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未来に生きる日本語教材

皆さんは、「日本語の教材」というと、どんなものをイメージしますか?文法解説書?長文読解集?単語帳......? 世の中には、工夫を凝らした教材が数え切れないほどありますよね。しかし、「教育の目標を達成するために、さまざまな文化の中から、選ばれたり新しくつくりかえられたりしてできた素材」(世界大百科事典 第2版)を教材とするならば、教室の中だけで使う市販のテキストやドリルがすべてとは限りません。もっと自由な発想で、もっと広い視野で、「教材」の可能性を探ってみませんか? 今回は、哲学やアートのように、日本語教育を通じて「人間」そのものを探求している松島調さんに、お話を伺いました。

和綴じポートフォリオは 「学び」を支える一生モノの教材

ー 松島先生の授業では、卒業後、年月が経つにつれて価値が高まる「教材」を、学習者が自分の手で作ると聞きました。

和綴じポートフォリオのことですね。私が担当する日本語のクラスでは、最終回に、日本古来の製本方法で、それまでの学習成果を1冊にまとめるのが恒例なのです。教室の中で単語や文型を覚える類の「教材」ではなくて、その後の人生において、自分の学びを振り返るための「教材」と申しましょうか。

具体的には、どのようなものを綴じるのですか?

授業で取り組んだプリントやレポート、テスト、日記、写真などを、思い思いにまとめます。

ー これほど素敵な本に仕上がるのなら、日頃の学習にも精が出ることでしょう!

悲喜こもごもの思い出が詰まっていますから、最後は、みんな感慨深げに縫い上げていますね。

ー 卒業した後も、事あるごとに開きたくなりそうです。

そうあってほしいと強く思います。「学び」とは教室の中だけで完結するものではありません。時と場所が変わっても、分野が違っても、その人の中では、すべてつながっていく。人生を織りなす糸のようなものです。

5年後、10年後、20年後に「あの頃の自分は何を考えて日本に留学したのだろう」「あの頃と比べて、今の自分はどのくらい成長しただろう」と、折々に自分と向き合える教材があれば、それは生涯にわたる学びの支えになるのではないでしょうか。何年も経った後に、学んできたことの意味に気がつくことも多々ありますから。

ー お話を聞いていて、「教材」に対する固定観念が崩れてきました。頭をひねりながら書いた、たどたどしい文章さえも、決して無駄にはならないのですね。

過去の定点から現在の自分にいたるまでのプロセスを見つめる行為は、現在から未来への志向につながります。

「生活綴方教育」*1をご存知でしょうか。語句や文法の間違いがない「整った日本語」を目指すのではなく、日常の中で感じたことを、ありのまま自由に書くことを推奨する作文教育です。

私自身、通っていた小学校で「生活綴方教育」が行われていたため、8歳の頃から日記をつけてきました。自分が感じたこと、考えたことに対して先生がコメントしてくれるのが嬉しくて、熱心に書いていましたね。書斎の本棚には、きちんと製本された日記がすぐ手に取れるところに並べてあり、数年に1回は読み返します。和綴じポートフォリオも、原点は、この日記です。

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あらゆる文化活動は
自分そして他者との対話

ー 和綴じポートフォリオはどれ一つ取っても同じデザインがなく、多種多様な個性が伝わってきます。「どうしてその柄を選んだの?」「とても素敵な組み合わせだね」など、学習者どうしの会話も弾みそうです。

まさに、それがねらいです。学習者は、多種多様な和紙と糸の中から、自分の好みの色や模様を選びます。綴じ方にも実にさまざまな種類があり、人それぞれコーディネートのパターンは無限大です。手を動かしながら、自分とじっくり向き合う時間。他者と語り合って共有する時間。その両方をバランスよく組み合わせて、学びや気づきが生まれるように、授業を設計しています。

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ー 和綴じの方法やマニアックな用語を教えるのが目的ではないという事ですね。

その通りです。知識や技術のインストールは Skill Training(技能訓練)であって、Education(人間陶冶)ではありません。私は、それぞれをまったく別物として考えています。文化活動は、自己や他者の内面に思考をめぐらせる行為。How toを教えるような類のものではないのです。

教師としては、和綴じを通して、伝えたいこと・聞きたいことが学習者から色々と出てくるような仕掛けづくりに徹しています。

ー ご自身は、いつ、どのように和綴じと出会ったのですか?

