多くの日本語学校は2020年の3月ぐらいから、コロナ禍のために授業のオンライン化への対応を余儀なくされました。そんな中、5年前から学校のオンライン化を積極的に進め、今回のコロナ禍にあってもさまざまな工夫をこらして、柔軟にオンライン教育を展開しているのが新宿区・大久保にあるカイ日本語スクールです。カイ日本語スクールのこれまでのオンライン化への取り組みと教育実践について、校長の山本弘子先生と担当の内藤夕子先生、吉田幸世先生、大鷲那緒先生からお話をうかがいました。
危機の時こそ新しいことに取り組むチャンス
――カイ日本語スクールがオンライン教育に本格的に取り組み始めたきっかけは何だったんですか。
2011年の東日本大震災です。あの時は震災がきっかけで学生が半減し、加えて原発の問題がありました。この先果たして留学生が再び日本に来てくれるようになるかどうかも分からないという深刻な状況でした。教室という現場だけで考えていたのでは学生の日本語学習も、教師の生活もままならないという、まさに日本語学校としての存続基盤が大きく揺らぐ中で、オンライン教育に舵を切ったのです。
――具体的にはどのようなことから始めたのですか。
2012年に開始した教育のICT化を促進するという大方針の下、全教室にプロジェクタを配備し、エンジニアも採用しました。教務面ではオリジナル教材のデジタル化から着手し、2015年のiPadの全面導入後には、LMSを使って宿題や成績などの管理、クラス単位でのコミュニケーションもできるようにしました。震災後、完全に回復していない財政状況の中、学生用のiPadのリース契約や講師のiPad購入補助など、大幅な赤字前提で思い切って始めましたが、正直、苦しかったです。
――現在コロナ禍で多くの日本語学校がいろいろと苦労しているオンライン化に、既に随分前から取り組んでいたんですね。対応される先生方の反応はいかがでしたでしょうか。
2012年当時はまだ、プロジェクタも数台で授業はアナログが中心でしたから、パワーポイントやキーノートなどのプレゼン用のアプリを使ったことがないという教師もたくさんいました。そのため教師向けの研修を繰り返し行ったのですが、ICT化については前向きな教師とそうでない教師とがいましたね。
――ICT化を受け入れにくい教師がいることはよく分かります。そういう人たちをどのようにして説得したのですか。
反対の原因の多くは不安から来る恐れなので、まずは、教務が事前にマニュアルや研修などのサポートをして、教師たちの不安を取り除く努力をしました。また、ICTを活用すると便利なこと、これまでできなかったことが実現できたりするので、積極的にやり始めた同僚教師たちの事例を聞いて自分も試してみて、それが成功体験となって心配が薄れ、やる気が出る、という感じでしょうか。今ではデジタル環境がなければ困ると言っている教師のほうが多いですし、教師採用の面接でも「カイに来ればICT活用の授業ができる」と志望動機に挙げる人が増えています。教科書のPDF化から始まった教材のデジタル化への第一歩も、今では動画を組み込んだり、アプリと連携したりして、電子教科書といえるレベルに近づいたと思います。
――積極的にICTに取り組んでいるということが業界内でも評判になってきたわけですね。
ハイブリッド授業の課題を乗り切る工夫
――今年の3月ぐらいから全国の日本語学校はどこも大変な対応を迫られているわけですが、カイ日本語スクールではどのように対応されていますか。
3月に入ってすぐに授業はハイブリッド型(通学・オンラインを学生が選べるよう)にしました。でも、通学での感染の危険性をあまり気にしない学生たちもいましたし、通学せずに家からオンラインで授業に参加している学生の中には、教室の外にいることへの疎外感を持つ人もいて、結局通学を選ぶ学生が増えるという逆転現象も起こりました。
――学習環境が異なる学習者が一つの授業を受けることの難しさですね。そのようなハイブリッド授業の課題はどのようにして解決したのですか。
結局、4月からは学校を完全閉鎖にして、すべてオンラインに移行しました。そうすると今度は、学生たちの不安に加え、オンラインで授業する教師が、対面と同じクオリティの授業を提供できるのかということをプレッシャーに感じ始めたこともあり、一律に授業料の一部を学生に返金することで教師と学生の両方のプレッシャーを下げるようにしました。正直、私たちにとっても初めてのことで、どうなるか不安でしたし。
