2023年第1回の日本語教師プロファイルインタビューは仙台市在住の佐藤美樹さんです。佐藤さんは株式会社Coiki代表取締役であり、外国人就労者に日本語教育を行う八重ランゲージスクールの校長、さらに東北外国人研修センターのセンター長も務めていらっしゃいます。佐藤さんに仕事への思いやこれからの夢などについて伺いました。
日本語教育にたどり着くまでの紆余曲折
――日本語教育に興味を持ったきっかけはなんでしょうか。
そうですね。きっかけはいくつかあるのですが、最初はアメリカでの体験です。1998年から 2001年まで家族でアメリカのアラバマ州に滞在していました。子供が現地の学校や保育園に行っている間に大学でESLのクラスを取ったり教会に通ったりしていたのですが、日本人があまりいなくて珍しがられたこともあり、日本語を教えてほしいと言われたんですね。それで何人かにプライベートで日本語を教えたんですが、これは簡単にはいかないと思いました。日本語を教えることの難しさ、奥の深さに興味を持ったことが、一つのきっかけです。
帰国後、以前からやっていた子ども英会話の先生に戻ったんですが、やっぱり子ども英会話の肝は子どもを乗せることなので歌ったり、踊ったりしなければならない。で、これは60,70、80になってやれる仕事ではないと思ったとき、アメリカでの経験を思い出しました。日本語教師ならある程度年齢がいってもずっと教えられる仕事じゃないかと思いました。
帰国後子どもたちが日本の学校になじむことに時間を取られて、すぐには動けなかったのですが、知り合いから日本語学校で先生をやらないかという誘いをうけまして、それでまず420時間の養成講座に通い、その学校で教え始めました。ただ、その直後に震災があって、外国人がみんな帰ってしまいました。経営的に危うい状況が続き、私がそこに子ども英会話教室を作ったりしましたが、日本語学校の校長がいなくなってしまったんです。それで私の方でやりますと言って引き受けたのですが、ただの日本語教師で経営のことも分からない私に回せるわけがなかったんです。結局その学校は閉校になってしまいました。
その頃離婚したりして、やっぱりちゃんとした収入源が必要だと大手の英会話事業をやっている会社に入りました。
絶対に日本語教師をやろう!そして会社を作ろう!
――また英語教育に戻られたんですね。それからどうなさったんでしょうか。
その英会話スクールでマネージャー、英会話講師、カウンセラーの三役をやっていました。それまでインストラクターは地元雇用だったのですが、突然会社の方針でフィリピン人講師を大勢受け入れるということになりました。これが大問題で、受け入れ態勢ができないまま、どんどん入れてしまったので生活基盤を誰が整えるの?ということになりました。会社としてマニュアルがあるわけでもなく、各マネージャー任せでした。私はほっとけない性格なので、彼女たちの住む部屋から買い物、通勤定期の買い方までサポートを全部やりました。ちょうど政府のほうで特定技能の指針ができた頃でしたが、外国人の方が日本で暮らすというのは本当に大変なことなのだということを目の当たりにしました。その時、異国で暮らす方々の何かお世話をしたいと自分のアンテナがピッと張られたんですね。
その会社では睡眠時間4時間ぐらいでぼろぼろになるまで働いて、ちょっとこれはもたないなぁと。そして会社にインストラクターの処遇改善や人員確保等について申し立てても大手なのでなかなか上まで通らない。自分が理想とすることと徐々に食い違い、もやもやが募っていきました。
自分が理想とする会社を作って、理想とする仲間と一緒に、何か社会に貢献できる仕事を死ぬまでやっていきたいと思った時、その会社を辞める選択肢しかありませんでした。
自分で日本語学校を作ろう。日本語学校でなくても外国人の方に日本に来たいと思ってもらえるような仕事をしたいという思いが大きくなりました。それにはまず現在の日本語教育はどうなっているのか、日本語教育から離れて6年ぐらいたっていましたから、それを把握するためにある日本語学校に非常勤講師として入りました。そうしたら、そこがまた大変なところで、まず先生たちが生き生きしていないんです。職場環境もあまりよくなかった。しかし、その学校での留学生との出会いによって、そういう人たちのために何かをしたいという思いが強烈に固まりました。その留学生の一人は一度技能実習生として日本に来て差別的な扱いをされ帰国したんだけれど、やっぱり日本が好きだということで戻ってきて、今度はしっかり勉強して大学に行きたいというんです。それで私はせっかく夢を持ってきた人たちが、がっかりして帰るような環境ではいけないと強く思ったんです。
三方よしの経営を
――それで学校を作る決心をされるんですね。
はい。それを考えたら私は教壇で教えている場合じゃない。会社を作らないと、と思いました。その時52歳ぐらいでしたが、いまやらないと後がないと思い2019年3月に起業しました。一番強かった思いは技能実習生を助けたいということと実習生の職場環境を変えたいということです。