和綴じとの出会いは、私が日本語教師をめざす前まで遡ります。2006年夏、早稲田大学で、学芸員の資格が取れる社会人向けの集中講座を受講したのです。朝から晩までぎっしり授業が詰まったアツイ講座で、頭の中が思いっきり撹拌され、生まれて初めて何かを学んだ手応えを感じました。その最終盤に、大量のレジュメを和綴じで一冊に縫い上げる実習があったのです。

ー 感慨の深さが伝わってきます。

そのとき和綴じを教わったのが、内藤勝雄先生です。内藤先生との出会いがなければ、現在の私はいません。学びとは何か。教えるとはどういうことか。常に真剣に考えておられる内藤先生の背中を追って、講座修了後も、先生が定年退職されるまで7年間、TAおよびTA統括として師事しました。2008年からは先生のもと茶廼会という茶道教室も運営しています。

ー 教室を出ても、学びはずっと続いていくものなのですね。

「ここからここまでが日本語教育」という枠はない。

ー ほかにも、蒔絵、百人一首、合気道、音楽、映画、語学、旅行など.......一体どのように時間をやりくりしているのか不思議なほど、たくさんのことを楽しんでいらっしゃいますね!

正直、1日24時間では足りませんね。やりたいことも知りたいことも多すぎて、寝るのが惜しいくらい。お願いですから、誰か、私をもう一人ください(笑)。私の中には「ここからここまでが日本語教育」という枠がないのです。日ごろから、他の色々な分野にも関心を持っています。

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ー あらゆる文化を通して、自己や他者への理解を深める。そのプロセスの中で、言葉が生まれ、対話が始まる。どんな分野でも、新しい「学び」や「気づき」は生み出せるのですね。

そう。人は言葉によって思考し、他者と対話をしながら社会を作っていく存在です。ですから、人間を中心に考えれば、対象が何であれ、自分なりの視点・切り口で、学びを創出することは、いくらでもできます。人間の可能性は無限大ですから!

ー アートを描くときのように、規範にとらわれない自由な発想力があれば、まだまだ新しい教材や授業デザインが生まれてきそうですね。本日は貴重なお話を大変にありがとうございました!

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松島調(まつしま・なり)

東京女子大学文理学部哲学科卒業。2006年「早稲田大学文学部学芸員課程夏期集中講座」を修了。2007年、早稲田大学大学院社会科学研究科(博士課程中退)にて『世界市民における平和ーカントを中心にして』をテーマに研究。人間と社会について考察を深める中、思考を司る言語の教育に関心が及び、2009年より日本語教師の道に進む。2012年、早稲田大学大学院日本語教育研究科にて『世界市民における日本語教育ー思考と公共性を手がかりに』というテーマで研究。外資系IT企業勤務を経て、現在は、早稲田大学や東京電機大学など複数の大学・大学院で非常勤講師を務めながら、異分野横断的に探究を続けている。一般社団法人日本語教育支援協会(JaLESA)代表理事。web会議システムを用いてことばを学ぶコミュニティー「ZOOM学園(仮)」を新設し、パッション・ディレクターを務める。
オフィシャルサイト:
松島調事務所 https://www.narifis.com

*1:自分の生活の目の前に現れる現象や事柄を自分のことばで綴り表現する作文教育 。ものの見方・感じ方・考え方・生き方を育てる。ありのままを自ら記述することで社会の認識が可能にもなる。大正末から戦前の抑圧された時代背景の中で興る。戦後に再び復活した。(引用:タイ日本語教育研究セミナー『日本語教育における綴方教育実践の試み』 松島調)

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