公立学校で日本語支援を必要とする児童・生徒の数は5万人を超えると言われていますが、その取り組みは自治体によって違いがあります。今回ご紹介する五十嵐雪子さんは東京都墨田区の「すみだ国際学習センター」*1において中学生に日本語指導をされています。初めから成人の学習者より子どもへの支援を考えて日本語教師になったとおっしゃる五十嵐さんに現在の活動や今後についてお話を伺いました。
今いる社会に適応できない子どもたちを知って
――日本語教師としての経歴を教えていただけますか。
もともと大学では国際法を専攻していて、大学生らしい正義感で世の中の役に立つ仕事をしたいという気持ちを持っていました。民間企業に就職後、縁があってイタリアに1年間留学する機会を得ました。今の仕事につながる大きなきっかけとしてはイタリアから帰国後、来日した日系ブラジル人の子どもが社会に適応していくのが大変だというNHKの番組を見たことです。イタリアにいた時に移民政策を目にしたことがあり、それが決してうまくいっていなかったので、日本もこうなるのではないかと思ったんです。親の世代はうまく適応できても、連れてこられた子どもは適応できず貧困層から抜け出せないという状況を見ました。そういう子どもをサポートするには、やはり言葉だろう、これをやりたい!と思いました。
働きながら日本語教師養成講座に通い、日本語教育能力検定試験にも合格しました。しかし今から20年近く前、日本語教育業界は氷河期で養成講座を出てもあまり仕事がなく、ましてや子ども対象の仕事は全然見つかりませんでした。それでまず日本語教師としてのスキルを磨くために日本語学校で大人の学習者を対象に日本語を教え始めました。そうした頃、偶然にも家族の都合でまたイタリアに住むことになり、トリノの日本人補習校に関わることができました。ここでは算数と国語を教えました。その時に関わった子どもは皆、「イタリアになんか来たくなかった。帰りたい!」と言うんです。インターナショナルスクールに通っているけれど英語もわからない、イタリア語なんかもっと分からないという状況の子どもたちに勉強を教えるという体験をしました。その中で印象に残っているのは4年生の子です。その子は算数が苦手で、大嫌いでしたが、一緒にやっているうちにだんだん分かるようになり、自分の学校で周りから褒められたそうです。それで「算数が楽しい!」と。こういう子どもたちが達成感を得て、自己実現していくには「できる」という自信が必要だろうと改めて思いました。それで子どもに関わる仕事を諦めずに探していこうと思いました。
すみだ国際学習センター
――日本に帰ってからはどうされましたか。
本当は子どもへの日本語教育を仕事としてやりたかったんですが、やはり見つからなくて、日本語学校でまた教え始めました。子どもに関することはボランティアでもいいかと思っているときに、ちょうど「すみだ国際学習センター」が第1期の有償ボランティアを募集していることを知り、応募して採用されたんです。2014年の夏ですね。次の年の4月からは区の非常勤職員(現在は会計年度職員)という立場で関わるようになり、現在に至っています。
――「すみだ国際学習センター」について教えて頂けますか。
ここの特徴は、墨田区教育委員会指導室所管で、日本語の指導が行われていることと、生徒のいる学校に指導者が赴くのではなく、生徒が授業時間内に自分の在籍する学校からこのセンターにやってきて日本語の指導を受けることだと思います。
運営担当、中学校担当、小学校担当の3名の職員と10人~15人の有償ボランティアの方で指導を行っています。私は中学校担当です。本来、このセンターは中学生のための日本語指導をする場所なのですが、教室が錦糸小学校にあるため、錦糸小学校の小学生だけはここで日本語指導を受けています。有償ボランティアの方々は、日本語教師の資格を持っているかたがほとんどで、日本語学校と掛け持ちで指導をなさっている方もいます。
――生徒が授業時間内に自分の学校を出て、通ってくるというのは珍しいですね。
そうですね。墨田区は比較的区が小さいので可能ということもあるかもしれません。近い学校なら徒歩10分で来られますし。授業は1回70分で主に1対1の対面形式で行われます。できるだけ体育などの実技の時間とバッティングしないような時間割にし、給食や掃除の時間は自分の在籍する学校に帰ります。内容は初期日本語指導なので来日当初は毎日通ってもらいますが、だんだんできるようになれば通室が週2回、3回になることもあります。
――ここでの五十嵐さんのお仕事はどういったものでしょう。
