日本に住む外国ルーツの子どもたちの中には、日本の小中高校に通わず、ブラジル人学校やインド人学校など、外国人学校と呼ばれる学校に通う子もいます。しかし、外国人学校の実態は私たち日本語教師にもあまり知られていないのではないでしょうか。今回、2003年に静岡県浜松市に開校し、来年で20周年を迎えるという南米系の外国人学校ムンド・デ・アレグリアの松本雅美校長にお話を伺うことができました。
スペイン語、ポルトガル語、二つの課程がある学校
――まずムンド・デ・アレグリアとはどのような学校なのか教えて頂けますでしょうか。
はい、ムンド・デ・アレグリアは南米から来日した日系人の子どもたちが通う学校です。幼稚園から高校まであり、現在283名が在籍しています。特徴としてはペルー、チリ、アルゼンチンなどのスペイン語圏の子どものためのペルー課程とポルトガル語のブラジル課程があることです。この二つの課程を持っているのは、南米系の外国人学校の中でもうちだけです。この課程はそれぞれの国に認可されていて、例えばブラジル出身の子どもが母国に帰った場合、現地の学校に編入できます。さらに日本の文部科学省に外国の高等学校相当として指定された外国人学校なので、うちを卒業すれば日本の大学の入学資格も得られます。そして、幼児部は幼児保育無償化の関係もあり日本人保育士も入れて、常時バイリンガル教育を行っています。
――そうなんですか。日本の大学に進学する学生さんもいるということですね。
ええ、日本の大学にも、ブラジル、ペルーそしてアメリカの大学にも進学者がいます。ムンド・デ・アレグリアが外国人学校の中でも稀有な存在だと自負しているのは、日本と南米、この2つのルーツを大切に考えているところなんです。これは子どもたちの将来のためです。
生徒にチャンスを与えるため母語教育と日本語教育を両輪で
――松本先生がムンド・デ・アレグリアを作られた経緯はどういったものだったのでしょうか。
浜松はもともと南米の人たちが多く住んでいたところで、ブラジル人学校は当時5校ほどあったのですがスペイン語の学校はありませんでした。私は大学の専攻がスペイン語で、企業でもペルー人担当だったこともあって、ペルー人の保護者からスペイン語で学べる場所がほしいと頼まれたんです。子どもを日本の学校に通わせているけれど、日本語が分からなくて勉強についていけない、母語も確立していないので、スペイン語で親子の会話も難しくなったと悩んでいる人が多かったのです。初めは学校を作ることがすごいって感覚がなくて、目の前に困っている人がいるなら、寺子屋的な場所と空間があればいいなという感覚でした。開いてから、ちょっと後悔しましたけど。こんなに大変なことだと思わなくて。
そして生徒数13人で2003年2月に開校しました。でも、初めに頼んできた人たちの子どもが誰も入学しなかったのには驚きました。
その後、ブラジル人の子どもも受け入れるようになり、お話ししたように現在はスペイン語とポルトガル語の二つの課程を持っています。それぞれ母国のカリキュラムに則り、母国の教員免許を持った教師が教えています。また科目の一つとして日本語があり、こちらは資格を持った日本人の日本語教師が教えています。
――学校を開いてから、現在まで、保護者の方に変化はあったでしょうか。
保護者はあまり変わっていないですね、出稼ぎで日本に来るのですから、母国にもあまり根っこがないような状態です。以前は日本語をやらなくてもコミュニティがあるのでそんなに困らなかったのですが、リーマンショックの時に、失業する人が増えて、日本語をやらなければという意識になりました。日本語教育に関する親の意識が変わったんですね。
――今在籍している生徒さんは将来、母国に帰る人が多いのですか。それとも日本に残る人が多いですか。
全く流動的です。親の動向でも変わりますし。日本に残ると言っていた人がリオのオリンピックの時、いきなり帰国したり、その逆もあったり。子どもたちはそれに左右されてしまいます。ですから母国に帰っても、日本に残ってもいいように両方の教育環境を整えています。経営のことを考えたら一本に絞ったほうがいいんですが、生徒のニーズを考えると母語と日本語の両輪でやらなければならないんです。日本と母国と両方のチャンスを与えるために。他の学校と比べると2倍大変なんですが。
高校生に進学指導、キャリア教育も
――現在の状況について教えてください。
現在は開校当初と比べると環境がかなり改善されました。校舎も広くなり、インターネットの環境も整えることができました。そして日本語教員も多く雇えるようになったので日本語教育の部分でもかなり手厚くなりました。進学クラスを作り、日本の大学に進学する生徒も出てきたことで、保護者の意識も変わって高校生が圧倒的に増えました。高校生は2010年の段階では8人でしたが、今は83人います。そうすると進学する生徒ばかりではなくなるので、正社員での採用を目指すためにキャリア教育にも取り組み始めました。親世代のように派遣社員ではダメなんです。いろいろな職業の方に学校に来てもらって職業講話をお願いしたり、会社を見学させてもらったりしています。
――というと、現在では進学クラスと就職クラスがあるということですね。
ええ、そうです。それから静岡県立大学と連携して訪問スカイプ併用型の日本語会話練習プロジェクトも行っています。これは単に会話練習というだけでなく、教師以外の日本人との交流の意味もあります。また日本人の学生にも、日系人の生徒たちがどういう考えを持っているのか知ってほしいと思っています。お互いに良き隣人として共生することを学んでいってほしいです。
