オーストラリアのクイーンズランド州バンダバーグ市にあるシャロームカレッジという中高一貫校で6月から日本語教師として勤務している黒沢毅先生。日本の高校での教員生活とオーストラリアの学校での現在の教員生活では違っていることが多く驚きの連続のようです。
渡豪までのまわり道…ありがたいオファー
県立高校で英語教師をしていた僕ですが、ではどのように日本語教師になったのかという経緯についてお話しさせていただきます。
昨年度まで18年間、埼玉県の公立高校で英語科教員として勤務してきました。初任校はろう学校、2校目は農業、工業系の高校、そして3校目で外国語科のある前任校に9年間勤務し、校務分掌として国際理解教育部にも所属していました。その為、その9年間で、姉妹校でもある現在の職場、シャロームカレッジに20名の生徒を6回も引率する機会を得ました。
実は僕の前任のオーストラリア人日本語教師の女性が、また日本で暮らしたいという夢の実現のため、代わりにこちらで働かないかとありがたいオファーを下さったのがそもそもの始まりでした。
昨年の10月に正式にオファーを受けると回答してからは、就労ビザを取るだけでなく、オーストラリアで教師として勤務するための様々な手続きをしました。晴れてバンダバーグ の街に降り立ったのはそれから9ヶ月後の今年の6月でした。
本来であれば、休職しての渡豪を希望していましたが、色々と難しい事情があって退職しての出国となってしまいました。3月に正式に退職してから出国までの2ヶ月間は、それまでと違って仕事に追われることのないゆっくりとした時間を過ごすことができただけでなく、これまでの自分の生き方、そしてこれからどうやって生きていこうか改めて自分と向き合うことのできた貴重な時間でもありました。
働き方の違いに驚きの連続
さて、オーストラリアでは1月から10週間毎の4学期制を採っているため、渡豪してすぐに前任者のアシスタントとして授業に参加しました。これまで引率して何度も訪れたことがあったので、校長を始め、多くの同僚となる先生方、そしてこれまでに会ったことのある日本語を学習する生徒たちにも歓迎してもらえたのは本当に大きな喜びでした。
カソリック系の私立中高一貫校でもある本校で、いざ、新着任者として勤務を始めるにあたって様々な研修や契約の手続きを受けました。まず驚いたのが、多くの書類にサインさせられたことです。
内容はすでに忘れてしまったものがほとんどですが、その中で忘れられなかったのが、”Fatigue Management”という公文書で、10時間以上は働くなという文言があったことでした。日本ではほぼ毎日12時間以上学校にいましたので、10時間以上働かないよう学校が職員に対してサインさせていることが何とも信じられませんでした。定額働かせ放題の日本の学校では考えられません。
事実、8時40分から始まる1時間目の授業のために、多くの職員は8時頃に出勤していますが、70分授業4コマの授業で3時に授業が終わると、生徒たちはスクールバスに乗り遅れないように急いで教室から出て行きます。
そして、よっぽどのことがない限り、4時前にはほとんどの教職員が帰宅します。正に8時間勤務です!僕は日曜日の午前中に日本語クラスの教室で授業の準備をするようにしていますが、学校はもちろん土日は完全オフなので他の教員は誰も出勤してきません。
空き時間が週に2コマくらいしかないこともあって、慣れるまでは1日4コマがかなりきつかったのですが、毎日3時半には職場を離れることができることもあり、買い物に行ったり、ビーチに行ったり、カフェで読書したり、校内にあるジムでトレーニングをしたりと、夕方から夜の時間を有意義に過ごせるのは本当にありがたいです。
日本で教員をしていては味わうことのできない、何とも充実した時間です。
自分の決断は間違っていなかった
このご時世だからこそ、「ブラック部活」「ブラック学校」「教員志望の学生の大幅減」など、教員の働き方に注目が集まっていますが、初めてシャロームカレッジを訪れた10年前には若い教員は体育会系の部活動を持ち、土日も部活動をやることが当然のように期待されていました。
一方で、本務であるはずの英語教師として英語力を磨き、授業力を向上させるための自己研鑽は後回しになっていることに大きな疑問を感じていました。僕自身もそうでしたが、部活動や終わりのない業務に翻弄されて、授業力の向上に十分な時間とエネルギーを費やせないでいる教員をたくさん見てきました。
これは、明らかに個人の能力の問題というよりも、一人の教師があれもこれもやらなくてはいけない学校のシステムに無理があると言わざるを得ないのですが、職場全体でこの問題を共有し、環境改善のために行動を起こすことは簡単ではありませんでした。しかし今となっては、日本での安定した公立高校の英語教師としての職を辞してオーストラリアで働くという決断をしたことは、間違っていなかったと感じています。
もちろん、専門外の日本語の指導方法やオーストラリア人の他の教員と同じ仕事を求められていることに対するプレッシャーや責任は常に感じていますが、明るくおおらかで、素敵なオージーに囲まれて過ごす中で、日本にいた時に強く感じていた「生きづらさ」や「窮屈さ」は既にどこかに消えていってしまったように思えます。
黒沢 毅(くろさわ・たけし)
神田外語大学外国語学部英米語学科卒業後、米国ミズーリ州カンザスシティ・グランドビュー高校にて日本語教師として勤務。帰国後複数の高校に勤務。埼玉県の公立高校で英語教師をしているときに姉妹校でもあるオーストラリアのシャロームカレッジに20名の生徒を6回引率。その縁から、日本の高校教師を辞め、2019年から日本語教師としてシャロームカレッジで勤務している。
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