実際の指導の他にコースデザイン、時間割の作成、有償ボランティアの方々のスキルアップのための勉強会の企画など。そして生徒が在籍する中学校に対して通室報告書を作成しています。また一人の生徒につき、最低でも年2回ほど学校を訪問し、担任の先生と会ってお話をしています。
日本語という教科を学ぶ楽しさを与え続ける
――指導をしていく上で難しい点はありますか。
通ってくる生徒たちは、大人の留学生とは違って、自分の意志で日本に来たわけではないことです。中には夏休みの間だけと思って、来日した子もいるんです。それが日本に住み続けることになってしまった。中学生なので思春期ですし、反抗期でもある。
ですから日本で生活するために日本語を身につけましょうと言っても、それはモチベーションにはなりません。であれば、日本語を一つの教科として割り切って勉強させることが必要だと思っています。どういうことかというと、私たちが中学高校で数学や化学を勉強したとき、生活に必要だったかというとそうではなく、教科だから仕方なく勉強したわけです。でもその先生の授業が面白ければ勉強も楽しくなった。日本語の授業が面白ければ彼らも勉強してくれるし、分かるようになって褒められれば達成感を得られて続けられると思っているんです。
もう一つは、授業時間内に行う日本語指導なので、生活支援のためのボランティア教室とは違うということです。パーティーをやったり、生活支援したりということをやりたくなるのですが、あくまでも日本語の勉強ということで、だからこそ教科としての面白さを追求していかなければならないと思っています。有償ボランティアの方々にもその点を理解してもらい、スキルアップのための勉強会や会議を実施しています。
――中学生になってからの日本語学習は難しいのではないかと思うのですが。
言葉の面では、母語で論理的な思考ができる年代になっているため、ダブルリミテッド*2にならずに済みます。これはメリットと言えます。ただ気持ちの面でのデメリットが大きいのです。前にも言いましたが思春期なので。また、生活言語と学習言語は違うので、母語でその言葉を聞いても理解できないということもあり、日本語で概念も一緒に作っていかなければならないという難しさはあります。
この仕事をするには想像力が大事
――これからやっていきたいことはありますか。
まずは今の形を維持していきたいです。
また中学生という特殊な状況で、教科としての日本語を面白く教えていこうという考えを持っている方と連携したいと思っています。子どもの日本語というとどうしても生活支援という方になり教科としての日本語を考えようという方はなかなかいらっしゃらないので。ただ、私たちの取り組みに興味を持ってくださって、視察、見学に訪れる方もいらっしゃるので、横の連携をしていきたいと思います。
――子どもへの日本語教育をやってみたいと考えている方々にアドバイスがあればお願いします。
自分自身がいろいろな経験をしておくのはとても大事だと思います。それによって相手に対する想像力をうまく働かせることができるようになるんですよね。私自身もイタリアに行って、全く縁のない言語を一から勉強しなきゃいけない大変さを体感できたし、外国に連れて来られて、嫌だ嫌だと言っている子どもたちにも会えた。そんな経験がいきていることを実感しています。それから、日本語学校などで、語彙調整や文法項目についてよく研究し、たくさん教壇に立つ経験を積むことで、様々な学習者を引き付ける授業スキルを身に着けることも役に立つと思っています。
取材を終えて
外国ルーツの子どもへの日本語支援に興味を持っている日本語教師は多いと思います。私もその一人です。ただ、これまでボランティアが中心で、仕事として捉えるのは難しい面もありました。五十嵐さんのように区の職員として日本語教育に関わる例が成功することにより、その道も広がっていくのではないかと期待します。五十嵐さんは、そのためには自分たちが日本語教育のプロ集団だという意識を持つことも必要だとおっしゃっていました。
取材・執筆:仲山淳子
流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。5年前よりフリーランス教師として活動。
*1:すみだ国際学習センター(帰国・外国人等児童・生徒学習支援教室):墨田区立中学校に編入してきた中学生のうち、日本語で日常会話が十分にできない生徒及び日常会話ができても学年相当の学習言語が不足し、学習活動への参加に支障が生じている生徒への日本語指導を行うため平成19年9月に墨田区教育委員会が開設。
*2:自分の母語と暮らしている場所の(母語以外の)言語のどちらも年相応に発達しておらず、抽象的な思考が十分にできない状態。
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