外国人技能実習生を受け入れた経営者側も、受け入れたもののどう対応したらよいか分からないとか、社内で技能実習生指導員という立場になった方が上司との板挟みになってノイローゼになった等という話も聞きました。その方々も外国人材を育成するなんて経験はないわけですから。ましてや外国人の方も建設現場で外国人と触れ合ったこともないような人たちの中にポンと入れられてお互いに大変という話を伝え聞くようになりました。私は両者が良好な関係を持ってもらえるような仕事をしていきたい。あとは日本語教師の待遇もよくしたい。日本語教師が夢を持てるような、次のステージにいけるような日本語学校を作りたい。私の理想は、結局、三方よしの経営をしたいということだったんです。
学習者にとってもいい、日本語教師にとってもいい、技能実習生の会社の経営者、日本人社員にとってもいい。そういう三方よしのビジネスを日本語を通してやって行こうという気持ちで今まで来ています。
日本語研修から教材開発、国際交流イベントまで
――現在の活動について教えていただけますか。
はい、株式会社Coikiという会社を作りまして、八重ランゲージスクールという日本語学校を運営しています。こちらの学習者は100%就労者で、企業に研修に赴いたり、オンラインで授業を行ったりしています。また東北外国人研修センターのセンター長も請け負っていて、技能実習生の入国後講習を行うとともに、寮母の役目も務めています。ここでは日本語教育だけでなく生活指導も行っています。ゴミの出し方など。それから「入門・やさしい日本語」認定講師として技能実習生の受け入れ企業などに対して、お互いにコミュニケーションを取ってもらうため「やさしい日本語」研修も実施しています。「やさしい日本語」の講座は介護施設や、PTA、市民講座でも行っていますね。
――教材開発もなさっているとか。
はい。技能実習生は入国後約半年で技能評価試験を受けなければならないんですが、これが大変で。2回不合格だと帰国しなければなりません。それで受け入れ企業から建設機械施工評価試験対策の授業をやってほしいということになり、それを行ったら受講生が合格しました。似たような依頼もあったので、じゃあ、テキストを作っちゃおうということで、それから実際に工事現場に行って聞き取り調査を始めました。苦労したところは「やさしい日本語」にするにしても取捨選択が必要だということですね。ここはそのまま専門用語を使うべきというところもあるので。有難いことに毎回授業に参加してくださる日本人社員の方がいて、確認しながら授業ができました。その集大成としてできたのが、この「建設機械施工技能検定対策テキスト」です。命を守るために確実な知識を身につけてくださいというメッセージをテキストには載せています。他国の大事なお子さんを預かるわけですから無事に怪我無く帰さないといけない、その思いのもと、私たち日本語教師3人で作った教科書です。
それから、音声無しの「現場の安全」というDVDがあったのですが、それに「やさしい日本語」で解説をつけたものも作りました。
他に「語らいカード」と言って、「やさしい日本語」のワークショップが楽しくできるようなカードも開発、販売しています。難しい漢語やカタカナ語の言い換えを、「やさしい日本語」で説明するものですが、ゲーム感覚でできるようになっています。
その他に地域の住民の方と技能実習生が交流できるイベントなんかも行っています。
夢は日本にとどまらず、地球のために
――これからやっていきたいことを教えて欲しいのですが。
実は夢があるんですよ。ここでお話しするべきかどうか迷ったんですが、まず口に出して言わないことには何事もはじまらないので、お話します。
技能実習制度は危うさもある制度なので、私自身、諸手をあげて賛成しているわけではありません。
ですから確実に日本に来たいという方をしっかり教育し、地球のためになる仕事を一緒にしていきたいと思ったんです。日本のためだけじゃなくて地球のためを考えたとき、それは林業です。林業の学校を作りたいと思っているんです。
今、外国人材の活躍の場は限られています。技能実習制度に林業はありません。どうしてかというと労災が一番多いからです。一方、日本では林業のなり手が本当にいなくて里山も荒れています。学校で日本語と林業の確かな知識を学んでもらえば労災も防げると思いますし、外国の若い方の待遇も日本人と同じで働いてもらうような形を作れないかと思っています。日本に来るけれども地球のために力を貸してもらえる仕事です。
例えばラオスは林業が盛んな国です。ラオスから来た外国人が日本の技術を持ち帰って、ラオスの林業が発展することも夢として描いています。
――これから日本語教師になりたい人に何か一言お願いします。
この仕事は愛とサービス精神がないとやっていけません。常に学習者と向き合って、学習者が活躍するステージ、学習者が生きている世界を意識しながら、対応することですね。これは自分に向けての戒めとしてもお話しています。
――今日は新年にふさわしい夢のあるお話をありがとうございました。
取材を終えて
せっかく日本に来てくれた人たちのために何かをしたいという思いがひしひしと感じられるパワフルなインタビューでした。夢の実現にむけて協力してくださる方も増えているそうです。日本語教師も教室内の小さな出来事だけでなく、広い視野を持つべきだということを感じさせていただきました。
八重ランゲージスクール:https://coiki.co/
取材・執筆:仲山淳子
流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。5年前よりフリーランス教師として活動。
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