これから日本語教師になりたいと考えている人に「日本語学校で働く日本語教師のリアル」をお伝えするシリーズ。第2回インタビューのために訪問したのは、ホームに降りると「鉄腕アトム」のメロディが流れるJR高田馬場駅から徒歩5分、千駄ヶ谷日本語学校です。専任講師の小山絢先生にお話を伺いました。
セブ島でひらめいた、日本語教師という仕事
-小山先生が日本語教師になりたいと思ったきっかけはどんなことだったんですか。
日本語教師になる前は会社員をしていました。もともと農学系大学の出身で、環境に関心があったのでその関連の会社で9年ほど働いていました。でも、ずっとこの仕事を続けていくのかという漠然とした悩みがあって、思い切って仕事をやめてしまったんです。
-日本語教師になるためにではなく、先に退職されたんですね。
はい、そのときはとにかく「少し休もう」と思っていて、数カ月ぐらい旅行したりいろいろな人に会ったりしていました。「日本語教師」という仕事をいつから意識し始めたのか、ちょっと覚えていないんですが、頭の中に何かイメージがあったんだと思います。セブ島に遊びに行ったときに日本語教師をしている人に出会って、「私、日本語教師にとても興味があるんです!ぜひいろいろ教えてください」と言ったことは覚えています。その方のお話を聞いて、「日本語教師」という仕事がとても具体的になりました
-ひらめいたというか、「これだ!」と感じるものがあったんでしょうね。
はい、帰国して3週間後には当たり前のように日本語教師養成講座のクラスに座ってましたから。それが千駄ヶ谷日本語教育研究所の養成講座で、1年間会社員として働きながら、毎週土曜日は養成講座に通っていました。その後、運よくこちらで専任講師の募集があったので応募して採用が決まりました。こちらに応募したのは、学校の雰囲気や基本的な教え方はどうか、ということなどがわかっていたのも大きかったです。
-では、最初から専任講師でスタートしたんですね。
はい。コロナ前で学生数も多く担当授業も多かったので、最初の頃はやはり大変でした。
日本語教師生活初日の失敗
-働き始めたころ、学校からのサポートはありましたか。
実際に授業を持つ前に1、2週間の座学と実習授業の研修期間がありました。座学はこの学校のことや専任教師として知っておくべきことなどの説明で、実習は事前に教案を見せてチェックを受け、授業が終わった後アドバイスをいただきました。実際の学生を前に実習ができたことで、安心して研修後の授業に臨むことができました。最初の研修が終わってからも、定期的に授業の進め方について話し合う勉強会があります。困ったことがあっても他の先生たちに質問できましたし、上下関係なく授業や学生のことについていつでも話し合える雰囲気があるのは本当にありがたいです。
-手厚いサポートの下で日本語教師としてスタートされたということですね。最初の頃の授業で印象に残っていることはありますか。
実は一番初めの授業で失敗してしまったんです。新入生の初級の授業で、机の上に置く名札を書かせるために油性ペンを持っていったんですが、うっかりそれでホワイトボートに「こやま」と書いてしまって……。私も初日で緊張していたので「消えません」と焦っていたら、日本語の勉強を始めたばかりの学生たちなのにいろいろとどうやって消したらいいのかなんとか伝えようとしてくれるんです。最後には「アルコールがいい」ということになって、学生課までアルコールを取りに行ってくれました。日本語が話せなくてもこんなにやってくれるんだと、感動しました。初回の授業で学生と一体感が生まれた瞬間でした。
元気が必要な仕事
-現在の1日のスケジュールはどのようになっていますか。
だいたい8時半ごろ出勤します。担当している授業は午前クラスで、1日2~5コマあります。午前8時50分に授業が始まって午後1時まで続きます。その後、担任しているクラスの学生と毎日一人ずつ30分程度の個人面談をしています。お昼の休憩の後は次の日の授業準備、テストの採点や作成、担任しているクラスの授業スケジュールを作るなどをしているとあっという間に夕方になっています。定時は5時50分で、早ければ6時半には学校を出ますが、8時ごろまで残業をすることもあります。
-教え始めたころに比べて、残業時間は減っていますか。
授業の準備って、こだわり出したらきりがないんですよね。最初の頃はどうしても準備に時間をかけすぎてしまって、これでは体がもたないなと感じていました。それに、時間をかけたから学生によく伝わるかというとそうでもなくて、だんだんと準備の時間に区切りをつけなくちゃいけないと考えるようになっていました。そんなときにコロナで授業が減ったり、在宅勤務になったりして体力的にとても楽になって。ということは以前のように残業をしていては続けられないということがわかったんです。それで、コロナが落ち着いてきて元に戻っても、準備にどのぐらい時間をかけるか決めてできるだけ効率を考えて授業準備をするように心がけるようになりました。とにかく元気が必要な仕事ですから。
-準備のための時間のかけ方と学生への伝わりやすさのバランスを考えるようになったということですね。
遠い将来よりも毎日の授業を
-日本語教師になってよかったと、やりがいを感じるのはどんなときですか。
やはり学生の成長をそばで見ていけるということがやりがいですね。日本語ももちろんですが、コミュニケーションが苦手だった学生がいろいろな人と話せるようになったり、生活リズムが乱れていた人がきちんと自分で管理できるようになったりしたところを見るのが一番うれしいです。それから一緒に受験を乗り越えたときですね。進路指導って、最初の面談があって、希望に合う大学を調べて、面接の練習をして、学生と教師が一緒になって進めることが多いです。だから、希望の学校に合格したときは「よかったね!」と叫びたいほどうれしいです。卒業してしばらくしてから遊びに来て、一段と成長した姿を見せてくれる学生もいます。日本語学校というのは目標のための通過点なので、その先で輝いている姿が見られると「ああ、日本語教師になってよかったな」と思います。
-日本語教師として、これからの希望や目標はありますか。
とにかく毎日学生に楽しいと思ってもらえる授業を一つ一つやっていきたいです。それから、できるだけ長く続けたいので、無理をしないこと。学生と毎日元気に接するために、自分自身が元気でいたいと思います。
-学生さんも、教室に行けばいつも変わらず元気な先生に会えることで、きっと安心して日本の生活を送れているんだと思います。
千駄ヶ谷日本語学校
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