――日本語教育についてはどのように行っているのでしょうか。
初級は新宿日本語学校の江副式教授法を取り入れつつ、オリジナルの教え方でやっています。中上級になると、時間も限られますし、生徒のニーズもあるのでJLPTのための授業が中心になります。ただ、音楽、体育に関しては日本語で授業を行っています。耳から日本語を覚え、話す機会も増やせますので。
ところで、私は日本語教師ではありませんが、世の中の日本語の先生に言いたいことがあるんですよね。もっと生徒の目線に立って、生徒がわくわくするような授業をやってほしいんです。年少者なのに大人用の教科書を使って、上から目線で授業をするなど考えられません。生徒が分からないとき、分からないほうが悪いという態度の人も。日本人は日本語を“学習”したことがないからだと思います。どうやったら子どもたちが日本語を嫌いにならず、漢字を嫌にならず学べるかを考えてほしい。うちの教員たちは失敗しながらも、ずいぶん変わったと思います。
――はい、おっしゃる通りだと思います。耳が痛いです。
日本語の習得には母語が重要
――母語と日本語と両方の教育をしているわけですが、母語の重要性はどのようにお感じですか。
今、深刻なのはダブルリミテッド*1の問題です。親が子どもの学ぶ環境を変えることの大変さを分かっていない場合が多いのですが、せっかく小学校3年まで母語を積み上げてきたのに日本語を覚えさせたいから日本の学校に転校させる。すると母語が積みあがらなくなってしまう。逆に小学校6年まで日本の学校で勉強させたけれど、中学は勉強が難しいからと言ってうちに来た場合、ポルトガル語ができない。しかし日本語も年齢相応に身についているわけではない。こういう子どもたちがダブルリミテッドになる恐れがあります。しかし、それは往々にして見えないのです、なぜなら喋ることはできるからです。
後者のようにうちに転校してきた子どもを対象に補習クラスを開いているのですが、なかなか難しい問題もあります。それは日本の学校で授業が分からない時間を長く過ごしてきたため学習習慣が身についていないのです。
日本語教師の方の中には日本に住むんだから、まず日本語を勉強させなければならないと思う人が多いかもしれませんが、しかし日本語の学習に大きく影響するのは母語なんです。
私は以前、名古屋外国語大学にカミンズ先生*2がいらした時、講演を聞きに行きました、その時、先生は「母語の熟達度によって第二言語の伸びが予測できる」とおっしゃっていました。環境が許すのであれば、母親は自分の母語で教育したほうがいい、母語を否定することは子ども自身を否定することになるのだとも。
お話を聞いて、私は自分がやってきたことは間違っていなかったと確信することができました。
その後、近くの外国人集住地区の小学校の校長先生と話して、そこは当時300人の生徒のうち100人ぐらいが外国人だったのですが、毎週その学校から子どもを受け入れて2時間母語補修をするトライアルを行いました。その校長は母語が確立していない子どもは日本語の上達が遅いと感じていたそうです。結果はすごくよかったのですが、費用の関係でトライアルで終わってしまいました。
南米系外国人学校のセンター校を目指して
――これから目指すことについて教えてください。
先日も大学生が研修に来た際に質問されました。「今後の目標は大学への進学率を上げることですか?JLPTに合格させることですか?就職を増やすことですか?」などと聞かれました。
確かにそれもそうですが、それらはパーツでしかありません。ムンドとして目指すところは、南米系外国人学校の中のセンター校、モデル校となることです。実は他の学校は母国に帰るための学習しかやっていないところも少なくないのです。しかし私は子どもたちの将来のために選択できる環境を作ってあげたい。そして両国の架け橋となるような人に育ってほしいのです。
私は教育にはベストはないと思っているんですが、常にベターを探しながらベストに近づいていきたい。私たちのやり方が、今の時点で、他の学校に比べ、より子どもたちに沿っていて、より子どもたちの未来を守るためのものであるということを示していきたいと思っています。
取材を終えて
お話を伺った松本先生は、本当にエネルギッシュで熱い思いの溢れる方でした。ご自身のことを「石橋を叩いて渡るタイプじゃなくて、叩く前に渡っちゃうタイプ」とおっしゃっていましたが、その情熱がムンド・デ・アレグリアをここまで引っ張ってきたのだと思いました。歯に衣着せぬ表現で私たち日本語教師にとって耳の痛いお話もありましたが、それも偏に子どもたちの学びを伸ばしたいという思いからくるものだと感じ、反省せずにはいられませんでした。
取材・執筆:仲山淳子
流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。5年前よりフリーランス教師として活動。
*1:ダブルリミテッド:自分の母語と暮らしている場所の(母語以外の)言語のどちらも年相応に発達しておらず、抽象的な思考が十分にできない状態を指す。
*2:ジム・カミンズ。カナダ、トロント大学教授。BICS(生活の中で伝達に必要な基礎的な言語能力)とCALP(学習に必要な学力に結びついた言語能力)や、共有基底言語能力モデル、発達相互依存仮説、敷居理論などを唱えた。
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