――いろいろと苦慮されて対応されてきたのですね。ハイブリッド授業の大変さについて、具体的に教えていただけますか。
教師が対面とオンラインのどちらの学生に合わせて話をすればいいのかが分からないということですね。一人でも対面の学生がいればハイブリッド形式になってしまいます。そうすると、教師の注意は分散しますし、授業準備もペアワークも宿題の回収も、対面とオンラインで2倍の手間がかかってしまうんですね。ですので、オンラインならオンラインだけ、対面なら対面だけのほうがすっきりして、授業はやりやすいんです。
――先生の手間が大変なのは想像がつきますね。
それでも日本語の先生は、「オンラインの学生も放っておけない」「オンラインの学生にも対面と同じクオリティを提供したい」とがんばってくれて、大変になってしまうんですね。ただ、今後は対面授業に戻しても、ハイブリッドは前提にならざるを得ないとも思っています。
オンラインのメリットを最大化するためにできることを考える
――現在のコロナ禍がいつまで続くのか分からない中で、日本語学校にはこれからも状況に応じたさまざまな対応が求められると思います。
カイ日本語スクールでは完全オンラインのコースも立ち上げました。学生が日本に入国できないのであれば、入国できなくても日本語が学習できる環境を提供していかなければならないと思っています。どんな状況であっても学生が学習を継続できるように、我々はできることを考えていくしかありません。
――オンライン教育の現在の課題は何でしょうか。
ハイブリッド型で授業を行う場合の教室環境の整備、オンライン上での音質や画像、学生のネット環境などの物理的な問題から、オンライン授業を行う日本語教師の働き方まで、課題は山積しています。特に、出席の再定義は必要です。オンラインで出席をどう考えるか。4時間の授業を全てオンラインのライブ授業をすべきか、あるいは課題提出で出席とするか、など、うちでも試行錯誤中です。でも面白い結果も出ています。
――と言いますと?
こういう厳しい状況の下でも日本語学習を続けている熱心な学生が多いということはあるにせよ、実はオンラインに移行しても学生の成績は落ちずに、むしろ上がっているものも多くあります。まだ1学期の比較だけですが、出席率は5%上がり、成績も通常授業以上の結果が出ています。アンケート結果の満足度も高く、現場の対応や短期間での教師たちの努力に感謝する学生の声が多く寄せられて、ほっとしています。
――本当ですか! それは明るいニュースですね。
同じ時期での学生の比較では、唯一、聴解力だけは例年を下回っていますが、それ以外の日本語力はすべて例年を上回っています。
――聴解力は学校の授業だけではなく、日常生活での日本語のインプット量に大きく左右されますからね。
そうですね。評価方法も含めまだ始めたばかりなので、聴解だけでなく他の能力もこれから先、どのような変化があるかはまだわかりません。でも、コロナの影響が続きそうな現状では、オンラインでできることは何なのか、どうすれば学生のメリットを高められるのかを考えるしかないと思っています。例えば学生には4月当初から授業動画の配信などもしていますが、これもオンラインだからこそできることです。逆に、対面授業の機会は非常に貴重なものになりますので、対面でしかできないこと・やるべきことは何なのかを考えるいい機会にもなりますね。
――厳しい状況の中でもさまざまな工夫をされて成果に結びつけている様子がよく分かりました。本日はありがとうございました。
カイ日本語スクール
「イノベーションをキーワードに、学生の自己実現をサポートする」を理念に掲げ、1987年(33年前)に新宿区大久保に創設された日本語学校。世界から40カ国以上の学生が集う教室は、いつ訪れても活気と笑顔にあふれている。総合コース、実用コースなどの多様な日本語コースを展開する一方、教師養成、教材開発、研究活動などさまざまな教育活動に積極的に取り組んでいる。
http://www.kaij.jp/
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