、その友達の家に泊めてもらったんです。更にその後は受け入れ先の校長先生のお宅の空いていた部屋に。私はちゃんとホテルに泊まるつもりで行ったんですけど。
校長先生が私の授業を見て気に入ったのか、「大学を卒業したら来れば?」と言ってくださったので、「来ます!」と返事しました。それで台湾で教えることになったんです。こうやって思い返すと人生って偶然の重なりですよね。
台南の日本語学校で2年半ほど教えました。でも、これからどうしようかと考え、もう少し勉強したいと本気で思ったんです。帰国して大学院で学ぼうと決めていたんですが、中国語の勉強に行っていた台南の大学で偶然「第二言語としての中国語教育」の講演があることを知り、先生に頼んで私も聞かせてもらいました。講師の先生にいろいろ質問して答えていただいたんですが、「ところで、うちの大学院も外国人留学生を受け入れていますよ」と言われました。あ、そういう道もあるのか。でも私は日本語教師になりたいのであって、中国語教師になりたいわけじゃない。自分のキャリアのことを考えたら日本語教育を勉強しておいたほうがいい。と悩んだんですけど、結局その大学院で「第二言語としての中国語教育」について学ぶことにしました。講演で質問に答えてくれた先生が私の指導教官でした。
――中国語教育を学んだことは、日本語を教える際にプラスになりましたか。
はい、それはその通りです。言語学、第二言語習得理論は英語教育から学ぶことが多いですし、音声学なども共通しますので違和感はありませんでした。何よりノンネイティブ教師という立場で第二言語教育を研究したことは今の自分にとても役に立っていると思います。
台湾では大学院で勉強しながら、日本語教師も続け、7年ほど滞在したのち、日本に帰国しました。
非常勤講師、そして専任講師として日本語教育に関わる
――日本に帰国後はどうされましたか。
岐阜の大学の非常勤講師として日本語と中国語を教えました。それから日本語教師養成講座の講師もしました。この頃は日本語教師として生きていくためには何でもする!っていう感じでしたね。学習者のことより、自分の授業をいかにうまく回すかということばかり考えていました。
それから専門学校の専任講師になり、さらに主任にもなって、自分の授業以外のことを考えるようになりました。管理する立場になり、学校をうまく運営していくことに力を注ぐようになりました。
――その頃ですか?使用する教材を変えることを考えたのは?
それは2016年から2018年頃のことですね。私が所属していた学校も留学生がすごく増えて、教師不足が起こりました。私も採用に関わっていたのですが、未経験や経験の少ない方にも授業をお願いせざるを得ない状況でした。それで、新たに新人教師研修を行ったり、授業見学や教案サポートをしたりしました。そこで気が付いたのは、使用していた教科書は文型をそれなりに分析しなければ授業が成立しないということでした。学生から、〇〇先生の授業はわからないというクレームが来ることもあり、なんとかしなければと焦っていたと思います。この時は学習者の学びのことよりも、新人の先生でも負担なく教えられる教科書を使いたいと切実に思っていました。
もう一つは、以前に比べて非漢字圏の学生が増えたこともありました。初級の後半ぐらいになると伸びが止まってしまう人がいるんです。そうすると、私の学校では同じ教科書をまた戻ってやり直すことになっていたのですが、学習者によっては既に国でその教科書で学んできている場合もあるので、もう何回目?ということになってしまいます。それを避けたいという気持ちもありました。それで新たな初級のメインテキストとして、「できる日本語」シリーズを候補に選びました。
しかし、当時の所属機関ではメインの教科書を完全に切り替えることは難しくて、「できる日本語」の活動の部分だけを使ったり、中級へのブリッジ教材として使ったりしました。その後、現在の星城大学留学生別科に移ってからはメインテキストとして初めから『できる日本語』を使っています。
ただ、新しい教科書のコンセプトを完全に理解するのはなかなか難しく、使い方についてついSNSで愚痴ってしまったら、著者の嶋田先生から直接メールをいただいて、恐縮したことがあります。あの時は冷や汗ものでした。それまでの考え方にとらわれて、分かっていなかったんだなぁと思います。嶋田先生はわざわざお時間を取ってZOOMで話してくださいました。
これからやって行きたいことはキャリア教育
――林さんは地域日本語教育コーディネーターやキャリアコンサルタントの資格もお持ちなんですよね。
はい、地域日本語教育コーディネーターについては、岐阜県でモデル日本語事業というのが始まったときから関わっています。それまで留学生にしか教えてこなかったので、面白そう!と思いました。声をかけてもらうと、とりあえずやってみようと思う性格なんです。
そして担当したのが自分の故郷の隣町でした。自分の専門分野ではじめて地域に貢献できたというとおこがましいですが、町の人と関われることが嬉しかったです。この事業は町づくり推進課が行っていて、日本語教育が町づくりの一つという位置づけにあることを知り、勉強になりました。
キャリアコンサルタントについては、私がこれからやって行きたいことにも関係します。私は自分のキャリアを三つの時期に分けて考えています。初めが非常勤講師時代。とにかく自分の授業のことだけを考え、どうやったらうまく授業ができるかに注力していました。次が専任時代。先にもお話ししましたが、この時は、自分の授業だけではなく、学校の運営をうまく回すことについて考えていました。そして今、やっと学習者のことを中心に考えられるようになりました。一番関心があるのが学生のキャリア教育です。専任として責任のある立場で進路指導を担当した時から、進路選択は単なる学校選びではなく、人生を選ぶことだと考え始めました。どうしたら、学生たちに自分らしい人生を選択してもらえるのだろうと考え、準備日本語教育段階でもキャリア教育が必要なのではないかと思うようになりました。ちょうどキャリアコンサルタントの国家資格が始まったばかりで、試験に1回で合格すれば養成講座の学費が戻ってくる制度を利用することもできたので、受験して資格を取ったんです。
日本語教育機関での進路指導って、自分で志望校を決めなさい、決めたら手伝ってあげますよというところが多いと思いますが、学生はそもそもその選択肢を知らないので決められない。進路に関する意思決定の支援に必要な教材、授業、支援体制をしっかり考える必要があると思っています。これからは学生の進路選択を支えるだけでなく、これからの人生の見通しを考えることについてもサポートしていきたいと思っています。
日本語教師は様々な経験が役に立つ仕事
――これから日本語教師になりたい人や、経験が浅い人へのメッセージをお願いします。
そうですねぇ。現在は日本語教育といっても教える場が多様化しています。日本語学校、専門学校、大学だけでなく、地域の日本語教室もありますし、外国人学校や、就労者のための日本語教育もあります。オンラインだけで教えている日本語教師の方もいますしね。私自身は「外国語をやりなさい」なんて変なアドバイスもらっちゃったなぁーと思いましたが、外国語もそうですし、日本語教師以外の様々な経験がどんどん活かせる時代だと思います。ですからいろんなことが役に立つと思いながら日本語教育の勉強をするといいと思いますよ。楽しいですしね。
取材を終えて
林さんは日本語教育についての熱い思いが溢れている方で、お話は尽きませんでした。NoteやTwitterでもたくさん発信されています。林さんの生のお話が聞きたい方は、以前この「日本語教師プロファイル」でインタビューさせていただいた西隈俊哉さん、加須屋希さんとともになさっているYouTube「おきらく日本語教育」※もチェックしてみてください。
※「おきらく日本語教育」:西隈俊哉さん、林エミさん、加須屋希さんによるYouTubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCL0OInXN2heYv7GaTGjP3VA
取材・執筆:仲山淳子
流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。6年前よりフリーランス教師として活動。
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